みらっちの読書ブログ

本や映画、音楽の話を心のおもむくままに。

友だち追加

新しい「読書」を味わう【ミライの源氏物語/山崎ナオコーラ】

先日、吉穂堂の棚から旅立った山崎ナオコーラさんの『ミライの源氏物語』。

目にとめていただき、お買い上げいただきまして、まことにありがとうございます!

 

神田神保町の共同書店「PASSAGE」の3階にある棚、吉穂堂。

ただでさえ目立たない小さな棚。

常日頃宣伝が足りないなと思っており、それならば読書感想文を書いているブログで、置いてある本の紹介文を書き、それをXなどにポストすればどうか、と考え始めていました。

 

こちらの『ミライの源氏物語』は、紹介文を書く前に売れてしまった、ということになります。有難いことです。

 

紹介文ですので、普段のネタバレばりばりの感想文ではいけません。

とはいえ、今回は売れてしまった後ということもあり、少しネタバレ多めでお送りしようと思います。

 

まず、この本は第33回「2023年度」ドゥマゴ賞受賞作品です。

 

ドゥマゴ賞。

ひょっとしたらあまり馴染みのない賞だとおっしゃる方もいるかもしれません。

 

渋谷にありますBunkamura。

サイトにはこのように紹介されています。

 

Bunkamuraは1989年に誕生した日本初の大型の複合文化施設です。コンサートホール(音楽)、劇場(演劇)、美術館(美術)、映画館(映像)の各施設をはじめ、カフェやアート関連ショップなどからなるクリエイティブな空間は、オープン以来、新しい文化の発信基地として常に注目を集めています。さまざまな文化・芸術に触れることができるだけでなく、ゆっくりとした時間を過せる、渋谷の人気スポットとして、年間300万人もの方が訪れています。

 

現在、東急百貨店本店土地の開発計画「Shibuya Upper West Project」のため、オーチャードホールを除き、2027年まで休館しているそうです(一部の施設は、東急線沿線の施設や東急グループの施設などで継続しているそうです)。

 

そのbunnkamuraが創立1周年を記念して1990年に創設したのが、ドゥマゴ賞です。

 

パリのドゥマゴ賞のユニークな精神を受け継ぎ、Bunkamura創立1周年の1990年9月3日に創設した「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」。受賞作は、毎年かわる「ひとりの選考委員」によって選ばれます。

 

 

パリのドゥマゴ賞がどんな賞なのかということは、ぜひこちらのサイトからご覧になってみてください。

 

www.bunkamura.co.jp

 

とても独創性が高く、アヴァンギャルドな香り高い賞だということがわかります。

 

2023年度の選考員は、俵万智さんでした。

来年2024年度の選考員は桐野夏生さん。

たったひとりが、たったひとりを選ぶ賞、というだけでも独創的です。

 

私がドゥマゴ賞というものを知ったのは、1997年第7回の受賞者が町田康さんだったことからです。その時の選考員が筒井康隆さんだったということは、後から知りました(非常に納得しました)。そのときはただ、「へえ、ドゥマゴ賞っていうのがあって、面白い賞なんだ」と思ったきりでしたが、毎年選ばれる賞が「攻めた」作家さんと作品ばかりで、なおかつ、必ずしも自分もいいと思うようなものではないことが、逆に新鮮だなあと思っていました。

 

芥川賞や直木賞、本屋大賞やすばる文学賞など、有名な賞を受賞する作品は、話題性があり、テーマによっては少々とっつきにくいものもあるものの、どちらかというと、その後の商業的活動をにらみつつ一般に浸透して親しみやすい作品が多いものです。

 

しかし、ドゥマゴ賞は違う。

 

なにしろ、たったひとりがたったひとりを選ぶ賞です。

ある意味、とても「偏って」いる。

その「偏り」がイイ!ということになります。

 

もうひとつ、わりと最近知った賞で「わたくし、つまりNobody賞」 という賞があります。こちらは、2007年に46歳で早逝された哲学者池田晶子さんを記念して創設された賞です。NPO法人が個別の作品ではなく人物に授与する賞で、賞の趣旨は「ジャンルを問わず、ひたすら考えること、それを言葉で表わし、結果として新たな表現形式を獲得しようとする人間の営みに至上の価値を置くもの」。

 

www.nobody.or.jp

 

独創性が高い、という点で、このふたつの賞は私の中で燦然と輝いている賞です。

 

そんなアヴァンギャルドなドゥマゴ賞を受賞された『ミライの源氏物語』。

選んだ俵万智さんのお話や、山崎さんのお話、ふたりの対談などは、bunkamuraのHPから読む(観る)ことができます。

 

『ミライの源氏物語』が初めて源氏物語を読む人に向くか向かないか、というと、正直、向かないような気がします。もちろん解説は丁寧なので、初めて読む方にわからないということはないと思いますが、基本的にだいたいの登場人物やあらすじがわかっていないと、現代に照らし合わせてどのあたりが「問題」なのかがピンとこないかもしれません。

 

反対に、もしかしたら「源氏物語」にある種の「偏見」があって、読みたいと思わない、と思っていた人にとっては、初めて読む読み物として相応しい作品かもしれません。

 

「古典は難しくて嫌い」「宮中の恋愛ものなど、すました貴族の話で面白くない」と、そもそも手に取ることもなければ毛嫌いして避けてきたようなかたにとっては、もしかしたら現代にも通じる本質的な問題があることが、意外に感じるかもしれません。伊達に1000年読み継がれてきたわけではないことを、山崎さんは眼前に浮き彫りにしてくれます。

 

『ミライの源氏物語』は現代語訳ではありません。ところどころ、山崎さんの「超訳」というべき訳文がはいるものの、「1000年前にかかれた小説を現代の倫理感で照らし合わせてみたらこんな問題が浮き彫りになる」という斬新な作品です。

 

当時の言葉は、当時の時代が作り出しているのであり、当時の人と同じように受け止める読書などはなからできるわけがない、と山崎さんは言います。それならば、現代人として現代人らしく読んでみようではないかと言うのがこの作品のスタイルなのです。

 

山崎さんはご自身がノンバイナリー(性別を男性か女性かで分類する考え方をするジェンダーバイナリーに対して、男女二元論に囚われない考え方をする人)であると公言していらっしゃいます。そのため、少し潔癖なくらい性別を排除している部分があると感じられるかもしれません。でも、だからこそ、この作品はとても新鮮です。なぜならば源氏物語は「超バイナリー」の世界だからです。

 

 多様性の時代に相応しい「ミライの源氏物語」。1000年前からこれまで一貫した視線が注がれてきた物語に「ミライの」視線を注いだ作品。少し行き過ぎと感じる部分もあるでしょうし、現代ならこうなるなと深く納得する部分もあるかもしれません。従来のフェミニズムとは少し違う視線です。ありがちでお手軽な共感とは違う、ざらついた感覚で思考が刺激されます。

 新しい「読書」の形を味わえる一冊です。