みらっちの読書ブログ

本や映画、音楽の話を心のおもむくままに。

「みらっち」から「みらい」になって色々変わろうと決意した春の話【ご挨拶とお知らせ】

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こんにちは。みらっちです。

 

立春でございます。

今日から春。新しい季節の始まりです。

少し気が早いですが、卒業の意味も込めて、桜の花にてご挨拶です。

 

今日は、ブログをnoteに移行するというお知らせです。

 

note.com

 

(「らい|note」のところをクリックすると開きます👆)

 

noteでは、みらい、という名前です。

 

「はてなブログ」を始めて1年半。

 

「みらっちの読書ブログ」は、沢山の方に読者になっていただき、沢山の方にブログを読んでいただいて、ご愛顧いただいてきました。

 

本当にお世話になっております。

ありがとうございます。

 

実は半年前から「note」を始めました。

 

「note」はエッセイ、「はてな」は読書ブログと位置付けて、並行してやっていこうと始めた「note」でしたが、存外「note」が使いやすく、また、「はてな」のほうもエッセイ的な記事が増えてきて、だんだん、「はてな」と「note」の位置づけの区別が曖昧になってしまいました。

 

ブログ上で以前、「私、もう、プロでやってく」と宣言したのも記憶に新しいのですが、「はてな」をプロでやっていく意味も、だんだん、失われてきてしまった、というのが実情です。

 

また「読書・感想文」というジャンルに限れば、「はてな」の記事より、「note」の記事の方が明らかに読まれるようになってしまった、というのも大きいです。

 

以前からの読者の方が「最近、noteしか読んでない」とおっしゃっていて、読む側の方にとったらスマホで気軽に読めるnoteは便利なんだなと思った次第。

 

「はてな」は、毎週の「お題」では確かに読んでくださる方が増えるけれども、ブロガーの方は必ずしも「読む・書く」が目的の方ばかりとは限らないなと常々感じていたので、私の方向性としては「note」の方が合っているのかな、と思いました。

 

色々考えたのですが、立春を機に「はてな」のプロを外して「note」に一本化しようと思っています。

 

「プロ」は外しますが、これまでのブログはこのまま残しておくつもりでいます。

 

もし、noteもやってるし、noteのほうも覗いてみようかな、と思うかたがいらっしゃったら、noteのほうを訪問してくださったら嬉しく思います。ひとこと、声をかけていただいたら、折り返しフォローさせていただきます。

 

noteはやっていないけれど、見てみようか、と思った方も、ぜひ。

この記事からnoteの最新のページに飛ぶことができます。

 

「はてな」でのご縁が、これからも続いて行ったら嬉しいです。

 

最後に。

「えぇ、なんでなんで?noteってそんなにいいの??」と思われる方もいるかもしれませんが、そういうわけではありません。

 

「はてな」には「はてな」の良さ、「note」には「note」の良さがあり、私には「note」のほうが合っているかな、と思ったのです。比べてみて、私の場合は「登録していない人にも読んでもらいやすい」ということが、いちばんだったみたいです。

 

では、はてなでお世話になった皆さま、これまで支えていただき、本当にありがとうございました。

 

今までコメントや励ましをいただき、

本当に嬉しかったです。

ありがとうございました。

大切な宝物です。

 

今後は「みらっちの読書ブログ」改め「みらいのnote」をよろしくお願いいたします。

 

(「らい|note」のところをクリックすると開きます👇)

note.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再現度高すぎて思わず二度見【ミステリと言う勿れ/田村由美(ドラマ編)】

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こんにちは。

みらっちです。

 

先日、待ちに待った『ミステリと言う勿れ』のドラマを観ました。

この記事を書いたのが、なんと1年前とは。いやはや。待ちました。

 

miracchi.hatenablog.com

 

ドラマ、よかったです。

www.fujitv.co.jp

タイトルにも書きましたが、とにかく菅田将暉さん演じる久能整くんの再現度が高かったです。ついでに言えば、漫画そのものの再現度が高かったです。妙な脚色がなかった、という意味ですが。脇役も納得の演技派ぞろいで今後が楽しみです。

 

整くん、あの膨大な量のセリフを、ほとんど漫画の一言一句崩さず喋ってました。セリフ外のコマに描かれる台詞までちゃんと入っていました。

 

どうやら菅田さん、セリフの量が多すぎて口内炎がいっぱいできて大変だったとか。

 

えーすごい、頑張ったね!フィリップ!(👈親戚のおばちゃんか!)

 

もともと、キャストが発表になったときは「あー菅田将暉さんか、ちょっと意外」と思いました。私はドラマ化の時に「○○さんがいい!」と強く思うことはあまりないのですが、やはりイメージというものはあります。

 

菅田さんはもちろんフィリップなので*1ずっと応援している俳優さん。大好きです。でも私はブログにも書いた通り最初の1巻を見た時「米津玄師さんっぽい」と思ったんですよね。佇まいが。髪の分量が多くて顔があんまりはっきり見えないし人見知りっぽくて物静かなんだけど、話しだすと結構話す、みたいな。ですので確かに菅田さんは、イメージは違いました。果たして誰になるんだろう?若手の俳優さんかな、と思ってました。ネット界隈では、渡辺豪太さん、というのが有力だったようですね。

 

主人公・丸尾丸一郎役は渡部豪太!「さよなら鹿ハウス」 - ステージナタリー

確かになんとなくわかる…

 

とはいえ、整くんは大学生なので。20歳なので。菅田さんもう30歳近いので。結婚してるんで。無理あるんじゃない?とも思ったのですが、意外といけました。菅田さんでこそ、安定感のあるドラマになってる気がします。あんな風に観ている人を納得させてしまうのが菅田さんだな、と。

 

King Gnuの主題歌も良かったです。曲は「カメレオン」。

 

キングヌー、私は最近略して「キンヌー」と勝手に読んでいます。

息子に

「それ、略す意味ある?」

と突っ込まれています。

 

King Gnuはたぶん紅白には出ない系だと思っていたんですが、昨年出たのでちょっと驚きました。へーと思いました。今年は出なかったし、もう出ないんじゃないかな(👈すごい勝手な想像)。

 

King Gnuは『呪術廻戦0(ゼロ)』でも2つ曲を提供していて、耳だけで聴いたときに「ああこれ映像ナシはだめなやつ~」と思っていましたが、『ミステリと言う勿れ』は比較的曲単体でもいけました。

 

King Gnuは最近、私の中でオペラ化していて「総合芸術」化しているので、映像込で楽しむことにしています。

 

あっ。マズい。いきなりKing Gnuの話になってしまった。

 

原作漫画の『ミステリと言う勿れ』は、最初の1巻の「つかみ」が絶妙に上手くて、ううむ、これは作者の田村さんとしても比較的長い話を想定しているんだと思うけど、もしかしたら読者と編集の熱い希望でさらにどんどん連載をのばされる系の漫画になるのではないか。と思いました。いったん話が終わってもスピンオフとか番外でものすごくたくさん話が作れそう!

 

整くんは、最初の1回こそ安楽椅子探偵*2なんですが、その後は巻き込まれる形で事件の渦中に入り込む存在です。そこにいてもいなくても絡ませることができる。ものすごく、使えるキャラじゃん!これ絶対メディアが飛びつくよ~と思っていたらの、ドラマ化でした。

 

原作に忠実でありながら、しっかりドラマとして引っ張る感じがいいです。だからこその1回目がほぼ2時間……これずっと2時間枠なんですか?月9の枠はみ出してますよね。

 

👆のブログでも書いた、ラスボス感あふれる人物も1回目にしっかり登場(今の時点ではまだ名前が違うので今は「人物」としておきます)。

 

このキャラクターは、正直誰がやってもキツイだろうと思っていました。

 

以前書いたようにとにかく超絶美形なんですよね。日本人離れしているというよりはファンタジックなFF*3っぽい美形。ネット界隈では城田優さんというイメージが強かったようですが、城田さんが演じても誰かは何か言うタイプのキャラクターだと思います。

 

役者さんは永山瑛太さんでした。

 

へーとおもいました(よく、へーと思ってますね、私)。

こちらのキャスティングも、確かに意外だったかも。

 

ドラマの出来、というのは、ほぼほぼ脚本と演出、そして俳優さんの実力次第と思っているので、今回どうなることか、期待して観ていきたいと思います。

 

ところで、この『ミステリと言う勿れ』

フェミニズムっぽい、ポリティカルな感じがする、説教臭い、うざい、気持ち悪い、というネガティブな評価もあるんですよね。嫌いな方は嫌いみたいです。

 

安楽椅子探偵モノは全体的に説経臭くなりがちなように思います。そんなことないでしょうか。周囲がその人のところに「謎を解いて」と持ってくる。なんとなく「偉い感」が漂う気がします。笑。

 

確かに年上の人に向かって割と強烈なことを言うんですよね、整くんは。少しメンタルに問題を抱えている子でもあるので、「言ってよい/悪い」についての基準がずれている可能性もあります。

 

『謎解きはディナーの後で(東川篤哉)』などは、上下関係を無視した毒舌もありながら、丁寧な言葉でお嬢様をたしなめたりする面白さでうまくその辺が緩和されていた話だったように思いますが、関係の薄い年上の誰かに向かって何かを発言することは日本ではとてもよろしくない態度ととられます。

 

整くんの、相手がだれであってもどんな立場の人であっても直截に物を言う、あるいは人によっては「偉そう」と思うことを言う、というのは、人を苛々させたり、屁理屈みたいにも聞こえますが、実際は「人が気軽にできないことを簡単にする」というファンタジー、まさに漫画の醍醐味なのです。この漫画は特に「言葉」は剣より強いというものを下敷きにしているように思えます。

 

整くんはいつも、ちょっと耳に挟んだ言葉をストックし、些細ともいえる言葉の使い方や選び方からなんとか相手を理解し寄り添おうとします。寄り添おうと努力していたら事実が浮き出てきてしまう、ということかもしれません。言葉は剣にもなるし、癒しにもなります。言葉が自在に姿を変えることで「人間」の隠された部分が見える、キングヌーの「カメレオン」もそんな歌詞でした。この漫画は単純なミステリーではなく、言葉の持つ可能性を追求しているようにも思えます。もっと人が言葉に敏感になったら、起きないすれ違い、起きない誤解もあるかもしれません。

 

ドラマになって、この作品を見る人々の層がより幅広くなり、評価はどうなるのかなという懸念はあります。もしかしたら批判もあるかもしれません。

 

そこを払しょくするためにも、キャストは20歳では駄目だったのかもしれません。

 

来週が楽しみです。失速しませんように。

 

 

 

 

 

 

*1:「フィリップ」とは『仮面ライダーダブルに出演していた時の菅田将暉さんの役の愛称。フィリップ・マーロウから来ている

*2:アームチェア・ディテクティブ。現場に行かない、周囲からの情報だけで事件を推理する探偵。およびそのたぐいの探偵もの全般をさす

*3:ファイナルファンタジー

わりと人生を豊かにしがち【少女漫画3選/高校生編】

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こんにちは。みらっちです。

 

高校時代。

 

わたしちょっと、病気をしてしまいまして。

 

それで半年くらい、あんまり本や漫画が読めなかった時期がありました。

 

あれは辛かったですね。

読めない、ということが。

なによりも辛かったです。

拷問に近かったです。

 

が。病気の前後はそりゃあもう、活字中毒・活字三昧でございました。

 

さて、高校時代に最もハマっていた少女漫画は、迷うことなく吉田秋生先生と、神坂智子先生と、清水玲子先生の作品

 

もうこのかたがたは三神です。

順不同で。

 

 

 

『吉祥天女』吉田秋生

吉祥天女(3) (フラワーコミックス) | 吉田秋生 | 少女マンガ | Kindleストア | Amazon

吉田秋生先生には、高校時代、かなりハマりました。ハマりすぎて、『ボビーに首ったけ』という片岡義男氏の小説のアニメ化の時は、吉田秋生先生がキャラクターを担当するということで、関連本や画集などをメチャメチャ買いました。でも、正直、ごめんなさい!内容はちっとも面白くなくて、今思えば若干の黒歴史。

 

昔は、片岡氏のような小説が、もてはやされた時代がありましたね…片岡義男&わたせせいぞう、みたいな。雰囲気、伝わります?笑

 

トレンディドラマが流行り、ダブル浅野が人気でした。そういえば片岡義男氏の『スローなブギにしてくれ』浅野温子さんが初主演をつとめたのではなかったかしら。私は観たことがありませんが、確か角川映画のハシリだったような。

 

片岡義男さんの作品は、当時はものすごくたくさん出版されていましたし、雑誌などでも見かけないことはないくらい掲載されていましたが、今はほとんどが絶版だそうです。電子化は進められているそうなので、もしかしたらまた読める作品もあるかもしれませんが……『スローなブギにしてくれ』は直木賞候補作だったんですよね。

 

角川文庫の真っ赤な背表紙は鮮烈で、すぐに片岡義男氏の本だとわかります。私も何冊か買って読んだ気がします。強烈にアメリカナイズされた若者の青春のワンシーンを印象的に切り取った、という感じで、当時は爆発的に売れました。なんとなく、その後急速に飽きられてしまったような印象の作家さんです。

 

主人公も名前がないような「男」と「女」の話で、彼、彼女が基本人称。時折名前がボビーとかなぜか外国人名なのも特徴です。あ、今の『カムカムエブリバディ』もそんな感じですね。ジャズマンがジョーとか。あ、でも彼は本名も錠一郎さんでしたね。しかも俳優さんはオダジョー(オダギリジョーさん)。「なんで日本人なのに外国人の名前なん?」とるいが不思議に思うシーンがありました。笑。

 

そんな感じで、どの話がどの話だったか、短編の区別がつきにくいです。おおかたが「だから、なに?」みたいな終わり方。と言ったら身もふたもないですが。あ、そういえば『メイン・テーマ』も片岡義男氏でした。

 

象徴的なのはバイクシーンで、バイク乗りがよく出てきます。『ボビーに首ったけ』もバイク乗りの少年の話でした。角川では『メイン・テーマ』でデビューした野村宏伸さんをアイドル化して売り出そうとしていたらしく、『ボビーに首ったけ』は彼が主人公の声優をつとめていました。文体の雰囲気は、洋書というか洋画のようで、どことなく村上春樹に通じていく流れなのかなという気がしましたが。

 

村上春樹が直接影響を受けたのかどうかわかりませんが、おそらく遡ると同じような米国作家さんにつながっていくのではないかと思います。カポーティ―とか、サリンジャーとか。

 

閑話休題。

うっかり片岡義男氏の読書ブログになるとこでした。笑

 

『吉祥天女』は私が高校時代より少し前の、吉田秋生先生の初期作品に近いもので、私のリアルタイムは『BANANA FISH』でした。毎回連載を追いかけていましたが、途中「……」と思ってしまい、一応全巻揃えたものの、やっぱり私の最強最高の吉田秋生作品は『吉祥天女』に決まりです。1983年小学館漫画賞受賞作品です。その後ドラマ化・映画化もされています。漫画作品が好きすぎてドラマや映画は観ていません。

 

『吉祥天女』は不思議な話です。女の持つ魔性を体現する美少女、と言ってしまえば簡単なのかもしれませんが、そんなふうに単純に括ってしまえるような話ではありません。

 

謎の転校生、叶小夜子には、不思議な魅力と不思議な力があります。会う人すべてが惹きつけられ、だからといって彼女と関わる人間がみんな幸せになるとは限りません。出会う人の持つ「本性」によって小夜子の印象も行動も変わります。害をなすもの、特に彼女に邪な感情を持つ者は、結果的にすべてを奪われ、身を滅ぼされてしまいます。

 

高校時代は、女性の持つ魔性の妖しさに注目していましたが、今改めて考えてみると、叶小夜子はミソジニー(女性蔑視)に対するアンチテーゼだったような気がします。ミソジニーというのは女性蔑視、女性嫌悪のことですが、生理的にダメという話ではなくてジェンダーの話です。ですので男性のみならず、女性が女性に抱く感情にもミソジニーはあります。1983年の漫画で、ほぼ40年前の漫画ですが、ものすごく先見性があったんじゃないかと思っています。というより、当時抑圧されていたものを炙り出した、というべきなのかもしれません。

 

吉田秋生先生は、最近では『海街diary』が人気です。鎌倉に住む、四姉妹(三姉妹+異母妹)のお話。姉妹それぞれの性格や立場や考え方が繊細に描かれています。是枝裕和監督で、綾瀬はるかさんや広瀬すずさん主演で映画化もされています。観てはいませんが、個人的に異母妹の名前が漫画でもすずちゃんだったので、広瀬すずさんぴったりだなと思っていました。

 

『海街diary』は初期の頃の『カリフォルニア物語』のような「ナイフみたいにとがってた」アメリカンな作品群とは一線を画した「和の情緒」的な心理描写が刺さります。初期作品に『桜の園』がありますが、それに近い、詩的な作品だと思います。

 

とはいえ、吉田先生の作品には、どれほどアメリカンな香りがしようが、青少年期の、繊細で傷つきやすいガラスの心がこれでもかと描かれています

 

絵柄は劇画的・少年漫画風で、そこはかとなくアメコミっぽい線どこかジャジィな、初期ロックンロールな雰囲気を持っていることが片岡義男さんにつながるところもあったのかな、だから『ボビー』だったのかな。などと、思ったりもします。

 

『シルクロードシリーズ』神坂智子

 

書きたいことがありすぎて、ここでは書ききれないので、以前書いた「シミルボン」の記事を貼ります。というか、吉田秋生先生について書いていたらそれだけでいっぱい書いてしまったもので、さすがに文字数が……

 

良かったらぜひ、ご覧ください。👇

 

 

「シミルボン」から離れて久しいのですが、こちらの記事は長期にわたり「通りすがりいいね(シミルボンに登録していなくても外部からいいねができる)」をされており、いつのまにか「通りすがりいいね」のほうが「いいね」より多くなっています。

 

おそらく、検索するとこちらが上位で出てきているんだと思います。なにか商売っ気があることをすればいいのかもしれませんが、そのままです(笑)。

 

『ミルキーウェイ』清水玲子

こちらも上記と同じ理由で「シミルボン」から引用します。

吉田秋生先生と片岡義男氏でひっぱりすぎたわ…

 

こちらから、どうぞ👇

 

 

こちらは、それほど人気記事とは言い難い。笑

現役で活躍されている漫画家さんですし、他のブログもたくさんあって、検索上位には上がらないのかもしれません。

 

もちろん他にもたくさんの作品を読みましたが、とにかくこの三作品が筆頭だと言えます。というか、この作家さんを中心に、遡って全部読む、ということに血道を注いでいた気がします。

 

そして番外編

これは実は、漫画ではありません。

 

私が高校時代に何よりもハマって読んでいたもの。

 

それは『千夜一夜物語』岩波文庫(全26巻)です。

 

高校生当時、古い高校の、古い図書館の、古い岩波文庫版を全巻制覇することに挑戦していました。

 

さすがに当時の本の写真がありませんので、大変申し訳ないのですが、ヤフオクに出品されている本の写真をお借りします。

 

ヤフオク! - 千一夜物語(全26巻)岩波文庫

 

そうですそうです。まさにこれ。

薄紙(パラフィン紙)に包まれたやつです。

 

図書館の奥で日に焼けて、薄紙もボロボロで、ほとんどがパラフィン紙なしの状態でした。字はめっちゃ細かかったけど、少しずつ読んでいきました。

 

最終巻を借りた時、今まで会話の無かった司書の方から「ついに最後ですね!」と声をかけられたのがいい思い出。

 

あのときの司書さん「ああこの子、26巻全部最後まで読めるかしら」とじっと見守ってくれてたんだろうなぁ。

 

先日、岩波書店からガラン版の読みやすい『千夜一夜物語』が出ました。

www.iwanami.co.jp

 

私が読んだのは、子供向けのガラン版ではなく、むちゃくちゃエログロの、おそらくはマドリュス版。もうひとつ、バートン版が筑摩書房から出ています。

 

高校生が大声で『千夜一夜物語』を読んでいる、というと、どれだけ官能小説がすきなんだといろいろと勘違いされてしまいそうですが、様々な物語の元型がこれでもか!と入っていて、その後の人生を豊かにしてくれること間違いなしです。

 

というわけで、ん?これで終わり?と思った方。

 

いやいや、私の漫画人生、これからですよ!

お楽しみに~

わりと人生を狂わせがち【少女漫画3選/中学校編】

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あけましておめでとうございます。

みらっちです。

 

今日から仕事始め。

ブログも今日から再開です。

今年もよろしくお願いします。

 

2022年第一弾は、昨年からの続きで「少女漫画3選」

 

今回は中学校編です。

 

中学時代は、以前書いたことがありますが、私の中では少女小説全盛時代

miracchi.hatenablog.com

 

そのうえ、どちらかというとアニメに夢中でした。

 

当時のアニメは、勢いがあったんですよね。

『アニメージュ』という雑誌もありました。

『風の谷のナウシカ』が連載されていた気がします。

 

特に『超時空要塞マクロス』『北斗の拳』『うる星やつら』はかなりハマっていました。「小白龍~」と一緒に歌ったり、「あたたたたた!」といって遊ぶ人が誰もいませんでしたね。孤独でした。笑

 

いまでいう、オタクですね……

正月早々、こういう告白はヤバいですね……

 

そういえば、このところ話題の漫画『AKIRA』が中1ごろ書店に並んでいたんですよ。まとめて読んだのは映画版アニメになったころなので、もっとずっと後ですが。あの当時にまさか2021年オリンピックに対して「中止だ中止」なんてコマがあったとは全く知りませんでした。びっくりです。

 

それと『日出処の天子』も当時の漫画なのですが、私は高校生~大学生のあたりにこの漫画を読んだので、こちらは今回入っていません。

 

当時読んでいたのは、前回もご紹介した『あさきゆめみし』『ときめきトゥナイト』『月の夜星の朝』『小麦畑の三等星』『なみだの陸上部』『有閑俱楽部』『キャッツ♥アイ』『うる星やつら』『ハイスクール(3年)奇面組』『伊賀のカバ丸』『エイリアン通り』『荒野の天使ども』『翔んだカップル』『タッチ』などなど。数え上げればきりがないです。

 

当然、自分で買った本ばかりではなく、友達と貸し借りをしていたんですね。

 

たぶん『北斗の拳』『キャッツ♥アイ』『3年奇面組』『うる星やつら』のほうがハマリ度は高かったと思うのですが、少女漫画という括りであげるとすればこちら。

 

 

『小麦畑の三等星』萩岩睦美

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萩岩先生は、絵柄がすごくファンタジックなんですよね。小人とか、妖精とか、ちっちゃな存在を描いたらピカイチだと思います。たぶん『銀曜日のおとぎばなし』のほうが有名だと思うのですが、こちらの『小麦畑の三等星』はSFです。SFというか、設定はSFだけどやっぱりファンタジーなのかな。

 

主人公の碧穂(あお)は小麦畑で拾われた、おへそのない14歳の少女。頭には奇妙な図形のあざがあり、髪の毛が逆立つといつも小麦の声が聞こえていました。絵にかいたような(いやほんとに絵に描かれているんだけど)典型的エスパー少女。とはいえ14歳までは物覚えが悪いことと発達が遅いこと以外は特別なこともなく暮らしていました。ある時、幼馴染で同級生の康太郎とふざけていて、学校の窓から落ちたときに、不思議な力に護られてかすり傷ひとつ負わなかったのをきっかけに、超能力に目覚めていきます。そんな中、康太郎に成績をからかわれて「あんたなんか死んじゃえばいいのに」と言ってしまいます。まさかそんなことがあるわけがないと(読者も)思うのですが、まさかまさか、本当に康太郎が死んでしまい……

 

平然とネタバレしてしまうのもなんですので、あらすじはこのあたりまでで。ストーリーはそこまで複雑と言うわけではなく、彼女を利用しようとする組織の人もふわふわした感じに描かれていて、SFとしてはガチとは言えないのですが、とにかくなにがすごいと言って「少女の心理描写」がべらぼうに上手かったのです。衝撃のラストまでぐいぐい惹きこまれた物語の展開も最高に面白かったです。

 

『有閑俱楽部』一条ゆかり

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(全員集合の表紙は意外とないんですね…)

 

これはやはり「爽快」の一言に尽きます。富裕層に属し、有名政治家の子息や財閥令嬢などが通う高校の、暇と金を持て余した生徒会が舞台の物語です。主人公は6人で全員美男美女。金と地位にモノを言わせたやりたい放題の豪遊。バッタバッタと悪党を懲らしめつつ、からんだ事件を軒並み解決。優雅な少年少女版水戸黄門です。1986年度、第10回講談社漫画賞少女部門受賞(ずっと集英社で描かれているのになぜ講談社から賞をもらっているのでしょうか…かすかな疑問が。どなたかご存じの方はいらっしゃいませんか~)。

 

とにかく、ひとりひとりバラエティに富む家庭環境&超個性的なキャラクターが魅力です。一種の群像劇でもあり、時には誰かひとりに焦点があたり主人公となりながら、サザエさん方式で年も取らず、永遠に豪遊し続ける高校生たち(あれ?途中から進学しましたっけ??)。巻き込まれる事件は恋愛・政治・裏社会の抗争・各国政府がらみ・スパイ組織がらみ・オカルト関連と多岐にわたり、それぞれの得意分野を活かして解決していくのが見どころです。特に特筆すべきはオカルト関連。結構多くて、案外普通に怖いので、そのへんの(?)ホラーものよりずっと読みごたえがあります。

 

最初は『りぼん』で連載していましたが、その後『マーガレット』『コーラス』と掲載紙を移し、数話完結型で、不定期連載で長期連載なので、どこから読んでもOK。『こち亀』のように、いつまでも続けることができる漫画なので、これはある意味、漫画家の夢の漫画、でもあるかもしれません。

 

私の「推し」は本人若干地味めでご両親が目立ちすぎる(?)松竹梅魅録(しょうちくばいみろく)くん。お父さんは松竹梅時宗(ときむね)さん。警視総監です。最初は拳法の使い手でもある菊正宗清四郎(きくまさむねせいしろう)くんが「推し」だったのですが、なんとなく途中から魅録くん推しに……たぶん、メンバーのひとりである剣菱悠理(けんびしゆうり)さんと婚約したときに(婚約には何か事情があったのですが忘れました)、なんか計算高すぎて意地悪だったからかもしれません。

 

ちなみに彼ら有閑倶楽部のメンバーの名前はほとんどがお酒の銘柄から取られていることが多いです。

 

『伊賀野カバ丸』亜月裕

伊賀野カバ丸 1 | ジャンプBOOKストア!|無料マンガ多数!集英社公式電子書店

 

私は、さきほど『奇面組』『うる星やつら』が好きだったということからもお分かりのように、コメディが好きです。無類に好きです。もちろん『こち亀』も好きです。

 

でもコメディなら全部というわけではなくて、好き嫌いが滅法別れるのも、コメディなのです。ハチャメチャでも下ネタでもいいのですが、どっちかというとパロディ好き(だから『銀魂』が好きなのかも)。

 

なかでも『伊賀野カバ丸』はドツボでした。大好きだったので、大人になってから大人買いしたのですが、なんと…!

 

大人になってからは笑えなかった。

 

ギャグが古くなりすぎていました。ということは、当時は鮮度が高かったのかもしれません。とにかく野球ネタが多かったですね。鮮度が高すぎるものは年月に勝てない……それは残念ながら事実ではないかと思います。

 

忍者の修行をしているので身体能力はべらぼうに高いけれど、思慮と教養に欠け己の生理的欲望にのみ忠実な主人公、伊賀野カバ丸。いつもなんか食べてます。大好物は焼きそば。幼少期、忍者の末裔であった祖父に食べ物に関して厳しくしつけられたせいで(というか今から考えるとほぼ虐待)、食べる、と言うことに対しての執着が並外れているのです。焼きそばを食べさせてくれるなら何でもします。

 

その伊賀野カバ丸の巻き起こす騒動の数々と、彼に恋をする学園長の娘・舞とのラブロマンス&コメディ。2000年頃には、彼らの子供の世代の『伊賀野こカバ丸』も連載されていたそうです。私は後から文庫化した時に読みました。ううむ、やはり昔に比べると勢いが……きっと私の少女時代の「笑いの沸点」と年齢を重ねてしまった今の「笑の沸点」の温度が違い過ぎるのでしょう。悲しいかな。

 

その昔、昨年亡くなられた千葉真一さん率いるジャパンアクションクラブ全盛期に映画化されたことがありますね……観ていないのですが。

 

どうでもいい情報ですが、亜月裕先生は東大卒です。ごく最近、それを知りました。

 

ちなみに、大人になってから笑えなかったのは、あんなにハマった『うる星やつら』もでした。結構、悲しいんですよね、せっかく大人買いしたときに笑えないと……

 

反対に昔は全然だったけれど思わず笑ってしまうのが『パタリロ』です。

 

番外編 『妖鬼妃伝』美内すずえ

妖鬼妃伝 (講談社コミックスなかよし) | 美内 すずえ |本 | 通販 | Amazon

 

いやもう、これはもう、怖いのなんのって!

トラウマ物のホラーです。

 

『ガラスの仮面』で有名な美内すずえ先生ですが、短編も、ものすごく上手いんですよね。身内すずえ先生の漫画は、私はだいたいにおいて、よそで大急ぎで立ち読みしたりしているのですが(笑)、本当に大急ぎで読んでるので、当時はまさか、四半世紀以上経っても鮮明に内容を覚えている漫画になるとは思いもしませんでした。

 

ちょっとだけネタバレしますと…

 

ある日、主人公が友達とデパートに行くんです。帰ろうとしたら、友達が忘れ物をしたとデパートに戻るのですが、待てど暮らせど帰ってこない。その後、彼女は変わり果ててた姿で発見されます。その謎を解こうと、ふたたびデパートに行く主人公。すると、乗ったエレベータに、あるはずのない地下階が存在していたのです。そこで彼女が見たものは……

 

怖い。夢に出ます。

 

絵柄が突拍子もなくグロテスクとか、今の漫画にはそういうのが多いですけど、そういう怖さではないのです。絵柄は少女漫画ですし、別に何とも怖くない。

 

でも怖いんです。ぞぞぞぞーっと怖いんです。

 

夜思い出したらトイレに行けない系です。というか、私はいまでもデパートのエレベータにひとりで乗ったときは階のボタンを確認してしまいます。

 

美内先生の作品は、他にも『女王アレキサンドラ』が印象深いです。盲目だが美しい心を持つ王女アレキサンドラ。こちらも、従姉妹の家で読ませてもらっただけなのに、未だに内容を鮮明に思い出せます。

 

最後に、『エイリアン通り』のことは、こちらで書いたことがあるので、ご興味のある方はよかったら。

miracchi.hatenablog.com

 

ではでは、今年も「みらっちの読書ブログ」をよろしくお願いいたします。

Have a Happy New Year!【お題:今年買ってよかったもの】

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こんにちは、みらっちです。

 

2021年ももうすぐ終わり。

もういくつ寝るとお正月、ですね。

 

今日は今年のブログを納めたいと思います。

 

昨年から始めたブログ。

色々な学びがあり、出会いがあり、試行錯誤しながらも、なんとか続けてきています。

 

特に大きかったのは、春にアイコンを決めたことだったかもしれません。

 

miracchi.hatenablog.com

 

これ以後は、それまでの「身内だけで楽しめたら」というブログから、もう一歩踏み出したブログへと進化したように思います。

 

 

お題の「買ってよかったもの」。

 

今年思い切ってダウンを買い換えました。

 

昨年、10年以上着たダウンがもう明らかにヘタってダメな状態になってしまいました。

 

毎年「今年、まだ行けるかな」と襟元や袖口の汚れを落としつつ頑張ってましたが、さすがにもう汚れが取れませんでした。泣く泣く手放しました。

 

それで、通販で買うかどうか2か月くらい迷ったのですが、思い切って購入したダウンが、軽くて暖かくてサイコーです。手放したダウンがなかなかにいいお値段だったので(それで粘っていた)、新しく買うにあたっては、かなり悩みました。

 

やっと決めたダウンコート。今回は手放したダウンの半額以下のお値段でしたが、10余年も経つと衣類も進化するのだなぁと思いました。

 

急激に寒くなり冷え込んできた年末になり、しみじみと「あぁ~買ってよかった~」と思っています。

 

やっぱり「あったかい系」の買い物は、なんとなくじんわりと心まで満足感が染みる感じがします。

 

というわけで。

 

来年は、どんな本と出会い、どんなブログになっていくのでしょう。楽しみです。

 

 

今年私のブログをお読みくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

そして来年も、どうぞ「みらっちの読書ブログ」をよろしくお願いします。

 

良い年末を、そして良いお年をお迎えください✨

 

 

わりと人生を決定づけがち【少女漫画3選/小学校編】

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こんにちは、みらっちです。

 

今日は少々懐かしい、昭和の小学生女子の憧れ「少女漫画」のお話など。

 

私が小学生当時、漫画雑誌と言えば、『なかよし』『りぼん』か、という二大雑誌がありました。

 

そのほかに『ちゃお』(小学館)などもあったのですが、とりあえず、『週刊/月刊/別冊フレンド』『週刊/月刊/別冊マーガレット』方面に移行するまでには、たいてい、通る道が『なかよし』『りぼん』でした。

 

『なかよし』が講談社で、『りぼん』が集英社ですね。

 

私は小学生の頃はどちらも、ちゃんと買って読んだ記憶がありませんが、どちらかというと『なかよし』を読んでました(友達の家などで)。中学生になるとお小遣いで時々は『りぼん』を買いました。中学生における『りぼん』は、ちょっと子供っぽい選択です。お姉さんがいたり、大人びた女子はだいたい『マーガレット』『フレンド』でした。

 

ちなみに『マーガレット』は集英社

『フレンド』は講談社

 

でも、当時(1980年~1986年頃)の『りぼん』はすごかったんですよ。👈私の小中高時代。

 

なにしろ一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』、池野恋先生の『ときめきトゥナイト』第一回がリアルタイムでしたからね。岡田あーみん先生の『お父さんは心配性』などもありました。

 

実は白状すると高校生になってもたまに懐かしくてりぼんを買ったりしてたので、さくらももこ先生の『ちびまる子ちゃん』連載第一回を知っています。へーなんかこの漫画、「昭和が懐かしい、って感じなのが新鮮」と思った記憶があります。当時まだ昭和だったので。

 

中学時代は本田恵子先生の『月の夜星の朝』とか萩岩睦美先生の『小麦畑の三等星』が大好きでした。小椋冬美先生の『リップスティック・グラフィティ』はちょっとオトナっぽい感じでした。

 

と、語り尽くせぬ中学時代の漫画はまたいずれということにして、今日は小学校時代から読み始めた漫画と漫画家さんについて。

 

ちなみに私はどうも少年の心をもって生まれたらしく、男兄弟のいる友達の家に遊びに行った際は欠かさず『ジャンプ』『マガジン』『コロコロコミック』等々を読ませてもらっていました。

 

『サンデー』はちょっとオトナな感じで、読んだことがないんですが、確か『うる星やつら』『タッチ』はサンデーでしたね。この二作品は男兄弟のいる家庭にはどっちか必ずあるような名作漫画で、借りたり遊びに行って読ませてもらいました。

 

お友達の男兄弟の皆さま、その節は(たぶん私が読んでいたことはご存じなかったと思いますが)ありがとうございました。

 

それと、『チャンピオン』ブラックジャックだけ読みました。雑誌『チャンピオン』はあまり、友達のご家庭にはなかったのですが、なぜか病院とか公共機関に置いてあることがあり、あとは単行本ならところどころのご家庭にも存在したので、読ませていただきました。

 

いやもちろん、読ませてください、と、姉 or 妹である友達に頼みます。黙って読んだりはしませんが、遊びに来て読みふけっているのも何なので、ほんの1冊読ませてもらっては、また遊びに行ったときに…みたいにジリジリと読ませてもらったものでした。

 

逆に少女漫画のほうは、友達の姉妹の漫画であっても、自分の家の漫画を持って行ったりするとガッツリたっぷり、読むことができました。『ガラスの仮面』『砂の城』などはそれで読んだパターン。

 

 

『はいからさんが通る/大和和紀』

 はいからさんが通る 新装版(1)

 大和和紀先生の漫画はもう、少女時代から青春を共にしたというくらい読みました。生まれて初めて全巻そろえて買ってもらったのがこの『はいからさんが通る』でした。もう、読んだ読んだ。何十回、何百回読んだかわかりません。

 お転婆な大正時代の女性の大恋愛ストーリー。明朗快活で豪快な紅緒さんは憧れの女性でした。初恋の人であり婚約者である少尉に操を立て一途に初恋を貫く古風さがまた良いのですが、彼女を取り巻く男性陣がとても魅力的。すれ違いあり、引き裂かれる運命あり、記憶喪失あり、クライマックスは関東大震災と、てんこ盛りです。なんと紅緒さんは冤罪で投獄までされており、「牢名主」という言葉をここで覚えました。笑

 

 私は軍隊で少尉の部下だった隻眼の鬼島軍曹と、紅緒さんと結婚直前までいった編集長、青江冬星さんが好きでした。軍曹はなんと、『ガッチャマン』のコンドルのジョーがモデルだったと今回調べたウィキペディアで知りました。マジか!コンドルのジョー。ガッチャマンはおぼろげな記憶ですが、確かに好きだった……。戦隊で言えば絶対ブルー、いや、戦隊のブルーはコンドルのジョーがモデルだよねみたいな立ち位置のカッコよさ。冬星さんはミステリアスなオトナの魅力。ふたりとも紅緒に振られてしまうんですけどね。うーん、何か、既に男性の好みを見せつけられているようで怖い。

 

 編集長との結婚式の日に起こる大震災。なんとか瓦礫から這い出して少尉を思い出してしまったときの、

 

 「ごめんなさい、編集長。やっぱり少尉を想った長い年月に勝てなかった…」

 

 という紅緒のセリフまで覚えています。読んでたのは小学校2年生くらいだったけど。笑

 その後年月を経ても、小説や映画、舞台、宝塚歌劇、アニメと繰り返し制作、上演され、長く愛されている作品です。

 大和和紀先生の漫画は、他はなんといっても『あさきゆめみし』。これはもう、中学生は学校で読むべきです。できたら画集もセットで。画集がなければ表紙だけは外さずに。

あさきゆめみし 新装版(2)

 

ご覧ください、この着物の精緻な描写。全コマこれですよ。どれほどの血と汗と涙の結晶かわかるというものです。

 

全体像がわからないまま、古典を学習したところで「御簾ってなに?」「床几って?」「烏帽子の種類は?」「重ねの色あわせとは」と引っ掛かるところが多すぎてどうにもなりません。これを読めばとにかく学習がスムーズにいくこと受けあい。和歌の内容も掛詞も覚えることができます。昭和の古典漫画、最高傑作のひとつです。

 

 『天の果て地の限り』も、天智天皇と天武天皇の対立、額田王をめぐる確執など実によく描けているのでお勧めです。

 

 『ヨコハマ物語』『N.Y小町』『菩提樹』などもいいですが、私が好きなのは『アラミス78』。ドタバタコメディがたまりません。

 

 近年になるほど原作や原案ありきの作品が多くなったようで、私は『紅匂う』で祇園の花街のことを描いた漫画を読んだのが大和和紀作品の最後のような気がします。現在は大和和紀さんはどうされているのでしょうか。とにかく私の少女期を共に過ごした漫画家さんです。

 

『キャンディ・キャンディ/いがらしゆみこ』

 キャンディ・キャンディ (9) 講談社コミックスなかよし (325巻) | ゆみこ, いがらし, 杏子, 水木 |本 | 通販 | Amazon

 

 これはもう、少女漫画の金字塔と言うべき作品。この後の『ジョージィ!』はコドモにはちょっと刺激的・衝撃的だった印象があるのですが、『キャンディ・キャンディ』はまさに王道を行く漫画で、アニメ化もされたのでテレビにかじりつくようにして観ていました。主題歌はもちろん今も歌えます。

 いがらしゆみこ先生は版権をめぐって原作者と裁判になり、結局双方の合意なしには商品として販売ができないということになったようで、現在最初の単行本が古本で高値で売買されている以外はこの世に存在しないという希少本になっているそうです。さらにいがらしゆみこ先生は、その後アダルトな方向へと転換してしまい、少女漫画家としての活躍時期は短かったようです。

 おぼろげにおぼえているストーリィは、当時の少女漫画としては画期的だったのかな、と今になって思います。思えばもうすでにアダルトな片鱗があったのかも。

 アメリカの孤児院で育って名家の養女になり、その後イギリスの寄宿舎に行ったり、紆余曲折を経た後、家を出て恋をして、看護婦として自立していく女性の話でした。王道のハッピーエンド。

 特に孤児院を出て養女になったあたりのいじめが壮絶で、そこがガツンとコンクリートの杭みたいに心に刺さった記憶があります。

 今考えると、アメリカの片田舎でスコットランドの民族衣装でバグパイプを吹くとか、どんだけ突飛な登場だったのかと思いますが、バグパイプを吹いていた「丘の上の王子様」に初恋をしたキャンディ。その王子様だと思い込んでいたアンソニーの「キツネ狩り」の時の死。めくるめく怒涛の展開。キャンディに対し、男性はたいてい優しく、女性はかなり当たりが厳しい。笑

 強烈に苛め抜いてくる男女のきょうだい、ニールとイライザという名前もまだ憶えています。ニールなんか年頃になってからもストーカーになってキャンディを苦しめてましたね。怖いわ~

 

 忘れられないのが、孤児院で一緒に育ったアニーのことです。

 アニーは先に富豪の家に引き取られて行き、しばらくキャンディと文通をしているのですが「孤児院にいたことを知られたくないから」と文通を断ってきます。孤児院から富豪に引き取られた理由も「大人しくて可愛らしい」からだし、なにか子供心にモヤモヤしたものを覚えていました。その後、キャンディが引き取られた家にたまたまアニーが遊びに来ることになって、この家のいじめっ子、ニールとイライザにアニーが陥れられそうになったところをキャンディが救います。それなのにアニーは震えながら黙ってるだけ。キャンディの無実を証言してくれません。最後に帰宅するときに馬小屋にリボンを結んで、それをキャンディへの謝罪にするのです。キャンディはそのリボンを胸に抱いて「アニー…」と思いを馳せるのですが、子供の私にはアニーに対して、憤りを禁じえませんでした。養女だから遠慮しながら生きていたのでしょうが、それにしてもあまりにもひどいんじゃないか、イライザより底意地が悪いのではないか、と思った記憶が鮮明。笑

 今回その時のことを調べていたら、同じように感じていた人が沢山いたことがわかりました。そうだよねぇ‼

『花ぶらんこゆれて…/太刀掛秀子』

 花ぶらんこゆれて… 4 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL) | 太刀掛秀子 | 少女マンガ | Kindleストア | Amazon

 3番目には、候補が沢山ありすぎて、迷いました。『ベルサイユのばら』『王家の紋章』『ガラスの仮面』『悪魔の花嫁』『有閑俱楽部』『生徒諸君!』

 いやでもやっぱり、小学生のころは太刀掛秀子先生が好きだったんです。ハーフに生まれ、金髪碧眼でいわれなくいじめられる主人公。途中失明するも視力を取り戻して恋も成就しハッピーエンド。

 最初のページが赤ん坊を置き去りにする金髪の女性で、衝撃的でした。

  絵も綺麗で、大好きでした。

 しかしとにかく、主人公の周辺の人間模様が凄まじかったですね。嫉妬や葛藤、プライド。それぞれの立場では仕方がないのかなと思えるような積み重ねが、主人公を絶望の淵に押しやっていきます。特に義理のお母さんの心理描写とかが、少女漫画にはヘビーとも思える内容でした。

 『花ぶらんこゆれて…』以外には『まりのきみの声が』も好きでした。

 まりのきみの声が(後) (りぼんマスコットコミックス) | 太刀掛 秀子 |本 | 通販 | Amazon

 『まりのきみの声が』の中に、安房直子さんの『きつねの窓』というお話が出てきて、それがきっかけで安房直子さんの本を読んだりしました。

 太刀掛先生、結婚されてご主人の都合で海外生活が長いらしいです。

 

番外編 『青い宇宙のルナ』

青い宇宙のルナ』(あさぎり 夕)|講談社コミックプラス

 

『なかよし』発の、私の中で忘れられない作品がこちら、あさぎり夕先生の『青い宇宙のルナ』。SF作品で、あさぎり先生の初の単行本だそうです。『きらら星の大予言』という作品も好きでしたが、私はこの『青い宇宙のルナ』がダントツで唯一無二。

 

あさぎり夕先生はしばらく『なかよし』で漫画を描かれた後、BLに転向されて、しばらくはラノベ小説やBL小説・漫画などを描かれたそうですが、その時期の活動は残念ながら全く知りません。しかし2018年に死去されたことを知って驚きました。漫画家さんは短命な方が多くいらっしゃいます。残念です。

 

というわけで、独断と偏見に満ちた少女漫画3選(と番外編)でした。小学校編なので、次は中学校編!いつかは、わからないけど!

エッセイの師匠5【銀河を渡る/沢木耕太郎】

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こんにちは、みらっちです。

 

少し間が空いてしまいましたが、文章、特にエッセイを書くにあたり、影響を受けた作家さん。

 

今回は、沢木耕太郎さんです。

 

なかなか、出てこないなぁと思っていた方もいらっしゃるかもしれませんね(いないか)。沢木耕太郎さんは現代を代表するエッセイイストのおひとり。

 

以前、ちょっとだけ『流星ひとつ』のところでご紹介しました。

miracchi.hatenablog.com

 

沢木耕太郎さんといえば「旅」「スポーツ」

 

50代以上の方の中には、若いころ沢木耕太郎さんの『深夜特急』に影響を受けて彼に憧れ、バックパックを背に世界を周る旅に出た、という方も多いかもしれません。

www.kinokuniya.co.jp

実は、沢木さんの本を初めて読んだのは、まさにそのような形で強く沢木さんに憧れた夫が、私に『一瞬の夏』を貸してくれたのがきっかけでした。それもまたひとつの青春の思い出と言えるかもしれません。

www.kinokuniya.co.jp

夫とは二十歳そこそこで出会ったのですが、二十歳そこそこの男女がそうして『一瞬の夏』を貸し借りしあうのはある意味あの時代の青春でありましょう。初々しい話です(と、他人事のように思い出す50代の私。笑)。

 

そういうわけで、今はどうかわかりませんが、夫は当時、沢木耕太郎さんの熱烈なファンでした。沢木さんの本は沢山持っていましたし、私も自然に読むようになりましたが、私自身はそこまで沢木さんに傾倒するようなことにはなりませんでした。

 

だいたい本であれミュージシャンであれアニメであれ「ものすごいファン」がいて、その人から紹介されて自分も好きになったからといって、後からはその領域にずかずか踏み込んでいけない、ということって、ありませんか。あの「タッチの差」みたいなのはなんでしょうね。

 

紹介した方も、紹介された側が気に入ってくれて、共通の話題が増えたことは嬉しく思うのだけれども、「最初に発見して紹介したのは自分」みたいな奇妙な気持ちを感じたりするものです。特に、紹介された側の方が夢中になってしまって、あまりに強い愛情を表明するようになると、複雑な感情が沸き起こってきたりします。

 

これがリアルな男女になると、

 

あなたに彼女あわせたことを

わたし今も悔やんでいる

ふたりはシンパシィ感じてた

昼下がりのカフェテラス

by「悲しみがとまらない」杏里

 

 

みたいなことに発展したりしてしまうわけです。

人生狂わすほど大好きなものを人に紹介するときは要注意。笑

 

おっと。話がそれました。

 

そんなわけで、沢木さんの本には親しんで青春を過ごしたわけですが、社会人になり仕事も忙しくなると、夫も私も特に新刊を追いかけるでもなく、時を過ごすことになります。

 

ときおり、新聞のコラムや雑誌などで見かけたり、あとは新幹線。新幹線でJR東日本の車内サービス誌「トランヴェール」『旅のつばくろ』という連載コーナーがあり、それを読むのが楽しみでした。

www.jreast.co.jp

『旅のつばくろ』は、『深夜特急』の前、16歳の時に初めて旅に出た先が東北だったということで、改めて東北地方を旅してエッセイを書く、という趣旨だったと思います。

www.shinchosha.co.jp

そんな感じのおつきあい(?)を続けていた沢木さんと、久しぶりに濃厚な再会を果たしたのがこの本、『銀河を渡る』

www.kinokuniya.co.jp

2018年刊です。

25年間で書いたエッセイを自選してまとめたもので、「歩く」「見る」「書く」「暮す」「別れる」という章立てになっています。それまでにも十年ごとにエッセイ集を出していて、三冊目のエッセイ集ということになります。あとがきによると、前回のエッセイ集にあった「読む」に分類される書物関係のエッセイは多すぎるので別の本にまとめ、「会う」というエッセイは少なくなったので除外したとのこと。それには、人に会うことより「別れる」ことが多くなった自分のライフスタイルの変化が関わっているのだろうとご本人がおっしゃっています。

 

このエッセイ集、最初に読んだときは、ちらちらと見て「ああ。懐かしい沢木耕太郎さんの文章だな」と思い「あとでゆっくり読もう」と積読にしてしまいました。

 

阿刀田高さんのところでもお話ししましたが、私はエッセイをちょっとした隙間時間、仕事と仕事の間に読むことが多いのですが、沢木さんのエッセイは、どうかするとやめられなくなって「隙間」に対応しきれなくなるので警戒心がありました。

 

あるときふと「まあちょっとだけ読もうかな」と思って手に取り、普段は目次などに目を通し、基本的には1ページ目から読むのですが「まあちょっとだけ」と途中をランダムに開けて読みました。

 

するとこれがまあ、面白いし、いい気分転換になり、とりあえず1つだけ、というのも悪くなく、それからはその辺に置いておいてちょこちょこ、読むようになりました。

 

そんな読み方をすることはあまりないので、同じような場所を開いては「あ、これ読んだ」「これはまだだった」というようなことも出てくるのですが、ある時、ハッとすることがありました。

 

「別れる」のところで、高倉健さんの追悼で書かれたエッセイがあったのです。

 

なんという失態!気づかなかった。

 

というのも、『深夜特急』文庫版の2巻に、高倉健さんとの対談が納められているのですが、そのときの高倉健さんとの不思議な交流がなんとなく忘れられず心に残っていたからです。その対談のタイトルは『死に場所を見つける』(1984年に雑誌平凡パンチに掲載されたものの再録)。

 

こんな形で「別れ」のエッセイになっていたとは。

 

『銀河を渡る』に収録されたエッセイのタイトルは『深い海の底に』

どちらも読んだら、このふたつのタイトルの意味深さに鳥肌が立つほどです。

 

別れは2014年におとずれ、エッセイは2015年に書かれています。

 

おふたりの出会いは不思議なものでした。

 

ボクサーのノンフィクションを手掛けてきた沢木さんは、モハメド・アリの最後の試合を見届けたいと思いましたが、迷っているうちにチケット争奪に出遅れてしまいました。相談したのが、高倉健さんと共通の知り合いであった林さんという編集者の方。そうしたところ、なんと高倉さんがチケットを譲ってくれることになり、沢木さんはアリの試合をラスヴェガスまで見に行くことができました。

 

高倉さんにお礼をしたいと、沢木さんは高倉さんのためだけにアリの試合の観戦記を書くつもりで、長いお手紙を書いたのだそうです。その手紙に感動した高倉さん。いつか沢木さんと会ってみたい、沢木さんとの仕事だったらいつでも受ける、と周囲にも常日頃言うことで、何年かのちに本当に対談が実現します。

 

それからは個人的に親しくお茶を飲んだりお話をしたりするようになりました。作家と映画俳優のおふたり。いつか力を合わせてなんらかの作品をつくりたい、と思うようになるのはとても自然なことです。

 

しかし実際に「作りたい映画」ということになると二人の思惑にズレがあり、次第に疎遠になっていったのだそうです。ふたりともひとかどの分野での熟練者であり、それぞれに相手に対するイメージや期待と、自分のこだわりがどうにも摺り合わされないという、よそからみているとなんとももどかしい、ああさもありなんと思うようなエピソードが書かれていました。

 

『深い海の底に』は、沢木さんが理想とする高倉健さんのイメージで描いた『波の音が消えるまで』という作品が本として出来上がる寸前に高倉さんが亡くなって、間に合わなかったという無念や後悔と、やはりこの作品は、自分の思惑、自分の理想が結実したものだから、現実的に高倉さんが演じるものではなかったかもしれないという諦観とがないまぜになった物になっています。しかも高倉健さんを主演にした映画にこだわり続ける沢木さんに対し共通の知り合いである編集者の林さんが「もういいじゃないですか。やすませてあげませんか」とおっしゃったそうで……グッときます。

 

それにしても思うのは、この人と人が出会う不思議さ、奇跡、のようなものが、沢木さんの身には通常では考えられないほど数えきれなく起こっているということです。

 

沢木さんは『銀河を渡る』のあとがきでこのように書いています。

 

だが、二十五年という、そう短くはないこの年月の中で、変わらなかったことがひとつある。それは、常に私が移動を繰り返してきたということだ。ここではないどこかを求めて、というほど初々しくはないにしても、こことは異なるどこかへ行きたい、という好奇心が消えうせたことはなかった。それが私に繰り返し海を渡らせた。

                          『銀河を渡る』

 

 ここではないどこか、という言葉を聞くと私はいつも、トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』の中の忘れられない言葉を思い出します。

 

 「私の頭の中には、いつもここではないどこかがある。そこは何もかもきれいなところで、たとえば誕生日の子どもたちのようなところ」

 

 かつて図書館で読んだので、正直、その言葉通りだったかどうか、記憶が覚束ないのです、違っていたらすみません。ただその印象的な言葉だけは強く私の記憶に刻まれています。自分の中にも常に「ここではないどこか」を夢見る気持ちがあることに気づかされたからかもしれません。

 

 しかしただ夢見るだけではなく、沢木さんは本当に「ここではないどこか」を求めてどんどん、行ってしまいます。その結果、「自分でも奇妙に思うのだが、私は旅に出ると本当に不思議なことに出会う」(「セントラルパークにて」)と言うことになるのだと思います。なんなら彼の人生は旅そのものなので、常に「ここではないどこか」や「奇妙で不思議なこと」を引き寄せてしまうのかもしれません。

 

余談ですが、トルーマン・カポーティについては、このエッセイ集の中にも『犬は吠える』というカポーティの本を大事にしている、という話が出てきます。このタイトルは「犬は吠える、がキャラヴァンは進む」というアラブの諺から来ているそうで、その時に引用したカポーティの言葉がこちら。

 

私はよくこの言葉を思い出した―――ときにはおめでたいばかりにロマンティックに、自分を遊星のようなさすらい人として、サハラ砂漠の旅人として夢想しながら。

 

沢木さんは、この言葉によって「犬の吠え声が気になっても、進まなくてはならない」と励ましを受けていたのだ、とこのエッセイを結んでいます。(「キャラヴァンは進む」)。 

 

ほんっとに…根っからの……

 

旅人なんだなぁ!!

 

沢木さん自身の「過去」とリンクしたり、これまで出版した書籍と繋がったりということは、これらのエッセイだけではなく、この『銀河を渡る』に掲載されたエッセイ全体に言えることで、それは、沢木さんのエッセイ集なのだから当然なのですが、かつて沢木さんの作品を読んだ「わたし」の過去や記憶ともリンクしていたりして、まさに銀河の中を旅するような、不思議な感覚にとらわれます。

 

そしてまた、『旅のつばくろ』というタイトルを目にしたときも思いましたが、沢木さんもまさしく「地球人」のひとりだ、と思います。つばめは渡り鳥ですもんねぇ。

 

私は沢木さんのエッセイを読むたび、日本を、世界を、地球を、銀河を旅しているように思います。そんなふうに誰かを「ここではないどこか」に連れて行ってくれる沢木さんの文章は、どこか硬質な、矜持といったような言葉に相応しい、なんとなく脇差でもさして歩いているかのような「かたくなさ」を保持していながら(そういえばどことなく『銀河を渡る』の表紙の藤田嗣治の絵がそんな感じ)、それでいてリアルで、決して夢想的ではないのです。

 

芥川龍之介っぽい眼光鋭いイケメンでいらっしゃるのに外側は着飾らない。それでも内側に秘めたダンディズムがちらちら見える。今でいう、ツンデレな感じが、そこはかとなく漂います。かと思えば軽い荷物ひとつでふらりとどこかに行ってしまうような、自由な軽やかさ。その生き方が見事に昇華されている文章が、人々を魅了するのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はたをらくに【極主夫道/おおのこうすけ】

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こんにちは、みらっちです。

 

ワタクシ現在、専業主婦です。仕事を辞めてあれこれあって、この先、外でお仕事ができるかちょっとわかりません。昨今、いくら年齢制限が外れてきたとはいえ、中年以降の就職はやはり厳しいと言わざるをません。ですので今回この「はたらくをテーマに」というお題に参加していいのかどうか、非常に迷いました

 

いろいろと複雑な思いがありますが、読書ブログらしい参加ができたらと思い、チャレンジしてみることにします。

 

きょうび、専業主婦(主夫)の代表といったらこの方、『極主夫道』の不死身の龍(たつ)さん

 

www.kinokuniya.co.jp

 

アニメ化・ドラマ化もしています。伝説のヤ〇ザ、「不死身の龍(たつ)」。ヤ〇ザから足を洗って主夫になり、その道を極めていくストーリー……

 

と、思いきや、滅法笑えるギャグマンガです。龍さん、任侠の世界しか知らないので、どうしてもその世界をベースに物事をとらえてしまい、世間様とズレが生じてしまいます。そのズレを発端に事件が巻き起こるのですが、オチがないのがオチ、という感じの、毎回最後はどこかポカンと突き放されるところに独特な面白さがあります。

 

アニメは津田健次郎さんが声をやっていて、ハマり役。ドラマは玉木宏さん主演で、漫画・アニメの夫婦二人暮らしの設定から、子連れシングルマザーと結婚して連れ子がいる家族設定になっています。

 

bunshun.jp

 

この漫画、どこが一番魅力か、というと、自分の仕事に喜びと誇りを持っているところだと思います。そして主婦業を楽しんでいます。柴犬の可愛いエプロンにもこだわりと矜持があります。

 

龍さんは、元々真面目なので真面目に組に尽くし、伝説を作るほどの大立ち回りをしていたのですが、ある出来事があって足を洗うことになります。その時、助けてくれたのが今の奥さんの久美さん。

 

自分を救ってくれた奥さんを大切にしながら、だからといって奥さんのためだけに働いているわけではありません。確かに元反社会的勢力の方ということで、普通に就職できない事情はあるのですが、家庭の仕事に精一杯の力を注ぎ、工夫を重ね、社会ともどんどん接点を持って、主婦友もたくさん作って、町内のことにも積極的に参加をしています。そして組としては解体してしまった元組長一家も堅気の世界に巻き込んで、いつしか、いろいろな場所で龍さんが「必要」とされていくようになっていきます。

 

龍さんはよく、自転車で奥さんにお弁当を届けるときや、買い物に向かう途中に警察官に職質されるのですが、「何してるの」「どこ行くの」「職業は?」という質問に

 

専業主婦です

 

と堂々と言うのが爽快です。その後、警察官にスーパーのお得クーポンをあげたりしています。

 

専業主婦にとっては、これは本当に「よくぞ言ってくれた龍さん」と思う台詞。

 

というのも、漫画の世界ではそんな風に多様なはたらき方や生き方を楽しむことができても、おおかたの専業主婦は、こんなに胸を張って「自分は専業主婦だ」と言えないからです。

 

実際「専業主婦はチート(ズル)」だと思っている人が少なくないのではないでしょうか。少なくとも専業主婦の多くは、何かしらのそういったバッシングにはあっているので、肩身が狭い思いを抱いています。私自身も、無邪気に、あるいは多少の嫌味をもって、いろんなことを言われてきました。

 

そんなわけで私も「お仕事は?」と聞かれたら「あ、今はしてないんです」と答えます。今は、たまたましていないだけということを強調してしまいます。

 

だって世間様からすると、専業主婦であることは外で仕事をする能力がない人がやる恥ずかしいことで、人前で言うことは憚(はばから)れることみたいなのです。自分の親が専業主婦だと、バカにする子供もいると言います。

 

龍さんのように、堂々と言うことに、どうしても抵抗があります。自分が誇るに足る「主婦としての仕事」を全うしてない、ということもあると思いますが。

 

冷静に考えてみましょう。

 

「専業」の何が、チートのイメージを作り出しているのか、というと。

 

世帯の誰かの収入に依存している。給料をもらっていない。

 

仕事内容には特別な資格もいらず、誰でもできる仕事である。誰もがすでにやっていることである。

 

主婦(主夫)をしながらパートやアルバイトで収入を得ている人がいる。

 

 

つまりは、「人の収入で家にいるのは楽をしているから悪という思いが、人々の意識の中にあるんじゃないかなぁと思うのです。

 

龍さんなら、

 

主夫舐めとったらあかんぞ

 

といって庇って(すごんで?)くれるのですが、この世は今、「働かざる者食うべからず」至上主義の時代。

 

機会均等法以来、女性が社会に進出するのに伴って、専業主婦は蔑まれてきました。世代が下になればなるほど、専業主婦に罪悪感を感じる人が多いという調査もあるようです。

 

prtimes.jp

 

かつて「主婦」は、職業欄に「無職」と書かなければなりませんでした。それでも昭和の前半くらいまでは、働く場所の少ない女性たちの「永久就職先」として「結婚して家庭に入る」という選択肢は輝いていました。同じ職場で結婚もせず働くと「オールドミス」とか「お局様」と言われてしまいますから、たとえ就職したとしても結婚したら退職し、家庭に入るのがスタンダードな生き方とされていました。「専業主婦」は憧れであり、当り前であったのです。ですからこの世代の女性に「専業主婦」が蔑称だという意識はないと思います。

 

しかし時代は変わって現在は共稼ぎが主流です。一時期は「主婦の仕事はシャドウワーク。マルチタスクで大変な業務。報酬換算すればかなりの金額になる」という意見が聞かれたこともありますが、最近は、自分の一生の仕事を全うしたいという女性たちが生涯働くことができる職場が沢山あり、そういう話もとんと聞かなくなりました。ダブルインカムによって生活も安定しますし、余暇も楽しむことができます。一方に問題が起こっても、もう一方の収入で生活を立て直すこともでき、セーフネットとしての機能もあります。そんな中で専業主婦を選ぶというのは、人ひとりを遊ばせるお金があるということか、働きたくないというわがままでしかない、意義もへったくれも見いだせないという意見があるのは、理解できます。

 

昭和前半世代の「夢はお嫁さん」には「長男に嫁いだら産んだ子供は家の子、親の面倒は込み」というところがあったでしょうが、現在の専業主婦のイメージはこんな感じ。

 

「超~楽そう」

「働かないで家にいるんだから、セレブだと思う。そんな生活したい」

 

うん。わかります。そういうイメージ持たれるの、わかります。わかりますけど、この世界にあるあらゆる仕事に対して、外側から「楽そう」と思う人は、自分勝手な基準でしか物事を推し量れない、あまり想像力が無いということだろうなと思います。

 

世の中、自己実現のために自分の夢を叶えて好きな仕事ができる、という人ばかりではありません。挫折し、夢破れ、意に染まない仕事を生活のために何十年もしている人もいれば、外で働けない理由がある人も、おおぜいいます。

 

想像力を持ってほしい、と願います。

プリーズ、イマジン。

Imagine all the people
Living for today...

 

育児や看病や介護をしていたり。

家族の転勤の繰り返しでなかなか職につけなかったり。

病気と懸命に闘いながら家にいるひともいます。

不死身の龍さんのように、過去のある人も。

 

家庭にはそれぞれ、固有の事情が存在します。

 

専業主婦(主夫)も、家族の中で話し合い、可能な形態を最適化した末に選んでいる「はたらき方」のひとつだと思うのです。

 

一日中ゲームをしている、とか、昼夜なく寝ている、ということであれば確かにそれは「怠け者」かもしれません。会社ではたらいていても、営業先に行かずスマホゲームをしている人もいるかもしれないので、怠け者はどんな仕事についていようが怠け者かもしれませんが。

 

まあ普通は、自分の職務を果たそうと努力していると思います。

 

「家の仕事」はキリのない永久に永遠に続く無限ループ作業の連続で、探せばいくらでもやることがあります。生活というのは、細かなそういう現実が積み重なって出来ています。共稼ぎの方々であっても、どちらかが分担してやらないと、生活が回らなくなってしまう「家の仕事」は存在します。

 

もちろん、専業主婦という働き方がいいとか悪いとか、そんなことを言っているのではありません。

 

少しだけ立ち止まって「この人も自分とは違うはたらき方ではたらいているんだろうな」ということに想像を巡らせたら、あえてバッシングすることもないんじゃないか、と思うのです。

 

また、こちらのテーマに対して異議を唱えるわけではありませんが、フリーランス、にたいして、自由、という言葉をくっつけるのを聞くと、反射的に疑問符が浮かびます。


報酬を受け取る仕事でフリー=自由な仕事なんてないと思うからです。

 

こんな私でも、かつては外で働いたことがあります。

 

どんな仕事でも、顧客や、支払いをしてくださる・サービスをする相手がいる以上、相手を満足させなければなりません。いつ、どこで、どんなことをするかを、自分が決められるものではないと思うのです。

 

自由、フリー、ときくと、まるで自分がすべてコントロールできて「楽」「楽しい」みたいな錯覚をしてしまいそうで、懸念を抱きます。自由って孤独でキツいものだと、私は思います。「自由でフリーでしょう」と思われがちな専業主婦だからこそ、そう思うのかもしれません。

 

人としても半人前な自分が偉そうに言うことではないのは重々わかっておりますが、はたらく、ということは「はた(傍)」を「らく(楽)」にすることであって、自分が楽することではないんじゃないかなと思いますしかし「はた」が「らく」になれば、おのずと自分も楽に、楽しくなるんじゃないかと思ったりするのです。

 

専業主婦も「はた」を「らく」にする仕事のひとつなんじゃないかな、なんて……笑いながら『極主夫道』を読むたびに、そんなことを考えている今日この頃なのでございます。

 

 

 

 

 

 



 

コロナ禍、何を読んだか、何を読むか vol.2【日本古典と感染症/ロバート・キャンベル編】

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こんにちは。みらっちです。

 

コロナ禍、何を読んだか。何を読むか。

2019年~2021年に読んだ本のまとめ、第二弾です。

 

この状況下で起こっていることに興味があり、できるだけ事象に関連したり、学ぶことができる本を読みたいと思っていました。その記録になります。

 

今回は、第一弾では入りきれなかった本を取り上げたいと思います。

 

紀伊国屋書店のリンクが多いのは、私はアフリエイトやAmazonアソシエイトなどをやっていないので、あえてAmazonでないところから持ってきた、ということだけで、深い意味はありません。

 

日本古典と感染症/ロバート・キャンベル編

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こちらは本当~に面白かったです。米国出身の日本文学者で東京大学名誉教授のロバート・キャンベルさん。私生活では何年か前に長年のパートナーだった男性と結婚し話題になりました。専門はウィキペディアによると近世文学から明治期文学、特に江戸中期から明治の漢文学・芸術・思想に関する研究だそうで、普通に考えて、外国でその国の言語に精通し、さらにその国の古典を研究するだけでもすごいのに、数多くの著書を出版し、その国のアカデミズムの中枢で活躍できるとは。尊敬いたします。英語ひとつまともに話せない自分が消え入りたいほど恥ずかしくなります。

 

ロバートキャンベルさんは『感染症で繋げる日本文学の歴史』という総論に近い論文を最初に書いておられますが、他にも14の論文が入っており、それらがだいたい年代順に配置して編集してあります。中でも驚いたのがディディエ・ダヴァンさんというフランス出身の方の『神々の胸ぐらを掴んで――感染症と荒ぶる禅僧のイメージ』という論文です。そもそもロバートキャンベル氏と同じ様に、他国の古典をこれほどまでに深く研究できることが驚きですし、国文学研究資料館准教授として著書を出版しご活躍されているとは。専門は仏教の文化的影響だそうで、私の興味のあるテーマでもあり非常に魅力的な論文でした。

 

文学を通して、日本人がどんなふうに感染症の脅威と闘い、受け止めて来たのかということがそれぞれの専門家の目を通してうかがい知ることができ、医療系の本とは違う、新鮮な方向から物事を知ることができます

 

「古典」といって、結構タイトルだけで知った気になってしまっていますが、国語の教科書以外に書籍にあたることはほとんどないですし、おそらくは論者の方がたも一般にとっつきやすく、わかりやすいように比較的知名度のあるテキストを選んでくださってると思いますが、知らないことだらけ。特に「方丈記」などは全編読んだことは無かったので、養和時代という災害と二次災害ともいえる感染症の蔓延に悩まされた時代を、めっぽうクールな視線で描いたものだったのだなと認識を新たにしました(『方丈記』「養和の飢饉」に見る疫病と祈り)。

 

昔はただただ、祈るしかなかった側面もありながら、どんな時代も人と疾病の闘いがあり、なんとかやり過ごそうとしたり、対策を講じようとしていたことがわかります。その時々における政治や人間社会の在り方にも左右されながら、悲劇を乗り越えてきた先祖の歩みに思いを馳せずにはいられません。

 

感冒の床から/与謝野晶子

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大正の文学者、与謝野晶子。歌人で作家で思想家です。『明星』デビュー、『青鞜』創刊号に詩を寄稿、パリ渡航、文化学院創設と当時の女性としては珍しい、華々しい活躍をしています。『みだれ髪』、日露戦争時の『君死にたまふことなかれ』、『源氏物語』の現代語訳が有名です。夫は歌人・与謝野鉄幹。略奪婚の末、13人妊娠し、6男6女を出産、1人生後まもなく亡くしています(双子を2回産み、2回目の時1人死産。この出産の後、鉄幹を追って子供を置いてパリに行ってます。年子もいます。ちょっとキラキラネームみたいな名前を付けたりもしてます)。里子に出した子も1人いたようです。10人ワンオペ育児(さすがに誰か助けていたんじゃないかと思うんですけど。近所の人とか。そんな話は出てきませんが)。鉄幹の仕事がないときは自分の原稿料で家族全員養うという、どこからそんなエネルギーが?という女性です。しかも鉄幹はそんな中でも浮気。相当エストロゲン過多な男性だったようですね。

 

そんな中、なんとスペイン風邪も経験していたとは。もう何と言ったらいいか。まあでもそんなこと、晶子さんのパワーにおいては屁でもない。かと思いきや、やっぱり大変だったみたいです。その時の経験を書いたのが、『感冒の床から』。スペイン風邪大流行は大正7年から10年の間なので、当時晶子さんは大正6年に39歳で生んだ子を亡くし、大正8年に41歳で最後の子を出産しています。上の子はハイティーンだったと思いますが、基本的に年齢の低い子供だらけ。実際に二年目には家族で罹患し、さぞかし大変だったのだろうと思うのですが、晶子さんは当時の政策や国際情勢にひとこと申す、という感じ。

盗人を見てから繩を綯うと云うような日本人の便宜主義がこう云う場合にも目に附きます。(kindle版)

学校は予防的な措置を何も取らないで、ほとんどの学童生徒が罹患してから何日かの休校をしただけ。米騒動では5人以上集まることを禁ずることを直ちに命じたのに、政府はなぜ、大勢の人が集まる場所の制限をしないのか、新聞を通じて「人の集まるところに行かないように」というばかりで、学校は子供たちに注意するだけでなんになろうか、社会的施設に統一と徹底の無いために国民が避けられるべき禍を避けられずにいる、と言っています。また、貧しい人は薬も買えずに辛い目に合うばかりで、倫理的に不合理ではないかとも説きます。(「感冒の床より」)

 

寄稿文は「感冒の床より」を含め、時系列で四篇。

 

自分たちは予防接種をしてうがい薬や学校を休ませるなど生活の中でできるだけの予防をして生きている、そのうえで罹患して死んでしまってもやるべきことをやっての死なら致し方ない、親として、また自己愛に執着しているのはまだまだ無責任、全人類のことを考えると責任は複雑になるものだ(「死の恐怖」)と語り、予防法に関してはうがいを励行し、特別な予防接種をしている(どんなワクチンだったんだ…)と書いています(「治療と衛生」)。この時与謝野家に医師として予防法をアドバイスした鉄幹の甥が、翌年ベルリンに留学してスペイン風邪で亡くなった、という記述も見受けられます。この最後の1篇では、人の命のもろさを思わずにはいられない、でもアタクシには養わねばならない子が11人いるの、絶対死ねないの!!!(もちろんこれは意訳)という熱い思いが率直に書かれています(「死の脅威」)。

 

あれから100年。少しは良くなったか、と思う部分と、いやぁ、変わらないなと思うところが何か所も出てきて興味深いです。

 

ワクチン・レース/メレディス・ワッドマン著

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こちら。面白いのに文章自体がちょっと読みにくかったです。もともとの著者の問題なのか、構成の問題なのか、翻訳の問題なのかわかりません。群像劇のようにワクチンに関わる沢山の人物が出てくるのですが、ワクチンの開発をめぐる攻防と黒歴史のテーマはすごく面白いのに、焦点の当て方が移ろいやすく、時系列も急に飛んだりするので、もともと知識がない人間にとっては自分がどこにいるか定点を見失い、ブレてしまうのです。ひょっとしたら素人が読んでわかるようにと随所随所で解説が丁寧すぎるのかもしれません。読み終わると、なんかちょっと、船酔い気分です。

 

岩田健太郎氏の解説にホッとします。そしてダイアモンドプリンセスの時に岩田氏がバッシングされたことが本書の内容と絡み合って想起されます(解説の中にも出てきます)。そしてふと「私が子供の頃打ったワクチンって、相当ワイルドなもんだったんだな」と思いいたります。生ワクチンとか、MMRとか、息子も接種しましたが、息子の代はまだしも少し、進化していたようです。

 

 そのひとつひとつのワクチンができるまで、動物実験は当然のこと、中絶問題が絡んだり、人体実験に近い人種差別的な治験が行われたりと、人類の叡智の光の陰に、こんな黒い歴史があったとはああでも、おかげで私、今も生きてる。今生きている人は、打った人もそうでないひとも、ワクチンの恩恵を受けていない人がいないということがわかります。

 

 今のあらゆるワクチンの礎を作った人、つまりこの本を通しての主人公レオナルド・ヘイフリックが、人間の「老化」研究にも刺激を与えていると知り、確かに彼の功績はもっと知られていいのではないか、と思いました。そしてまあ、ワクチン先進国の欧米の国々においても、お金と名誉が絡んだ足の引っ張り合いの多いこと多いこと。また、盲信と正義感で事実に目を向けられなくなっている人による妨害の凄まじさ。それらによってこうむった科学の後退や損失は計り知れないと思います。

 

一般の日本人は、ヘイフリックの名前を知る人は少ないのではないかと思います。私もこの本を読むまで全く知りませんでした。そもそも、沢山のノーベル賞受賞者を輩出していながら、日本人はあまり研究内容に興味がないように思います。例えばワクチンに関しても、忌避の原因はムードであって自分から仕組みや歴史を学ぼうとはしません。素人は難しいことわかんないし、餅は餅屋、お勉強している賢いお医者様にお任せが世の習い。特に近代科学に関しては、資本主義と切り離せない商売っ気があるので、アカデミズムが好きな日本ではそれを敬遠する傾向にあるのではと思います。いっぽうで日本の医師や科学者は「外国に比べ遅れを取っている」と常に煽り・自嘲気味です。確かにこの本を読む限りにおいてもどう考えても日本は完全に置いてけぼり感がありますが、それに焦る科学者や医師にも「追いつけ追い越せ」の富国強兵とか高度経済成長の名残を感じてしまいます。

 

あらゆることがお金儲けとマウント取りレース。でも救いは、そんな中でも人類が新しい技術を手に入れ、人間に害を及ぼすものと闘い続け、着実に克服していることです。根気強く、粘り強く、不屈の魂で自身の研究を貫く人がいることです。ワクチンレースは確かに人間同士の争いもそうですが、人間とウイルスとの闘いでもあります。この時代に生きる自分をとりまく医学的僥倖の陰には、たくさんの犠牲があったことを忘れずにいたいと思います。

 

 

エッセイの師匠4【食べる/ドリアン助川】

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こんにちは。

みらっちです。

 

前回に引き続き、文章、特にエッセイを書くにあたり、影響を受けた作家さん。

 

ミュージシャンの方が書くものに、非常に心惹かれます。

 

古くは中島らもさん、町田康さん大槻ケンヂさんのエッセイにも衝撃を受けましたし、星野源さんもなかなかになかなかなんですが(わ~。並べただけで、濃いラインナップ……)。

 

ここはひとつ、ドリアン助川さんで。

 

若い頃、たぶん何かの雑誌で初めて、ドリアン助川さんの存在を知りました。

 

だから最初のころのドリアン助川さんの印象は、「すごい詩人」でした。「叫ぶ詩人の会*1」の名に恥じない強烈で爆発的な言葉の数々に圧倒されたのを覚えています。

 

宮沢賢治に影響を受けた、とどこかで書いていらっしゃったのにも、強く共感しました。ドリアン助川さんに興味が涌いたのはやはり、この「宮沢賢治」の吸引力が大きかったと思います。

 

でも実際に彼の歌や音楽に直接接したことはありませんでした。だいたいが、雑誌などで見かけると「あ。ドリアンさんだ」と思って読む、という感じ。

 

ニューヨークに行った、と何かで目にして。帰国後『オバケの英語』が出たときは、ちょうど私も英語を勉強中だったので購入しました。なんか、この通りやったらメッチャ発音良くなる気がするぅ~と思いました。が。自分が根気がないのを棚に上げて言うのもなんですが、もうそれは私の中では「小説」であって「英語教材」ではありませんでした。『オバケの英語』たぶん絶版なんですが、すでに手元にありません。とっとけば良かったなぁ。

 

その後、またお名前を耳にしなくなり、次に「おお」と思ったのはかなり最近。樹木希林さんの最後の主演映画「あん」の原作者がドリアン助川さんだった、と知ったときです。

 

『あん』(2013年)。

映画(2015年)の方を先に観てしまって(配信で観ました)、あれはあれでとてもよかったですが、小説はもっといいです。フランス、ドイツ、イタリア、イギリスなどを始めとした14の言語に翻訳され、映画は50か国以上で上映されたそうです。そのうえ、フランスでは三つの文学賞を受賞し、リセの教科書にも載っているとか。

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an-movie.com

 

映画のほうは、監督が河瀨直美さん。樹木希林さんが孫娘の内田伽羅(うちだ・きゃら)さんと共演したことも話題になりました。どら焼き屋の店長さん役の永瀬正敏さんがまた良いです。さらに樹木希林さん演じる徳江の親友役で出演されていたのが市原悦子さん。樹木希林さんと市原悦子さんの円熟した演技の競演。見どころです。

 

樹木希林さんも、市原悦子さんも故人となられましたね……

 

原作はもう少し、ハンセン病を患った徳江さんの人生について、また病について、想像を絶する差別について、徳江さんの言葉でしっかりと語られます。

 

現在の朝ドラ『カムカムエブリバディ』のヒロイン安子が、おはぎを作るときに「おいしくなぁれ」と言ったり「小豆の声を聞く」と言っているのを目にすると、徳江さんのことを思い出します。これは『あん』を意識してのことなのでしょうか??

 

さらにさらに。ドリアン助川さんは49歳の時にフランス語を勉強し始めて、なんと『星の王子さま』のフランス語訳をして出版しています(2018年)。

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実は私、別のところでポプラ社から新しく子供向けのノベルとして出た『星の王子さま』の感想を書いたことがあります(矢部太郎さんが絵を描いています)。

 

Review 5 スリスリ|みらい|note

 

そちらも子供に向けた新しい『星の王子さま』としてよかったですが、ドリアン助川さんの訳もとてもいいです。サンテグジュペリの挿画というのもいいですし、「あとがき」が素晴らしい!出版の経緯や、サンテグジュペリのことなど、詳しい解説を書いてくださってるのですが、あとがきと言うより、ほぼ伝記です。

 

助川さん、2019年からは明治学院大学国際学部教授に就任されたとのこと。他に、日本ペンクラブ常務理事、日本ペンクラブ「子どもの本」委員長、日本文藝家協会会員という肩書も。

 

なんか、なんかすごい立派になった気がする!(👈超失礼)

 

ドリアン助川さんの文章の何がいいと言って、「流麗」なこと。

 

流れる。

 

ミュージシャンの方々の文章には特に特徴的なことですが、みなさん独特のリズムがあります。すらすらっと、さらさらっと流れていく感覚があります。残らないとかではないんです。全く逆です。声に出せる。音読がまさに音楽になって流れるような文章です。たぶん、すべてにおいてまず言葉を音声として発した時にどうか、ということが基本になっているような気がします。町田康さんしかり。大槻ケンヂさんも、星野源さんもそうなんです。

 

中でもドリアン助川さんの文章は特に流れを感じます。比較的初期の頃は、句読点がないんじゃないか、と思うほど、あっても句読点の存在を忘れるほどの急流です。エッセイは特にそう思いますが、小説はもう少しゆっくりで、アンダンテくらい。

 

そして言葉の熱量

 

ひとつひとつの言葉に言霊がしっかりみっちり詰まっているような、厳選された言葉です。それが流れるように配置されている感じです。

 

初期のころのエッセイ集『食べる』

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こちらは、自ら選んだ7人におくる、熱いラブレターです。そのひとりひとりにまつわる食べ物をめぐるエッセイになっています。

 

一番最初のラブレターは、宮沢賢治に宛てています。

食べ物は「ウニ」。

なぜウニか。

その理由を目にしたとき、強いショックを受けました。

ウニか!確かにウニって書いてたな!賢治が!と。

 

ごめん全然そこすっ飛ばしてました。すみません!と思いました。そして、ドリアン助川さんの言葉へのアンテナの繊細で敏感なことに改めて感銘を受けました。他の人がスルーしてしまう言葉を救い上げる力が、詩人にはあるのだなぁと思います。

 

2020年にkindle版が出て、その際の「あとがき」で、この7通の手紙が「若書き*2」だったと振り返り、今現在と未来へ、これもまた流れるように自らを語っています。

 

宮沢賢治よ

宮沢賢治よ

宮沢賢治よ

あなたが消えてしまってから幾度の陽が昇り、幾度の陽が沈んだのだろう。

あなたが目指した世界は、今地上にあるのか。

俺たちもまた道を探すものである。

永遠のその道を探すものである。

この夜もはるか空の上

桔梗色の銀河の彼方から

俺たちを見守ってくれ。

俺たちを。

(「食べる」kindle版より)

 

この詩はドリアン助川さんが高校時代に書かれた詩だそうです。それ以後、いろいろなところで朗読をしているとのこと。

 

詩を書くこと、読むことは自己満足の世界では決してありません。それは見えないところで影響力を持ち、何かを変えさせる、あるいは何かを生み出していく力につながるものです。(「食べる」kindle版より)

 

はい。

確かに私は、まとまった形で、どっぷり浸かって、という形ではドリアン助川さんの詩の世界の中に身を投じてはいないのですが、でも確実に影響を受けていると思います。

 

そしてまた、この方もまた、ヤマザキマリさんと同じように「地球人」なんです。生きる場所が地球。世界各国を放浪し、様々な国や土地の空気を吸い込み、エッセイにされています。

miracchi.hatenablog.com

 

もし、ドリアン助川さんの言葉の魅力に接したことがまだない、とおっしゃる方がいらっしゃるのであれば、ぜひ、この機会に読んでみられてはと思います。とっつきやすい『あん』からでも『星の王子さま』からでも。ぜひ。

 

 

 

 

 

 

*1:1990年に結成したロックバンド。バンドサウンドにのせて、強烈な詩を絶叫しながら朗読するバンド

*2:ある程度年齢がいった作家の若い頃の作品

ヒーハー!【お題:ちょっといいこと】

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今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 

以前、「好きなスポーツ」のお題の時、このように書いたワタクシですが……

👇

 

miracchi.hatenablog.com

 

縄跳び、買いました。

 

ところが、もう、飛ぶ体力すらなかったのです。

 

この2年の積もり積もった、積み重なった運動不足はこんなにも深刻だったのか、と愕然としました。

 

これはいかん。

 

なんとかしなければ。

 

そう思って、「これまで続いた運動」というのを思い返してみたのですが。

 

なんか、あったっけ……?

 

思い返しても、途方に暮れるばかり。

 

なんにも続かない人の見本みたいに暮らしてきたんだなぁ、としみじみ思いました。

 

しかし。

 

神は私を見捨てなかった。

 

人生で最も痩せていた時にしていたことを思い出したんです。

 

それは、「階段」

 

そう。普通に、階段です。何の変哲もない、マンションの階段。

 

エレベータがないマンションに暮らしていたので、その当時はどんなに大荷物であろうと、階段を使って生活していました。

 

子供の習い事や何かで、一日に何度も階段を往復していたし、しまいには駆け上がってさえいました。

 

そうだ。まずはエレベータをやめてみよう

 

そんな単純なことを思いついて、かれこれ1週間ほどなんですが。毎日の生活の中でできるだけ階段を使うように心がけました。

 

外出先でも、エスカレータやエレベータを使わないで、ひたすら階段。

 

最初はヒーハー「ワンピース」のエンポリオ・イワンコフのごとくに肩で息をしていたのですが、割と短期間で、階段を登り切っても、息切れしなくなってきました。

 

これが最近の「ちょっといいこと」です。

 

以前、朝の番組で90歳の現役フィットネスインストラクターのタキミカさんの特番をやっていて、その時にタキミカさんが

 

「私の場合はすごく楽しくって、ハマってしまって、(中略)だんだんきれいになっていくじゃないですか。そうすると自分でも楽しくなってきて、やめるっていうことは考えない。もっとすばらしくなりたいという欲が出てくるんですよ。

と言っていたのがとても印象に残っていました。

 

www3.nhk.or.jp

 

 

いやぁ、そんなβエンドルフィンとかドーパミンが出るみたいな報酬系のものなのか、キンニクというものは?と懐疑的だったのですが、たかが「息切れしなくなった」というそれだけで、「嬉しい」と思った自分がいて、ちょっとビックリしています。

 

しかし実際、65歳から運動を初めて、90歳で人に運動を教えていらっしゃるタキミカさんには尊敬の念を抱きます。

 

さすがにそこまでにはなれないと思いますが、たかが階段、されど階段。

 

始めて三日ほどは、息は切れるし、足が上がらないし、夜は腿や脛が張ったり攣ったりしていましたが、たった1週間でも身体って変わるのかな?と思いました。

 

膝と腰が無事なうちは、階段フィットネスで頑張ります。

 

別の日、またアサイチで(ってなんで朝はNHKかというと、CMが入ると、何時だかわからなくなってしまうので、時計代わりなのです)滝沢カレンさんが青竹踏んでる姿を見て、今度は、家の中で眠っていた「青竹踏み」を探し出しました。

 

踏もうと思って上に乗ろうとしたら、乗れませんでした。

 

足が衰えすぎてたんでしょうね。

 

とりあえず、まずは椅子に座った状態で踏んでいます。それでもムチャクチャ痛い!いったい、どうなってたんだ、私の足の裏は??

 

そう言えば、こんなご時世になる前に行ったフットマッサージ屋さんで「足の甲や裏に筋肉がほぼありませんね」と言われたことがあったっけ……

 

ちょっと、ゴロゴロ刺激するところがついている青竹なので、座っている時はそれをフミフミしています。

 

いつかその上に立って、

 

立った!クララが立った!(古い……)

 

みたいになるつもりです。

 

なんか……

なんか……

あれぇ?

縄跳びするはずでしたよねー?

 

いやいや、最初は地道な一歩から。

 

もしかしたら「ちょっといいこと」を積み重ねていくと、だんだん運動が楽しくなっていくのかも?などと思っています。

 

まさにオペラント条件付け*1

 

レベル低いけど、運動のために身体を動かそうと思っただけでも、進歩、と思うことにします。

 

 

 

 

 

 

 

*1:ある行動が「強化」されることで自分から学習するようになること。この場合は「正の強化」

エッセイの師匠3【ミステリーの掟102条/阿刀田高】

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こんにちは。

みらっちです。

 

前回に引き続き、文章、特にエッセイを書くにあたり、影響を受けた作家さん。

 

今回は、阿刀田高さんです。

 

完全にシリーズ化しているみたいになってますが、特に意識しているわけではありません。

 

そして、影響を受けた順番で書いているわけでもありません。

 

先日、とても久しぶりに阿刀田さんのお姿を拝見しました。

 

アベマTVというネットの番組です。

 

アベマTVというのは皆さんご存じだと思いますが、ライブストリーミング形式インターネットテレビサービスのことです。ネット上で配信されるテレビ、というところでしょうか。

 

たまたま阿刀田さんの名前を検索したら「ひろゆき」と出てきて、なにごとか?と思って観てみました。

 

ひろゆき氏もゲストで、「手書き文字の是非」を討論していましたが、正直、ガチャガチャしていて討論にはなっていなくて「日本の討論のレベルって低い」と思わざるを得ない感じでした。

 

御年86歳の阿刀田さんの姿をお見掛けしたことだけが、嬉しいことでした。終始落ち着いた感じでお話されていましたが、とにかく阿刀田さんが話していると途中からひろゆき氏が茶々を入れてきて話をさえぎってしまうので、阿刀田さんが最後までお話しすることができず、酷いなと思いました。人の話は最後まで聞こう。

 

そんなわけで、きちんと話し合いが行われたとは到底思えないので、内容や自分の意見はさて置いておいて、印象的だったのは、阿刀田さんのこんな発言でした。

 

「私が小説を描くときは、最初の一文から最後の一文まで完全に出来上がった状態で書き始める」

 

 

 

すごい。さすが小説家。

 

この時の阿刀田さんの言わんとしたことは、人間は文字を書くときに熟慮しながら書くことが大切で、それによってしっかりと脳を使うことができる、考えると言うことは書く訓練なしにできない、だから子供が手書きの文字教育を受けることはとても大事だ、という趣旨でした。(どうでもいいことですが、ひろゆき氏の主張はテクノロジーのある今、手書きなんて無駄だから必要ない、というもの)。

 

見ているうちに、これまで散々読んできた阿刀田さんの小説やエッセイがうわーっと蘇ってきました。

 

よく、図書館で読んだんです。

 

ちょっとした時間の切れ間や、読書と読書の合い間、学生のときなんかは、授業と授業の合間に図書館に行って、スッと読めるのが阿刀田さんの魅力でした(読書と読書の合間に読書するんかい!というツッコミは無しでお願いします。するんです。デザート的に別腹です)。

 

著作がものすごく多いのですが、買った本はだから、わずかなんです。ごめんなさい、阿刀田さん。

 

しかし確実に、私の血となり肉となっております。ありがとうございます。

 

阿刀田さんの受賞歴などは、こちら。

 

阿刀田高(あとうだ・たかし)

1979年、短編『来訪者』で第32回日本推理作家協会賞。1979年、短編集『ナポレオン狂』で第81回直木賞。1995年、『新トロイア物語』で第29回吉川英治文学賞。2003年、紫綬褒章。2007年より日本ペンクラブ会長。新田次郎文学賞、直木賞、小説すばる新人賞など多くの賞の選考委員を務められています。

 

 

国立国会図書館にお勤めだったんです。

 

もうそれが、憧れで。

絶対、司書の資格を取ろうと思いました。

そんで国立国会図書館に勤めたいと思いました。笑

 

結局、司書の資格は取ったものの司書として勤めることはなかったし、国立国会図書館なんてとんでもない話でしたけど。

 

印象に残っている本を数え上げればキリがないですし、「待てば海路の日和あり」なんて言葉は阿刀田さんの本で知ったんですし、もうどうしましょう、何をどうピックアップすればいいかしらと思ったのですが、結局引っ越しを重ねてもずっと手放せなかったのがこれ。

 

www.kadokawa.co.jp

 

引用は角川文庫で発売日が2001年になってますが、初版は読売新聞社で1998年です。

 

これは衝撃でした。

 

何が衝撃だったか、と申しますと「ミステリーの秘密」が余すところなく解体されて、これを読んだだけで何冊もミステリーを味わったかのような満足感が得られたからです。

 

これを読んだら、もうミステリーの誕生と歴史、そして有名なトリックはあなたのもの。

 

そしてまた、小説家としての心得も、あなたのもの。

 

ミステリーというのは、肝心なことを説明せずにその魅力を伝えるのは、本当に困難だと思うのです。エッセイで、ここまでミステリーを解説できるなんてすごすぎる!と思いました。ネタバレも、ちょっとはあります。でもだからといって「ああもう、読む気が失せちゃった!」なんてことにはならず、むしろ「ううう、どんな話なんだろう。読みたい」と思わせてしまう、エッセイテクニックが満載です。

 

さすがに少々話題が古いですし、今の若い人にはちょっと見当がつかない作品も多く出てきますが、この本から読書の幅が広がることは間違いありません。

 

そう言えば、この本を読んで「ロアルド・ダール」を読んだりしました。

 

「モルグ街の殺人」ってこんなに魅力的な書き出しだったんだっけ?と驚きました。

 

さすが、元国立国会図書館職員。レファレンスの妙技が冴えわたっています。紹介される本、映画、それらのどの物語も面白そうに、魅惑的に誘ってきます。

 

しかし少々薬が効きすぎて逆効果だったのは、これを読んでから、あまりミステリーを読まなくなってしまったことです。嫌いなわけではないのですが、とにかくまあ殺人ありき、ということに食傷気味になってしまったのと、気がつくとアラを探している自分がいて、没頭できなくなってしまったのです。

 

どちらかというと元来ファンタジー好きなせいもあるかもしれませんね。

 

あ!もちろん、この本がアラ探しの本ということはありませんよ!私はエログロ全然OKですけれども、毎度毎度人が殺されるところがスタートなのが、うーん、と思ってしまうだけなんです。ミステリファンの方、ごめんなさいね。この本は、ミステリーの魅力をあますところなく伝えてくださってる素晴らしい伝道本です。念のため。

 

 

ところで、阿刀田さんは言います。

 

小説はみんなミステリーなんだなぁ。

 

大ざっぱに眺めれば、ほとんどの小説にミステリーの要素が含まれている、と私は思う。

 

この本を読んで以来、私は「すべての小説はミステリー」と思って読んでいます。

 

ですのできっと、「私はミステリーを読まない」というのは間違いで、「殺人がないだけで、どんな時もミステリーを読んでる」のだと、思うことにしています。

 

人の心は、深い深い、ミステリーですものね。

 

エッセイの師匠2【スピリチュアル系のトリセツ/辛酸なめ子】

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こんにちは。

みらっちです。

 

前回に引き続き、文章、特にエッセイを書くにあたり、影響を受けた作家さん。

 

何気に、シリーズ化するつもりなのか、みらっち?

 

今回は、辛酸なめ子さんです。

 

私立女子学院を出た後、武蔵野美術短大を卒業されてます。

 

そしてそして、立派なアクティビスト&スピリチュアリスト&皇室ウォッチャーです。

 

「辛酸なめ子」というペンネームは、高校時代に周囲から「薄幸そうに見える」とよく言われていたことに由来するとか。

 

辛酸さんのエッセイやコラムには皮肉というスパイスがよく効いていて、最後はいつも、独特の漫画風の味のある挿絵で締めくくられるのですが、そのおっとりとしたお嬢様風の容姿と丁寧な言葉遣い、そして楚々とした画風とは裏腹なスパイシィさから「ガーリーな毒」と言われているそうです。

 

女性誌などで辛酸さんのコラムがあると、いつも食い入るように真剣に読んでしまいます。

 

これほど「体当たりの潜入取材」を行う人が、この現代、果たして辛酸さんの他に誰がいるんだろうか、いやいない。と、いつも思っています。

 

特に、スピリチュアルに対する関心の強さは並々ならないものがあり、辛酸さん以上に知識のある方はほかに思い浮かびません。

 

ただならぬ好奇心は、まるで宇宙から地球を見物に来た人のよう。いや、確か昔の著書の中では、金星人だと言っていたような、金星人になりたい人だったような。

 

身近にいたら「不思議ちゃん」カテゴリーですが、そこでとどまらない怒涛の好奇心と行動力が彼女をして唯一無二の存在にしていると思います。

 

アクティビストの名に恥じることなく、本当に「なんでもやってみる、試してみる」のがすごいです。とにかく「どうかんがえても、それ、怪しいでしょう!行っちゃダメ!買っちゃダメ!」というようなことや場所に、果敢に突っ込んでいきます。しかも「そんなこと、あるわけないんだから」と斜に構えているわけではなく、彼女はいつでもどんなときも本気です。ただし結構、知識が邪魔して三日坊主、ということも往々にしてあるようですが。

 

私は辛酸さんのコラムが、早逝したナンシー関さんに通じるものがあると思うのです。

www.kadokawa.co.jp

ナンシー関さんは、青森出身の「消しゴムハンコ」アーティスト。2002年、39歳で突然世を去りました。なんと、今調べたらもう亡くなってから20年経つのですか。なんだか信じられません。

 

ナンシー関さん、好きでした。語りたいことは多かれど、その鋭い観察眼と、キレッキレの毒舌。あまりにもそっくりで特徴をとらえまくった肖像を描いた消しゴムハンコ絵のエッセンスは、微妙なブレンドで辛酸なめ子さんに受け継がれているような気がします。

 

辛酸さんが、ナンシーさんのエッセンスを喜ばれるかはわかりませんが……

こんなことを言ったのが知られたら、めっちゃ皮肉言われそうですが……

 

やっぱり、エッセイとかコラムにはなんらかの「毒」がないとだめですね。

 

「毒」を吐くということは相当な覚悟と自己犠牲が必要で、基本的にアナーキストじゃないと無理、という気がします。「身バレ」「炎上」「クソリプ」「殺害予告」などを恐れていては、エッセイストなどできない時代なのかもしれません(この、最後に強烈なインパクトのある語で毒を盛り込むのが辛酸なめ子さん流)。

 

辛酸さんの話にもどりましょう。

辛酸さんのエッセイやコラムからは、上記の「インパクトある語で最後に毒を添える」テクと、自己の行動に対して「い、いまのは何か不思議な見えない力かしら」的な「笑える責任回避」の言い回しなども学びました。

 

たとえば。

 

辛酸さんのエッセイは女性誌や立ち読み等(失礼)で沢山読んでますが、時にはハッと気づくと辛酸さんの本を手に書店のレジに並んでいることがあります。本になんらかの呪(まじな)いが施されているのかもしれません。(👈いかにも辛酸さんっぽく書いてみた)

 

最近は通販やkindleで本を読むことが増えたのですが、その際もフラフラと辛酸さんのエッセイを検索している自分がいて要注意です。(👈これも)

 

しかし先日はついにまじないの誘惑に屈し、kindleで本を購入。

 

www.heibonsha.co.jp

 

図書館で『霊道紀行』を読んで以来で、単行本でしっかり読むのは久しぶりです。

www.kinokuniya.co.jp

辛酸さんの不思議なところは、どっぷりとアチラの世界に浸っていると思いきや、実は極端な客観性を持っているところです。

 

どうも、ふたりの辛酸さんが彼女の中に住んでいるような気がしてなりません。

 

心底信じている辛酸さんと、それをネタにしか感じられないリアリストの辛酸さん。

 

辛酸さんの本を読むたびに、

 

「お願いします。私を信じさせてください」

 

と真剣に思っているんじゃないか、と思うのです。

 

おそらくこれまで、世界のあまたの心霊・スピリチュアル・オカルト・陰謀論に触れ、経験して、チャレンジし続けているのに、結局どれひとつとしてツボ買って骨の髄までしゃぶられるほどにハマってはいない辛酸さん。

 

これは、お金儲けで何も知らないウブな人を取り込もうとしているちょっとイケナイ方々にとっては、ラスボスに近い強敵だと思います。

 

私は辛酸さんの冷徹な実験魂のおかげで「癒しになる本」「本当にあっち側の本」「足を踏み入れているがギリギリ現実世界にいる本」「ただのひやかし本」「お金儲け本」の区別がつくようになりました。

 

そして、趣味として楽しむ、うまくつきあっていく方法を自然に学んだ気がします。

 

他人に強要しなければ、ほどよいスピリチュアルはいいですよ。

 

占いを楽しんだり、いい匂いをかいだり、太陽の光を浴びたり、感謝したり、心を落ち着けて静かな時間を持ったりすることは、全然、悪いことじゃあないと思います。心と身体がつながっていることや、見えない力があると思うことって、素晴らしいじゃないですか。お天道様に恥ずかしくないように、と思うことや、正月に初詣に行くのとなんら変わりはありません。純な気持ちです。

 

信じること、って大事です。

 

ただこの時代、そういう純な心を利用しようと網を張ってる人がいっぱいいますからね。罠を知らずして生きていくのは危険ですらあります。

 

君子危うきに近寄らず、をモットーにされている方は「危うき」が何かをご存じないと思わぬ時に足元をすくわれるかもしれません。

 

スピリチュアルを生活に取り入れるには、論理性と客観性が不可欠です。

 

『スピリチュアル系のトリセツ』は、2020年初版ですので、おそらく最新刊だと思います。

 

この本では「スピリチュアルとは何か」という超・初歩の初歩から、手取り足取り、手ほどきをしてくださってます。

 

その歴史から始まって「スピリチュアル」と一言に行っても、その中にはたくさんの「世界」があることが解説されています。

 

少しかいつまんでみますと、

 

占い系

心霊系

パワースポット系

ハワイ系

前世系

オーラ系

天使系

引き寄せ系

陰謀系

アセンション系

宇宙人系

ライトワーカー系

笑い系

さとり系

 

という分類があって、まあよくうまい具合に過不足なく分類してくださった、と感心します。それらすべてに、詳細な解説がついています。スピリチャルにハマる人は完全にどれかひとつ、というわけではなく、そのいくつもに当てはまる場合もあります。

 

えーと私はどれかなぁ?

辛酸さんの解説の、どれひとつとして知らない単語がなかった自分が怖い。

 

たぶんですね、知れば知るほど、ハマれなくなるものなんだと思いますよ。

きっと辛酸さんもそうなんだと思います。

 

言うなれば「探求系」

 

最近彼女が変なこと言い出したから別れた、というそこのあなた。

なんのなんの、彼女はフツー。

しっかり学べば、彼女がライトな「なんちゃってスピ」に過ぎなかったことに気がつくでしょう。

高額な水を売りつけてきたり、ネットワークビジネスに誘ってこない限り、別れることはございません。

真剣に宗教に行っちゃったらそれは少し考えものですが、スピリチュアルは人生の潤いです。

 

辛酸さんも、こうおっしゃってます。

 

今、スピリチュアルに興味を持つ人が増えているのだとしたら、その理由は、年金や地球環境など未来が不透明だったり、日本の国力が縮小していて不安感が漂っている、というのもありそうです。国や政府に頼れないから、神様や仏様、天使やアセンテッドマスターなど目に見えない存在に救いを求めたいのかもしれません。

 

 

家族が陰謀論にハマってしまった、という洒落にならない場合もありますが、君子のみなさんには、ぜひこちらの本をご一読いただき、スピリチュアルな視点を手に入れていただいて、「私はだまされない」実例として利用したり、生活の潤いとして活用していただきたいと思います。

 

 

 

 

エッセイの師匠【スバラ式世界/原田宗典】

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こんにちは。

みらっちです。

 

文章、特にエッセイを書くにあたり、影響を受けた作家さんがいます。

 

原田宗典さん。

 

もしかしたら一時期、ハマっていた、という人は多いかと思われます。

 

そう。一時期、です。

 

原田さんはある日、薬物所持で捕まってしまったので。

 

2013年。あのときの衝撃は何とも言えないものでした。

 

私は原田さんのエッセイも小説も好きだったので、人にも散々勧めてきました。2000年頃は、最近なんか面白いのある?と聞かれたら必ず「原田宗典さん」と答えていました。

 

確かにだんだん、年々、年追うごとに少しずつ、不穏な文章が増えているような気がしていました。なんとなく、不安定感があるというか。

 

女性誌を開けば原田さんのエッセイがある、というような感じで、月に何十本もエッセイを抱えていたようなことをどこかで読んだので、働きすぎじゃないかしらなどと心配していたりもしました。

 

でももともと、「不安定」がゆえに世間と軋轢が生まれての、自虐的なエッセイがとてつもなく面白かった方なので「相変わらずの原田節」と言えなくもありませんでした。

 

通勤電車の中で読むと大変なことになるよ、と友達や同僚に勧めまくっていましたが、次第にエッセイも小説もあまり目にしなくなり、最近書かれていないのかな、などと思いつつも、妊娠を機に私自身の生活が忙しくなっていくとともに、だんだん、離れていきました。

 

そんな中での、ショッキングな出来事。

 

私も当時まだ今より少しは若かったので、なんか、なんか、許せない気持ちになってしまったんですよね。

 

今思えば、なんであんなにフツフツと怒りに近い悲しみが湧いたのかわかりません。

 

当時は自分ももう、それほど読まなくなっていたのにも関わらず、です。

 

持っていた本を全部、売ってしまいました。

 

正直、あんなに激しい反応をしたのはたぶん、それまでもないし、これからもないんじゃないかと思います。

 

いや、思い返せば、家族関係はよくなさそうだったし、ヤンチャな青春時代がウリでした。昔で言えば躁鬱、今は双極性障害というんでしょうか、そんなニオイがしていましたし、実際、そうだと書かれたものも読んだ記憶があります。

 

でも様々な人生の困難を、こんなふうに笑いに変えられるんだ、と教えてもらった気がしていました。辛いことや苦しいことも、笑いに変えていく道をとったんだと、勝手に思っていたのかもしれません。

 

わたしと原田宗典的世界の出会いのはじまりは、こちら。

www.kinokuniya.co.jp

 

今回、原田宗典さんのことを書こう、と思って改めて本棚を探したのですが、やはりたったの一冊も残っていませんでした。そのうえ原田さんは非常に数多くのエッセイを書いていらっしゃるので、Amazonなどで検索しても正直どれがどれだったか判然としません。ただ強烈に面白かった記憶だけがあります。

 

そんなボヤッとした記憶を頼りにしてるのでなんとも言えませんが、おそらくはこの「スバラ式世界」を皮切りに、どっぷり原田宗典エッセイワールドに浸かっていった気がします。

 

元コピーライターとしてのスタート。というと林真理子さんなどもそうですが、コピーライターの方が文章を書くと、小説もいいけれどなによりもエッセイが面白いように思います。言葉の選び方や着眼点に何とも言えない「切り取り方」があります。

 

日常の中にある、ありふれた出来事があっという間に可笑しくてたまらないものに変えられてしまうさまには、ある種の中毒性がありました。

 

うーん。喩えは悪いのですが、お葬式に行ったときに、お坊さんの仕草とか癖とか、親戚の人のヘマとか、なんか些細なことが可笑しくてたまらなくなって、笑ってる場合じゃないし悲しいのに、なんかわけのわからない奥底からの笑いがこみ上げてきてどうしたらいいんだろうか?みたいな、そんなことを経験したことってありませんか?

 

原田さんの文章は、ああいう、どうしようもない笑いの衝動を誘発してきます。適当に描いているようで、言葉のセンスがないとこのあたりは突いてこないなあ、というところを突いてきます。

 

文章で人を大笑いさせる、って、できそうでなかなか、できないことです。

 

エッセイでの評判や知名度が高かったのですが、小説も独特な文体で面白かったです。ちょっと途中冗長に感じられるところもあるのですが、内面的葛藤や自意識との闘いを描かせたら天下一品ではなかったかと思います。特に『スメル男』は、することなすこと裏目に出て、どうしようもなく収集がつかなくなっていく絶望感が溢れています。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

どちらかというと、小説よりはエッセイの方が好きだったのは、小説だと、エッセイより暗く、自虐も強く、内省も強くなる感じがしたからかもしれません。

 

エッセイ自体も、人気エッセイストとして年月を経るごとに本当に「乱発」に近くなっていったので、次第に飽きられてきた側面もあったのかもしれない、とは思います。

 

エッセイというのは「自分の切り売り」でもあるので、そのうちネタ切れを起こすのは必至だと思います。反比例するように、私のように爆笑した読者は、次も、その次もと、さらなる笑いを求めます。「同じような話、読んだなぁ」と感じれば笑えなくなっていきますし、だんだん、以前ほどは売れなくなっていったのかもしれません。

 

時事的なことや流行を盛り込んだりすることも多かったと思いますし、時代が移り変わって内容が古くなっていったことも、あったのかも。

 

とはいえブログを始め、自分がいろいろなところで感想文やエッセイを書くようになって、少々苦い気持ちを抱きつつも「絶対影響受けてるな」と日々思っています。

 

ところで、少し前になりますが、「最近ずいぶん原田マハさんが話題になっているなぁ」と思い、一冊読んでみようかなと思っていたところに、なんとマハさんが原田宗典さんの妹さんだと言う情報を目にしました。

 

なんと!

 

なんとまあ。あの「妹」さんですか。

たまにエッセイに出てきてましたよ「妹」さん。

 

まさかの出来事に多少気が動転し、慌てて一冊読んでみました。

 

www.kinokuniya.co.jp

 

こちらの『楽園のカンヴァス』山本周五郎賞を受賞していますし、他にも様々な賞をとっていらっしゃいます。

 

面白かったです。こんな硬派な小説を書いていたんだ、知らなかった、とびっくりしました。

 

でも実を言うと、頭の中でどうにもお兄さんのことがチラついて、落ち着いて読んでいられませんでした。スミマセン。

 

原田マハさんは、かなり「ガチ」な美術評論や美術・芸術・博物関連の本やミステリーをたくさん書かれています。それもそのはず、キュレーターという「学芸員」としてのお仕事をされていたとのこと。映画化やドラマ化された『キネマの神様』『総理の夫』などの作品も多々ありますが、そういった有名どころだけではなく、様々な小説やエッセイを書いていらっしゃいます。非常に専門的な知識溢れる多作な作家さんです。

 

2005年のデビューということですが、皮肉なことに兄の宗典さんがだんだん本を出さなくなっていたころだと思います。

 

なんとまあ。

 

小説の神様は、兄から妹へと引っ越して行ってしまったのでしょうか。

いや。そんなことはないですね。それはさすがにお二人ともに失礼ですね。

まさに、才能に溢れたご兄妹なのだと思います。

 

しかし残念ながら、今のところ原田宗典さんは原田マハさんの兄として語られる存在になってしまっているように思います。

 

原田宗典さん自身は2015年から執筆を再開した、と風の噂に聞きましたが、正直、また読んでみようという気持ちになれないまま、今に至っています。

 

www.kinokuniya.co.jp

 

やっぱりどこかでもう、私の中では原田宗典さんからは卒業した、という思いが強くあるのだと思います。

 

作家さんに品行方正であれと言うつもりもありませんが、好きだったぶん、こんな形での卒業は、望んでいませんでした。

 

音楽や文学など、アーティストさんの中には、こういうこと、ありますよね。昔から、無頼無頓、破天荒な人生を他人から期待され、自分もそうやって生きていく、という人がいましたからね。昔の文豪なんてほとんど全員、ムチャクチャですもんね。

 

でももう、そんな時代じゃあないですし。

 

ご本人やご家族がいちばん辛いでしょうし、きっと色々あったのでしょうけれど、残念な気持ちを拭い去ることができません。たぶん私の中には、「いい作家さんだったのに。期待してたのに。"辛いことは笑いに変える実践者”として目標としてきたのに。そっちに逃げちゃ、ダメじゃーん」という気持ちがあるんだと思います。

 

ひょっとしたら今でも。

 

まあ「だめと言われれば言われるほどとやりたくなる性格」ということは、エッセイにもよく出てきてましたけれど……

 

そんなわけで、何か色々と複雑な気持ちで、もういちどkindle電子版で「スバラ式世界」を読みました。

 

そして、なんだかんだ言ってたわりにはやっぱりまた「うまいなぁ」と思いつつ、笑ってしまったのでした。

 

いろいろ、ひよっこ【お題:おしゃれは足元から】

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今週のお題「お気に入りの靴下」

 

こんにちは。みらっちです。

 

いよいよ、寒さが本格的になってきましたね。

 

今回は実は、とてもタイムリーなお題でした。

 

最近、お気に入りの靴下がいくつかできて、あんまり気に入っているので、そのことを誰かに言いたい!という気分になっていたからです。笑

 

そもそも靴下をはくようになったのは最近です。

 

わりと長いこと、ストッキングの生活でした。靴もまだ、おしゃれな靴がはけましたし。外国暮らしの頃は、裸足で暮らしていました(なんかすごいところのような書き方ですが、都会です)。

 

靴下は、家ではいていると無意識に脱いでしまいます。

 

よく、男性が靴下を脱ぎっぱなしにして同居女性が怒る、なんてドラマを見ますが、我が家では私が、ソファの近くの床にいつのまにか両足で器用に靴下を脱いでしまい、その場を離れて戻ると床に靴下が、なんてことをやってしまいます。お恥ずかしい。

 

というわけで、これまでは靴下ラバーではありませんでした。

 

しかし年齢的に冷え性の症状が深刻になり、かつまた、外反母趾の影響なのか足が痛むこともあってスニーカーを履くようになり、ついに靴下が必要になってきました。

 

そう言えば数年前、ちょっとした催しに出席することになり、急遽ヒールのある靴を買ったときのこと。

 

ヒールのないフラットな靴で、フォーマルなものはないですかね、と靴屋さんに尋ねたたところ、靴屋さんが言ってました。

 

「もし病院に行っているとか、問題があるとかでなく、そこまで辛くないなら、できたらフォーマルではヒールのあるのを履いてほしいですね。いずれ必ず履けなくなります。履けるときに履いていただきたいです」

 

営業用の言葉だったかとは思いますが、なるほどなぁと思い、その時は少しヒールが高めの靴を買い求め、フォーマルな場で1、2度使いました。

 

その後、フォーマルな場は訪れず、私はもうヒールが履けません。

 

切ないですが、あの時履いておいてよかったなと思います。

 

昨年巡り合った靴下が、「ケユカ」さんのルームソックス

 

www.keyuca.com

 

内側をふわふわに起毛させた保温性が抜群のあったかルームソックスです。冬にぴったりの雪柄は年齢問わず履きやすいデザインです。

・内側パイル&ふんわり起毛
肉厚なパイル地を、ふわふわに起毛させました。空気を含んでとてもあたたかです。

・伸びのよいリブ履き口
ゆったりと締め付けない履き心地で、リラックスして過ごせます。

・足底にすべり止め付き
滑らず、つまづかないグリップ感がちょうど良い。よく見ると”KEYUCA”の文字があります。

・洗濯機で洗える
洗濯ネットに入れれば、洗濯機使用OK。長持ちさせたい場合は、手洗いをおすすめします。

 

 

引用させていただきましたが、まことにこれ偽りなし。素材はアクリル、ナイロン、毛、ポリエステル、ポリウレタンと混紡で、洗濯機で気軽に洗えるのは助かります。とにかく足を入れると起毛素材がほわっと暖かで、真冬は手放せない逸品になりました。

 

ルームソックスなので外にははいていけないのですが、冬の家の中はこれ一択。

 

洗濯しても比較的乾きが早く、そこもお気に入りの理由です。

 

今年も買い足したいと思っていましたが、丈夫で、予想したよりも毛玉だらけでもないので(洗濯機で洗うので、相応に毛玉はあります)、今年もいけるかな?と思っています。

 

ただ、購入するなら早くしないと、気に入った柄は売り切れてしまう!というのは、昨年経験済み。お値段1300円と、靴下としてはいいお値段(スリッパより高い)なので、現在悩み中です。

 

裏に滑り止めがついてスリッパ替わりなので、うん、やはりもう1足欲しいところかもです。

 

それから、今年巡り合ったのが「ベルメゾン」の「ミニラボ」さんの靴下

 

www.bellemaison.jp

素材は綿とポリエステル。秋冬は長めの靴下ですが、夏はくるぶしまでのスニーカータイプもありました。

 

柄の靴下を、これまで買ったことがありませんでした。

 

ベルメゾンさんのオリジナルデザインの「ミニラボ」は細かな柄が特徴で、可愛いんだけれど、乙女な感じで、これまで購入を躊躇していました。が。

 

はいてみると意外としっくりきます。しかもやわらかいはき心地で、温かいです。

 

えっとこれはもしかして「中年になって花柄が似合うようになる」ってやつでしょうか。これも根拠が定かではないですが。

 

難点は、いくつかのレビューにもありましたが、残念ながらタフではないところ。何度か洗濯して履いているうちに、模様部分がよれたり糸が出たり。そのうちに、穴があいてきます。

 

穴があきやすいという情報から、1セット買った段階で気に入ったので、もう1セット買い足し、4足を交互に履いて、数か月持ちました。が。ついに1足、穴があきました。

 

2足1セットで800円。激安ではないけれど、お安いほうでしょうか。

 

最後に、これまで購入していたのとは違う靴下を買ってみたら、案外よかった、という「無印良品」さんの靴下

 

www.muji.com

 

それまでロングタイプのスタンダードなものを買っていました。

 

これまでストッキング派、といっても、以前もスニーカーなどをはくときもあり、そんなときは無印良品さんの靴下をはいていました。

 

今年になってふとスニーカーインを試してみたら、これがなかなかしっくりくることがわかり、以来、スニーカーインを使用中です。薄手で、靴を選ばないのもいいです。

 

税込230円とお値打ちで、しかも結構丈夫です。

 

家の中にいることが増えた2020年からこちら、靴下に関しては新しい発見があり、私にとっては2020年から2021年は靴下元年という気がします。小さなチャレンジですが、大きな変化です。

 

あ、これもこの10年で変わったことかも。

 

いや、これは私に限らず、リモートワークの広がりは、靴下業界にとってはきっと追い風となっているのでは?と思います。特にルームソックスなどは、需要がありそうですね。

 

というわけで、今回は何のひねりもなく(笑)、私のお気に入りの靴下の話でした。

 

ところでみなさんは、靴下の収納はなにか工夫をされていますか。

 

私は無印の不織布の小物収納に入れて、衣装ケースに入れています。

 

でも気がつくとバラバラに……いやむしろぐちゃぐちゃに……

 

収納の本は好きでよく読むのですが、靴下に関しては、これ、としっくりくるやり方にはなかなか出会えていません。これまでも夫や息子の靴下で悪戦苦闘しています。

 

うまく収納する良い方法がないものか?と模索中です。

 

それと……それと……

 

どうしても気になって、このブログで使えなかったのが「はく」の漢字。

 

「履く」と「穿く」。

 

調べたら、ちょうどはてなさんの過去記事でこちらを見つけました。

 

takeda25.hatenablog.jp

 

素晴らしい考察だったので、勝手に引用させていただきました。勉強になりました。ありがとうございます。

 

他にも少しだけ調べましたが、結構バラバラで驚きました。

 

それで、靴は履く、デニムやスカートを穿く(穴があいている衣服)、というのは私もずっと使って来たしそう思ってきたのですが、ここにきて「靴下は」と思い、このブログに行き当たり、悩み、結局ひらがな表記にしました。

 

ちなみに、ケユカさんのサイトの引用では「履く」を使われていますね。

 

私は「手袋を穿く」というのも、大人になってから知った表現でした。確かに「穿ってる」と感心した記憶があります。それで行くと靴下は「穿く」みたいな気もします。

 

新聞では「穿く」だけれど常用漢字ではないので「はく」と表記するとか。

 

50年生きてもひよっこだなと思うのは、こんなとき。