みらっちの読書ブログ

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コロナ禍、何を読んだか、何を読むか vol.2【日本古典と感染症/ロバート・キャンベル編】

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こんにちは。みらっちです。

 

コロナ禍、何を読んだか。何を読むか。

2019年~2021年に読んだ本のまとめ、第二弾です。

 

この状況下で起こっていることに興味があり、できるだけ事象に関連したり、学ぶことができる本を読みたいと思っていました。その記録になります。

 

今回は、第一弾では入りきれなかった本を取り上げたいと思います。

 

紀伊国屋書店のリンクが多いのは、私はアフリエイトやAmazonアソシエイトなどをやっていないので、あえてAmazonでないところから持ってきた、ということだけで、深い意味はありません。

 

日本古典と感染症/ロバート・キャンベル編

www.kinokuniya.co.jp

こちらは本当~に面白かったです。米国出身の日本文学者で東京大学名誉教授のロバート・キャンベルさん。私生活では何年か前に長年のパートナーだった男性と結婚し話題になりました。専門はウィキペディアによると近世文学から明治期文学、特に江戸中期から明治の漢文学・芸術・思想に関する研究だそうで、普通に考えて、外国でその国の言語に精通し、さらにその国の古典を研究するだけでもすごいのに、数多くの著書を出版し、その国のアカデミズムの中枢で活躍できるとは。尊敬いたします。英語ひとつまともに話せない自分が消え入りたいほど恥ずかしくなります。

 

ロバートキャンベルさんは『感染症で繋げる日本文学の歴史』という総論に近い論文を最初に書いておられますが、他にも14の論文が入っており、それらがだいたい年代順に配置して編集してあります。中でも驚いたのがディディエ・ダヴァンさんというフランス出身の方の『神々の胸ぐらを掴んで――感染症と荒ぶる禅僧のイメージ』という論文です。そもそもロバートキャンベル氏と同じ様に、他国の古典をこれほどまでに深く研究できることが驚きですし、国文学研究資料館准教授として著書を出版しご活躍されているとは。専門は仏教の文化的影響だそうで、私の興味のあるテーマでもあり非常に魅力的な論文でした。

 

文学を通して、日本人がどんなふうに感染症の脅威と闘い、受け止めて来たのかということがそれぞれの専門家の目を通してうかがい知ることができ、医療系の本とは違う、新鮮な方向から物事を知ることができます

 

「古典」といって、結構タイトルだけで知った気になってしまっていますが、国語の教科書以外に書籍にあたることはほとんどないですし、おそらくは論者の方がたも一般にとっつきやすく、わかりやすいように比較的知名度のあるテキストを選んでくださってると思いますが、知らないことだらけ。特に「方丈記」などは全編読んだことは無かったので、養和時代という災害と二次災害ともいえる感染症の蔓延に悩まされた時代を、めっぽうクールな視線で描いたものだったのだなと認識を新たにしました(『方丈記』「養和の飢饉」に見る疫病と祈り)。

 

昔はただただ、祈るしかなかった側面もありながら、どんな時代も人と疾病の闘いがあり、なんとかやり過ごそうとしたり、対策を講じようとしていたことがわかります。その時々における政治や人間社会の在り方にも左右されながら、悲劇を乗り越えてきた先祖の歩みに思いを馳せずにはいられません。

 

感冒の床から/与謝野晶子

www.amazon.co.jp

大正の文学者、与謝野晶子。歌人で作家で思想家です。『明星』デビュー、『青鞜』創刊号に詩を寄稿、パリ渡航、文化学院創設と当時の女性としては珍しい、華々しい活躍をしています。『みだれ髪』、日露戦争時の『君死にたまふことなかれ』、『源氏物語』の現代語訳が有名です。夫は歌人・与謝野鉄幹。略奪婚の末、13人妊娠し、6男6女を出産、1人生後まもなく亡くしています(双子を2回産み、2回目の時1人死産。この出産の後、鉄幹を追って子供を置いてパリに行ってます。年子もいます。ちょっとキラキラネームみたいな名前を付けたりもしてます)。里子に出した子も1人いたようです。10人ワンオペ育児(さすがに誰か助けていたんじゃないかと思うんですけど。近所の人とか。そんな話は出てきませんが)。鉄幹の仕事がないときは自分の原稿料で家族全員養うという、どこからそんなエネルギーが?という女性です。しかも鉄幹はそんな中でも浮気。相当エストロゲン過多な男性だったようですね。

 

そんな中、なんとスペイン風邪も経験していたとは。もう何と言ったらいいか。まあでもそんなこと、晶子さんのパワーにおいては屁でもない。かと思いきや、やっぱり大変だったみたいです。その時の経験を書いたのが、『感冒の床から』。スペイン風邪大流行は大正7年から10年の間なので、当時晶子さんは大正6年に39歳で生んだ子を亡くし、大正8年に41歳で最後の子を出産しています。上の子はハイティーンだったと思いますが、基本的に年齢の低い子供だらけ。実際に二年目には家族で罹患し、さぞかし大変だったのだろうと思うのですが、晶子さんは当時の政策や国際情勢にひとこと申す、という感じ。

盗人を見てから繩を綯うと云うような日本人の便宜主義がこう云う場合にも目に附きます。(kindle版)

学校は予防的な措置を何も取らないで、ほとんどの学童生徒が罹患してから何日かの休校をしただけ。米騒動では5人以上集まることを禁ずることを直ちに命じたのに、政府はなぜ、大勢の人が集まる場所の制限をしないのか、新聞を通じて「人の集まるところに行かないように」というばかりで、学校は子供たちに注意するだけでなんになろうか、社会的施設に統一と徹底の無いために国民が避けられるべき禍を避けられずにいる、と言っています。また、貧しい人は薬も買えずに辛い目に合うばかりで、倫理的に不合理ではないかとも説きます。(「感冒の床より」)

 

寄稿文は「感冒の床より」を含め、時系列で四篇。

 

自分たちは予防接種をしてうがい薬や学校を休ませるなど生活の中でできるだけの予防をして生きている、そのうえで罹患して死んでしまってもやるべきことをやっての死なら致し方ない、親として、また自己愛に執着しているのはまだまだ無責任、全人類のことを考えると責任は複雑になるものだ(「死の恐怖」)と語り、予防法に関してはうがいを励行し、特別な予防接種をしている(どんなワクチンだったんだ…)と書いています(「治療と衛生」)。この時与謝野家に医師として予防法をアドバイスした鉄幹の甥が、翌年ベルリンに留学してスペイン風邪で亡くなった、という記述も見受けられます。この最後の1篇では、人の命のもろさを思わずにはいられない、でもアタクシには養わねばならない子が11人いるの、絶対死ねないの!!!(もちろんこれは意訳)という熱い思いが率直に書かれています(「死の脅威」)。

 

あれから100年。少しは良くなったか、と思う部分と、いやぁ、変わらないなと思うところが何か所も出てきて興味深いです。

 

ワクチン・レース/メレディス・ワッドマン著

www.kinokuniya.co.jp

こちら。面白いのに文章自体がちょっと読みにくかったです。もともとの著者の問題なのか、構成の問題なのか、翻訳の問題なのかわかりません。群像劇のようにワクチンに関わる沢山の人物が出てくるのですが、ワクチンの開発をめぐる攻防と黒歴史のテーマはすごく面白いのに、焦点の当て方が移ろいやすく、時系列も急に飛んだりするので、もともと知識がない人間にとっては自分がどこにいるか定点を見失い、ブレてしまうのです。ひょっとしたら素人が読んでわかるようにと随所随所で解説が丁寧すぎるのかもしれません。読み終わると、なんかちょっと、船酔い気分です。

 

岩田健太郎氏の解説にホッとします。そしてダイアモンドプリンセスの時に岩田氏がバッシングされたことが本書の内容と絡み合って想起されます(解説の中にも出てきます)。そしてふと「私が子供の頃打ったワクチンって、相当ワイルドなもんだったんだな」と思いいたります。生ワクチンとか、MMRとか、息子も接種しましたが、息子の代はまだしも少し、進化していたようです。

 

 そのひとつひとつのワクチンができるまで、動物実験は当然のこと、中絶問題が絡んだり、人体実験に近い人種差別的な治験が行われたりと、人類の叡智の光の陰に、こんな黒い歴史があったとはああでも、おかげで私、今も生きてる。今生きている人は、打った人もそうでないひとも、ワクチンの恩恵を受けていない人がいないということがわかります。

 

 今のあらゆるワクチンの礎を作った人、つまりこの本を通しての主人公レオナルド・ヘイフリックが、人間の「老化」研究にも刺激を与えていると知り、確かに彼の功績はもっと知られていいのではないか、と思いました。そしてまあ、ワクチン先進国の欧米の国々においても、お金と名誉が絡んだ足の引っ張り合いの多いこと多いこと。また、盲信と正義感で事実に目を向けられなくなっている人による妨害の凄まじさ。それらによってこうむった科学の後退や損失は計り知れないと思います。

 

一般の日本人は、ヘイフリックの名前を知る人は少ないのではないかと思います。私もこの本を読むまで全く知りませんでした。そもそも、沢山のノーベル賞受賞者を輩出していながら、日本人はあまり研究内容に興味がないように思います。例えばワクチンに関しても、忌避の原因はムードであって自分から仕組みや歴史を学ぼうとはしません。素人は難しいことわかんないし、餅は餅屋、お勉強している賢いお医者様にお任せが世の習い。特に近代科学に関しては、資本主義と切り離せない商売っ気があるので、アカデミズムが好きな日本ではそれを敬遠する傾向にあるのではと思います。いっぽうで日本の医師や科学者は「外国に比べ遅れを取っている」と常に煽り・自嘲気味です。確かにこの本を読む限りにおいてもどう考えても日本は完全に置いてけぼり感がありますが、それに焦る科学者や医師にも「追いつけ追い越せ」の富国強兵とか高度経済成長の名残を感じてしまいます。

 

あらゆることがお金儲けとマウント取りレース。でも救いは、そんな中でも人類が新しい技術を手に入れ、人間に害を及ぼすものと闘い続け、着実に克服していることです。根気強く、粘り強く、不屈の魂で自身の研究を貫く人がいることです。ワクチンレースは確かに人間同士の争いもそうですが、人間とウイルスとの闘いでもあります。この時代に生きる自分をとりまく医学的僥倖の陰には、たくさんの犠牲があったことを忘れずにいたいと思います。