みらっちの読書ブログ

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豊潤な文章の源がここに【星占い的思考/石井ゆかり】

 

 石井ゆかりさんのLINE公式に入っている。

 もう何年も、毎朝7時に、今日の星占いが届く。

 毎日だから、ちゃんと読む日もあれば、流し読みの日もある。スルーしてしまう日もある。それでもやめる気はない。石井さんの占いの「言葉」が好きだから。

 

 つい先日、そのLINEで『星占い的思考』の宣伝文が載っていた。力作なので読んでね、とある。2022年刊、である、本が出ていることになぜ今まで気づかなかったのだろう、信じられないと思いつつ、速攻でAmazonでと思ったが、用事もあったので書店で求めた。Amazonも待てないくらい読みたい、と思った久しぶりの本。どうして2年も知らなかったのだろう。

 

 石井さんはLINEではあまり自著の宣伝をなさらない。そして、あまりに毎日、彼女のLINEに触れていることで、ちょっとした麻痺を起こしていたのかもしれない、と思う。そしてきっと「今がこの本に出合うそのとき」だったのだと思った。そう、運命。占いと言えば「運命」という響きが相応しい。そして私は心の隅で思う、「ふふ、運命」と。私はどこかで、どっぷりと運命という言葉に浸りきることができない。信じるとか信じないとかではない。決められた定めという概念に対して、ただただ、興味深いと思うのだ。根底にあるのは強烈な好奇心。

 本を読みながら、ああやっぱり私は、石井さんのこの「占いとの向き合い方」やスタンスが好きなのだと確信した。石井さんは言う。

 

 人間は少なくともまだ、象徴でできた世界に棲み、運命を生きることをやめられない

 

 そして文学は、象徴と運命の世界である。

 

 だからこそ、文学の世界を「星占い語」で解釈しなおすことは比較的容易なのだが、問題はそこに普遍的根拠がないことだ、しかしそれは「普通の文学作品の読み方」でもあるという石井さんの言葉に、私は深くうなずいた。

 

 ずっとそう思っていた。私は石井ゆかりさんの「占い」に文学をみていた。

 

 さらに石井さんは、こうも言う。

 

実際の星占いはむしろ「単純なステレオタイプに押し込まれそうになる事物を、象徴のしくみをつかって解体し、ふくらませ、再構築する」ための道具なのだ。更に言えばこの「ふくらませ、再構築する」作業は、人生の中で何度も何度も繰り返し、試みることができる。まさに、何度も読み返してはその印象が変化する、優れた文学作品にも似ているのだ。

 

 西洋占星術の12星座、というと、人間のタイプを単純に12に分けるなんて乱暴だ、という向きも多いと思う。年輩の男性の中には「占いなんて女子供の好むこと」で「自分には関係ない」とおっしゃる方も散見される。

 そもそも占いがいかがわしいインチキ商売に分類されるものだということを石井さんはくどいほど本の中で言っている。「統計学」だという人もいるが、これまでに星占いのデータの正統性は科学的に証明されていない、と。

 ではなぜ、私達が占いを「あえて」求めるのかと言えば、人生の岐路に立ったり、窮地に陥った時にしばしば占いの力を借りることがあるからだ。星占いだけではなく、九星学や四柱推命など全て同じだ。タロット占いやオラクルカード占いなどの「直感型」の占いも同じ。霊的なものが入ろうが、オカルティズムとひとくくりにされようが、占いは占いとしての役目がある。方便として使うこともあれば、自分を見つめ直すきっかけにしたりすることもある。自分だけで自分を見つめているとだんだん自家中毒を起こしてくる。しかしたいていの悩みが他人との関係から生じる自己の悩みであるから、親戚や友人に「私ってどんな人」なんて聞けない。昨今は精神科やメンタルクリニックもずいぶん敷居が低くなったが、そうはいっても気軽には行きにくい。そんなとき「こういう傾向があるのではありませんか」とある種客観的な意見を示してくれるのが占いだ(と、私は思っている)。

 

 占い師によっては断定的だったり誘導的だったりするものだし、最初から他人を騙そうとしている詐欺師まがいも存在するから、鵜呑みにすると大変なことになる。占いは内観の処方箋のひとつだと私は思うが、客観を客観視できる限りはひとつの側面として参考にすることができる有益なものだと思っている。統計学として証明されていなくても、古今東西の占いはなかなかよくできているものだ。出生時の星の動きを閉じ込めたような緻密なホロスコープの凄まじい説得力には思わず前のめりになる。

 占いに興味が無い人ほど、振り回されているように見受けられることがある。宗教と一緒で、他人のいうことを妄信したり振り回される前に自分で学ぶ姿勢が大事だと思う。疑わしいと思う心も大切だ。疑わしければ学び、学べば裏がわかる。俗にいう「当たっているか当たっていないか」なんて関係ないのだ。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」である。

 

 科学技術も進歩したし占い自体も一般に広く浸透したため、昭和平成ほどには「へえ、あの人牡羊座なんだ」とか「自分は何座だろう」と思わない人も増えているとは思うが、人間関係に悩んだときなどやイマイチついていないと思うような時、テレビから「今日の〇〇座の運勢は12位」なんて言葉が聞こえてくると「やっぱり!」なんて思ったりするものだ。「いい気持じゃないから何位、とランキングするのはやめてほしい」という人もいる。「今年は厄年だ」とか「二黒土星は家を建てるにはあまり良くないらしい」などのことが気になるくらいにはみんな「自分の星座」「自分の年まわり」くらいは知っているし、いくばくかの興味がある人はいなくならない。それこそ今年の大河の舞台、平安時代には、占いで生活のすべてが成り立っているようなところがあった。そういう時代でも、狂信者と侮蔑者がいたと思う。ただ、社会が占いを中心に動いているからそこにあわせざるをえない。時代と共に変化もするし、誰かにとって都合のいい単なるシステムにもなりうる、ということだ。

 

 おっと。出だしから飛ばし過ぎた。

 ともあれ、購入後は先を急ぐように読んだ。

 

 この本はとても面白い試みからできている。

 石井さんの言葉を借りれば、「主に文学作品から一文を抜き出しフックとし、そこから「その時期の星の動き」を読み解いていくという、かなり乱暴な連載企画」だったという。文芸雑誌『群像』に連載されていたようだ。

 連載当時そのままの状態では単行本化できないので、12星座を並べて章を作りなおしたのだいうが、かえってこそれが「物語としての12星座」を際立たせる秀逸な造りとなっていると思う。

 

 そして何より素晴らしいのは、石井さんが読んで来た文学作品の幅広さだ。

 

 初っ端の引用が白水社のウィリアム・ウィルフォード著『道化と笏杖』である。

 

www.hakusuisha.co.jp

 

 読んでいないのだ。読みたくなるじゃないの!最初の1行から!ああもう、絶版じゃないの!図書館を探しかないのねと、興奮する。

 最初の章は「牡羊座」についての物語だ。この『道化と笏杖』から「フール」をフックに牡羊座の物語が紡ぎ出される。フールは道化師でもあるが、タロットカードの「0」、出発点の「愚者」のカードでもある。象徴(シンボル)からイメージされる牡羊座の物語と、石井さんが占いで得た経験とが、まるでDNAの塩基がそれぞれくっついて二重らせんを描くように物語になっていくさまは圧巻だ。

 

 かと思えば、中上健次や古今東西の神話、カルメンやドン・キホーテ、山折哲雄や佐々木倫子の『チャンネルはそのまま!』やパタリロなど、各星座から想起されるイメージの奔流が、この本には流れ込んでいる。

 凄まじい知識と教養。なるほど石井さんの豊潤な文章の源はこの膨大な量の読書の中にあるのかと腑に落ちた。

 

 いやぁこれは――ある種上級者向けかもしれない。正直、占い初心者に優しい本ではないかもしれない。もちろん実際に12星座についてのイメージが逞しくなり、星座についてよく理解できるのは確かだが、それ以上に「占い」というものへの理解が深まる。石井さんも「へんてこな本」と言っているが、あまり類をみない種類の本だと思う。占いの話をしているのに、文学論でもある。文学論かと思えば、なかなかにオカルトである。ただ「占い」についてのコアな部分、「人間にとって占いとは何か」を心に引っ掛かりとして持っている方には、たまらない1冊になると思う。

 

 石井さんは、占いは「オカルト」でいいという。隠されたもの、という意味を持つオカルトであっていいし、「ナシ」でいいし、不道徳でいいのだと。だからこそ「アジール(避難所)」になりうるのだと。人間は通常、不道徳に生きることは許されていない。社会的に表面上、倫理的で、道徳的に生きることを望み望まれるものだ。かといって、それだけでは生きられないのも人間だ。それを「ハレとケ」に喩えて説明している。

 

 先にわたしは「占いを知ることで得られるものがあり、自分を見つめ直すことができ、運命に従うも従わないもそれは自由意志なのだ。振り回されないで利用したいものだ」的なことを書いた。

 しかし石井さんは、そういう心理の中にも「自由意志からの離脱の欲求」があるとみている。

 自由意志ではどうにもならない運命という言葉にしか縋れないことというのは、この世にあるのだ。そうやって受け入れないと、心が壊れてしまうようなことがあるのだと説く。それは「運命に決定される人生観」というものを擁護するというよりは、そうやって「受け入れることで心や精神が護られる」ことを言っているのだとこの本を読んで私は受け止めた。そしてそれは、文学にも言えることなのだと思う。

 

 なるほど、石井ゆかりさんの占いは文学だった。

 毎朝とどくLINEの占いは「良い」とか「悪い」という占いでは、全くない。

 

 たとえば最近は「しいたけ占い」も好きだが、あの占いは徹底的に「励まし」の占いだと私は思っている。あなたはよく頑張ってきた、今日は今年はこんな側面が強くなりそうだよ、とあくまでポジティブな語り掛けをしてくれる。大人気だ。

 石井さんの占いはポジティブなのだが、そういう語りかけとは少し違う。

 ともすれば抽象的になりがちにもなる象徴とイメージの言葉の奔流を、短い言葉に閉じ込めたような、裏側に膨大な言葉の大河があるような占いなのだ。

 振り返ると「脅し」に聞こえるほどの断定の極致は細木数子さんだったと思うが、ゲッターズさんの占いも非常にソフトな断定型だと思う。いや、古くから「断定型」は占いの王道だったと思う。天気予報型、ともいう(この本でも占いは天気予報に似ているとおっしゃっているが、天気予報型、などという言い方は私の命名。笑)。

 「銀のイルカのあなたはこういう性格、傾向があります」

 「今年のあなたは、○○でしょう」

 石井さんの占いの言葉は、他のどれとも違う。あえていうならオラクル的だけれど、その言葉は直感というより「解読して再構築した文学」で、表現がオリジナリティに満ちている。

 

 素晴らしい本だった。

 きっとこの先何度も読むことになると予感している。