漫画家の松本零士さんが亡くなりました。
小学生の時、『銀河鉄道999』が大好きでした。
『宇宙戦艦ヤマト』も好きでしたが、私は断然『999』派。
テレビアニメを観て、それをきっかけにアニメージュなども買い、映画も観ました。
毎日、メーテルの絵を描いていました。
ブラックジャックと同じように、行く先々で見かける漫画の単行本や、漫画雑誌で漫画にも触れました。
駄菓子屋さんでは、『銀河鉄道999』のシールの入ったお菓子を売っていましたが、シール欲しさに買いに行って、でもお小遣いが少ないからほんとに祈るような気持ちで買って、シールを集めていたのを思い出します。
なんのお菓子だっけ?———忘れました。
お菓子を食べていたのかどうかも謎です。
とにかくシールが欲しかったことだけを覚えています。
共通の話題を語り合える友達はいませんでしたが、ひとりだけ、『銀河鉄道999』好きだよ、と言ってくれた子がいました。その子に「メーテルの絵描いてるの?私にも描いて!」と言われて、へたくそな長すぎる睫毛バリバリのメーテルの絵を描いて渡したことがあります。
ごめん、へたくそだったね。
でも「メーテルの絵描いてほしいな」って言ってくれて嬉しかったです。
いい思い出です。
メーテルは憧れの女性でした。
すらりとスレンダーで背が高く、長くたなびく金髪。
憂いを秘めた睫毛。黒いドレス。黒いケープ。黒いブーツ。黒い帽子。
ブラックジャックと同じセンス。笑
超私好み。
鉄郎と一緒に旅をしていながら、優しいんだかやさしくないんだか、冷たいんだか冷たくないんだか、とにかくミステリアスな対応「しか」しない女、メーテル。
私もメーテルと旅をしたい!
機械のからだは嫌だけど!
なぜか、メーテルになりたいという気持ちは全くなく、メーテルと一緒に旅をしたかった子供のころ。
メーテルのしていることは完全に、孤児である鉄郎の「機械のからだになりたい」に付け込んだ児童略取です。しかも彼女は、他に何人もの若者をかどわかしているという恐ろしい人でした。
そんな恐ろしい一面を持っているにもかかわらず、やっぱり慕わずにいられない魅力を持っていて、複雑な女性像だったと思います。
当時は、原作者の松本零士さんに対しても、強いあこがれを抱いていました。
海賊みたいな帽子をかぶっていて、まるで自分の漫画から抜け出たような「ザ・漫画家」といった風情で、凄い人なんだ!と思っていました。
でも途中から、急速に興味を失ってしまいました。
中学・高校と進学していくにつれ、いつのまにか他にもたくさんの漫画やアニメに触れ、松本零士さんのアニメはその中に埋もれていきました。
実際、松本さんの新しい漫画やアニメも、次々には出ませんでした。
『1000年女王』は『999』の次に鳴り物入りで宣伝されていましたが、宣伝されてから実際にアニメになったのかどうかもわからずじまい(なっていたようです)。
当時は『機動戦士ガンダム』に大衆の関心が移ってしまったようで、アニメージュでも次第に、松本零士さんの特集記事は少なくなっていきました。たまにあったとしても、『宇宙戦艦ヤマト』『キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』などの特集で、新しいアニメの話がほとんどなかった記憶があります。
いえ、その後もあるにはあったけど、私の中で興味の方向が変わってしまったのかもしれません。「鉄郎とメーテルの物語」は『さよなら銀河鉄道999』で終わり、私の中では松本作品が止まってしまった気がします。
それでも映画がテレビ放送されるときは必ず観ましたし、大好きな気持ちはずっと変わらない!と思っていました。
大人になり、松本零士さんの話題は、訴訟問題や裁判の話など、なんだか少しがっかりするものばかりで、残念に思うことが増えました。
とはいえ、一時代を築いた松本さんの功績は大きく、そして私の心に残した影響も大きかったと思います。
なんというか、結構ポエミーだったんですよね。
セリフに「……」が多くて、余韻があって。
ひとつひとつが詩のように感じることがありました。
松本零士作品で、どのセリフが印象に残っているか、夫と話しました。
すると夫は、
「地球か・・・なにもかもがみな懐かしい・・・」
とひとこと。
沖田艦長なりきりかよ。笑
ああ~そうだよね、そうだよね。確かに!
沖田艦長の「ヤマトの諸君」も捨てがたい名セリフですが、沖田艦長の最期のセリフも胸に残っています。
声優さんは確か、『ルパン三世』の銭形警部、納谷悟朗さんだった記憶が。
私は『キャンプテンハーロック』の
「男には、負けると分かっていても戦わねばならぬことがある」
です。
声優は井上真樹夫さん。
今思い出しても痺れます。
『銀河鉄道999』の鉄郎は、断然アニメ版のほうがいいです。
映画の鉄郎はなんかイケメンになっていて別人過ぎて、どうしても感情移入できなかった記憶があります。
映画鉄郎イケメン問題は、確かにアニメ版のお母さんも美女なのに、鉄郎は似てなさすぎますもんね。
整合性をとるためにも、映画版はイケメンにしなければいけなかったのでしょう。
そして極めつけはメーテルのセリフ。
「私はあなたの思い出の中にだけいる女。
私はあなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」
ところで、人間狩にあった後、鉄郎のお母さんははく製にされていましたが、後からメーテルは鉄郎のお母さんのからだを使っているという設定も出てきて、ちょっと混乱しました。私は、メーテルは鉄郎のお母さんのクローンのからだを使っているのかなと思っていましたが。
メーテルとエメラルダスが双子の姉妹と知ったときはびっくりしました。
ちなみに、音楽も世の中を席巻していましたね。
特に「ゴダイゴ」。
999といえばゴダイゴ、ゴダイゴといえば999。
でも私は「モンキーマジック」も大好きです。
『西遊記』は毎週欠かさず見ていたドラマです。
『さよなら銀河鉄道999』のエンディングの「SAYONARA」も印象的でした。
アニメのほうは、ささきいさおさんのオープニングとエンディングが素晴らしかったです。
汽車は闇を抜けて光の海へ~
というやつですね。
全部歌えます。
エンディングは「青い地球」。
メーテル、またひとつ、星が消えるよ
と歌うささきいさおさんの歌声がよみがえってきます。
松本零士さんは「宇宙を旅する浪漫」と、「人間として生まれた以上、誇りをもって精一杯人間らしくいきる」ということを教えてくれたような気がします。
今週のお題は、たまたま「海を超えて旅に出る」なのですね。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏は『サピエンス全史』で、人間は想像力によって「虚構」を作り出したことによって複雑な社会を作り出したと言っています。
夢を見る力、想像力は、人間を人間たらしめる大きな力なのだと思います。
松本零士さんは、銀河を超えて旅をする壮大な物語を私たちに与えてくれました。
今となってはすでに、それらは一種の現代の神話のような気がします。
亡くなった時、親族の方が出したコメントに、胸が熱くなりました。
『遠く時の輪の接するところで、また巡り会える」と松本は常々申しておりました。
私たちもその言葉を信じその日を楽しみにしています。
『遠く時の輪の接するところ』。
やっぱりそれは、銀河のはて、無限に広がる大宇宙だという気がします。
松本さんのご冥福をお祈りしております。