みらっちの読書ブログ

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はたをらくに【極主夫道/おおのこうすけ】

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こんにちは、みらっちです。

 

ワタクシ現在、専業主婦です。仕事を辞めてあれこれあって、この先、外でお仕事ができるかちょっとわかりません。昨今、いくら年齢制限が外れてきたとはいえ、中年以降の就職はやはり厳しいと言わざるをません。ですので今回この「はたらくをテーマに」というお題に参加していいのかどうか、非常に迷いました

 

いろいろと複雑な思いがありますが、読書ブログらしい参加ができたらと思い、チャレンジしてみることにします。

 

きょうび、専業主婦(主夫)の代表といったらこの方、『極主夫道』の不死身の龍(たつ)さん

 

www.kinokuniya.co.jp

 

アニメ化・ドラマ化もしています。伝説のヤ〇ザ、「不死身の龍(たつ)」。ヤ〇ザから足を洗って主夫になり、その道を極めていくストーリー……

 

と、思いきや、滅法笑えるギャグマンガです。龍さん、任侠の世界しか知らないので、どうしてもその世界をベースに物事をとらえてしまい、世間様とズレが生じてしまいます。そのズレを発端に事件が巻き起こるのですが、オチがないのがオチ、という感じの、毎回最後はどこかポカンと突き放されるところに独特な面白さがあります。

 

アニメは津田健次郎さんが声をやっていて、ハマり役。ドラマは玉木宏さん主演で、漫画・アニメの夫婦二人暮らしの設定から、子連れシングルマザーと結婚して連れ子がいる家族設定になっています。

 

bunshun.jp

 

この漫画、どこが一番魅力か、というと、自分の仕事に喜びと誇りを持っているところだと思います。そして主婦業を楽しんでいます。柴犬の可愛いエプロンにもこだわりと矜持があります。

 

龍さんは、元々真面目なので真面目に組に尽くし、伝説を作るほどの大立ち回りをしていたのですが、ある出来事があって足を洗うことになります。その時、助けてくれたのが今の奥さんの久美さん。

 

自分を救ってくれた奥さんを大切にしながら、だからといって奥さんのためだけに働いているわけではありません。確かに元反社会的勢力の方ということで、普通に就職できない事情はあるのですが、家庭の仕事に精一杯の力を注ぎ、工夫を重ね、社会ともどんどん接点を持って、主婦友もたくさん作って、町内のことにも積極的に参加をしています。そして組としては解体してしまった元組長一家も堅気の世界に巻き込んで、いつしか、いろいろな場所で龍さんが「必要」とされていくようになっていきます。

 

龍さんはよく、自転車で奥さんにお弁当を届けるときや、買い物に向かう途中に警察官に職質されるのですが、「何してるの」「どこ行くの」「職業は?」という質問に

 

専業主婦です

 

と堂々と言うのが爽快です。その後、警察官にスーパーのお得クーポンをあげたりしています。

 

専業主婦にとっては、これは本当に「よくぞ言ってくれた龍さん」と思う台詞。

 

というのも、漫画の世界ではそんな風に多様なはたらき方や生き方を楽しむことができても、おおかたの専業主婦は、こんなに胸を張って「自分は専業主婦だ」と言えないからです。

 

実際「専業主婦はチート(ズル)」だと思っている人が少なくないのではないでしょうか。少なくとも専業主婦の多くは、何かしらのそういったバッシングにはあっているので、肩身が狭い思いを抱いています。私自身も、無邪気に、あるいは多少の嫌味をもって、いろんなことを言われてきました。

 

そんなわけで私も「お仕事は?」と聞かれたら「あ、今はしてないんです」と答えます。今は、たまたましていないだけということを強調してしまいます。

 

だって世間様からすると、専業主婦であることは外で仕事をする能力がない人がやる恥ずかしいことで、人前で言うことは憚(はばから)れることみたいなのです。自分の親が専業主婦だと、バカにする子供もいると言います。

 

龍さんのように、堂々と言うことに、どうしても抵抗があります。自分が誇るに足る「主婦としての仕事」を全うしてない、ということもあると思いますが。

 

冷静に考えてみましょう。

 

「専業」の何が、チートのイメージを作り出しているのか、というと。

 

世帯の誰かの収入に依存している。給料をもらっていない。

 

仕事内容には特別な資格もいらず、誰でもできる仕事である。誰もがすでにやっていることである。

 

主婦(主夫)をしながらパートやアルバイトで収入を得ている人がいる。

 

 

つまりは、「人の収入で家にいるのは楽をしているから悪という思いが、人々の意識の中にあるんじゃないかなぁと思うのです。

 

龍さんなら、

 

主夫舐めとったらあかんぞ

 

といって庇って(すごんで?)くれるのですが、この世は今、「働かざる者食うべからず」至上主義の時代。

 

機会均等法以来、女性が社会に進出するのに伴って、専業主婦は蔑まれてきました。世代が下になればなるほど、専業主婦に罪悪感を感じる人が多いという調査もあるようです。

 

prtimes.jp

 

かつて「主婦」は、職業欄に「無職」と書かなければなりませんでした。それでも昭和の前半くらいまでは、働く場所の少ない女性たちの「永久就職先」として「結婚して家庭に入る」という選択肢は輝いていました。同じ職場で結婚もせず働くと「オールドミス」とか「お局様」と言われてしまいますから、たとえ就職したとしても結婚したら退職し、家庭に入るのがスタンダードな生き方とされていました。「専業主婦」は憧れであり、当り前であったのです。ですからこの世代の女性に「専業主婦」が蔑称だという意識はないと思います。

 

しかし時代は変わって現在は共稼ぎが主流です。一時期は「主婦の仕事はシャドウワーク。マルチタスクで大変な業務。報酬換算すればかなりの金額になる」という意見が聞かれたこともありますが、最近は、自分の一生の仕事を全うしたいという女性たちが生涯働くことができる職場が沢山あり、そういう話もとんと聞かなくなりました。ダブルインカムによって生活も安定しますし、余暇も楽しむことができます。一方に問題が起こっても、もう一方の収入で生活を立て直すこともでき、セーフネットとしての機能もあります。そんな中で専業主婦を選ぶというのは、人ひとりを遊ばせるお金があるということか、働きたくないというわがままでしかない、意義もへったくれも見いだせないという意見があるのは、理解できます。

 

昭和前半世代の「夢はお嫁さん」には「長男に嫁いだら産んだ子供は家の子、親の面倒は込み」というところがあったでしょうが、現在の専業主婦のイメージはこんな感じ。

 

「超~楽そう」

「働かないで家にいるんだから、セレブだと思う。そんな生活したい」

 

うん。わかります。そういうイメージ持たれるの、わかります。わかりますけど、この世界にあるあらゆる仕事に対して、外側から「楽そう」と思う人は、自分勝手な基準でしか物事を推し量れない、あまり想像力が無いということだろうなと思います。

 

世の中、自己実現のために自分の夢を叶えて好きな仕事ができる、という人ばかりではありません。挫折し、夢破れ、意に染まない仕事を生活のために何十年もしている人もいれば、外で働けない理由がある人も、おおぜいいます。

 

想像力を持ってほしい、と願います。

プリーズ、イマジン。

Imagine all the people
Living for today...

 

育児や看病や介護をしていたり。

家族の転勤の繰り返しでなかなか職につけなかったり。

病気と懸命に闘いながら家にいるひともいます。

不死身の龍さんのように、過去のある人も。

 

家庭にはそれぞれ、固有の事情が存在します。

 

専業主婦(主夫)も、家族の中で話し合い、可能な形態を最適化した末に選んでいる「はたらき方」のひとつだと思うのです。

 

一日中ゲームをしている、とか、昼夜なく寝ている、ということであれば確かにそれは「怠け者」かもしれません。会社ではたらいていても、営業先に行かずスマホゲームをしている人もいるかもしれないので、怠け者はどんな仕事についていようが怠け者かもしれませんが。

 

まあ普通は、自分の職務を果たそうと努力していると思います。

 

「家の仕事」はキリのない永久に永遠に続く無限ループ作業の連続で、探せばいくらでもやることがあります。生活というのは、細かなそういう現実が積み重なって出来ています。共稼ぎの方々であっても、どちらかが分担してやらないと、生活が回らなくなってしまう「家の仕事」は存在します。

 

もちろん、専業主婦という働き方がいいとか悪いとか、そんなことを言っているのではありません。

 

少しだけ立ち止まって「この人も自分とは違うはたらき方ではたらいているんだろうな」ということに想像を巡らせたら、あえてバッシングすることもないんじゃないか、と思うのです。

 

また、こちらのテーマに対して異議を唱えるわけではありませんが、フリーランス、にたいして、自由、という言葉をくっつけるのを聞くと、反射的に疑問符が浮かびます。


報酬を受け取る仕事でフリー=自由な仕事なんてないと思うからです。

 

こんな私でも、かつては外で働いたことがあります。

 

どんな仕事でも、顧客や、支払いをしてくださる・サービスをする相手がいる以上、相手を満足させなければなりません。いつ、どこで、どんなことをするかを、自分が決められるものではないと思うのです。

 

自由、フリー、ときくと、まるで自分がすべてコントロールできて「楽」「楽しい」みたいな錯覚をしてしまいそうで、懸念を抱きます。自由って孤独でキツいものだと、私は思います。「自由でフリーでしょう」と思われがちな専業主婦だからこそ、そう思うのかもしれません。

 

人としても半人前な自分が偉そうに言うことではないのは重々わかっておりますが、はたらく、ということは「はた(傍)」を「らく(楽)」にすることであって、自分が楽することではないんじゃないかなと思いますしかし「はた」が「らく」になれば、おのずと自分も楽に、楽しくなるんじゃないかと思ったりするのです。

 

専業主婦も「はた」を「らく」にする仕事のひとつなんじゃないかな、なんて……笑いながら『極主夫道』を読むたびに、そんなことを考えている今日この頃なのでございます。