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結局自分とつきあうのが一番難しい【藤原伊織】

 

『ダックスフントのワープ』は藤原伊織さんのデビュー作です。集英社文庫も文春文庫も、すでに絶版のようです。
 

books.bunshun.jp

 

1985年発表で、すばる文学賞受賞作品。集英社文庫版の解説は大学の同窓生であった宗教人類学者の植島啓司さんで、それによると高校時代にすでに雑誌の新人賞候補になった作品を書いていたそうです。1995年『テロリストのパラソル』で江戸川乱歩賞、直木賞のダブル受賞を果たしました。それまで乱歩賞受賞作が直木賞の候補になったことや、乱歩賞受賞作家が直木賞を受賞した例はありましたが、すべて違う作品での受賞だったようで、同一の作品で二賞を受賞したのは史上初だったそうです。

www.kadokawa.co.jp

 

『テロリストのパラソル』の文庫本あとがきは関口苑生さんというミステリ評論家の方で、そこにもこの作品がダブル受賞に至った経緯やいかに選者の間で高い評価を得たかということが書いてありました。翌年、同作で直木三十五賞も受賞し、同時ではありませんが三冠ということになります。

 

作者の藤原伊織さんは東大仏文科卒。電通に勤めていて作家と二足の草鞋だったことくらいは知っていましたが、作者さんご本人については良く知りませんでした。2007年に59歳で亡くなっています。ダックスフントのワープから『テロリストのパラソル』までの10年間、原稿依頼を断り続けていたそうです。ギャンブル好きだったらしく、前出の植島さんによると彼らは雀荘仲間だったとか。『テロリストのパラソル』の作中には株について主人公と元刑事が詳しく語り合う場面が出てきますが、株もお好きだったようです(乱歩賞受賞の言葉のところに書いてありました)。ギャンブルでの借金がかさんでしまい、その借金返済のため1000万という破格の賞金を目当てに江戸川乱歩賞に応募したそうです。

 

 

文学賞でまさかの賞金稼ぎですか!
そこがもうすでにハードボイルドなんですけど。

 

ちなみに、賞金が1000万なんて本当?と思い、これを機に高額賞金の文学賞を検索したところ江戸川乱歩賞は確かに今でも1000万円でした。受賞者が複数の場合1000万円を分割するそうで、独り勝ちだった場合はまるまる1000万円がもらえます。そして最高金額は「このミステリーがすごい大賞」の賞金で1200万円でした。こちらは複数受賞がなさそうなので、大賞を取れば確実に1200万円がもらえますが、2002年から創設なので、残念ながら藤原伊織さんが賞金が欲しかった時代にはありませんでした。あれば「このミス」に応募したかもしれませんね。

 

「本気出したら俺はすごい」と思っていて全然ダメな人は数多かれど、東大を出て日本有数の広告代理店に勤めながら「本気出したら俺はすごい」って賞金稼いで証明するわけですから、桁違いの才能というべきでしょう。

 

さて私はどこで藤原伊織さんのことを知ったのだったか、『ダックスフントのワープ』を最初に知ったときは結構な衝撃を受けました。NHKのドラマの前後だったので1989年前後だったと思われます。

 

こんなお話、とあらすじを簡単に紹介するのはちょっと難しいです。少々長くなりそうですがまとめてみます。

 

大学生の青年「僕」がお金持ちの頭のいい小学生のお嬢さんの家庭教師をしています。マリというその10歳の女の子は同級生と話が合わず学校にも行っていませんでした。広辞苑を傍らにおいて自分の表現したいことを探し出し会話する、そんな彼女の話し相手をするのが「僕」の仕事です。

 

マリの父親は二十歳の女性と結婚しています。マリと義理の母親は、どう接していいかわからないまま一緒に暮らしている状態です。マリは年の若い新しい母親になじむことができません。かつ、母親の方はまだまだ遊びたい盛りであるのにいきなり10歳の女の子の母親になり、その子があまりに賢いので非常に劣等感を持ちます。「みんなが私を馬鹿にする」と、彼女も少しずつ病んでいきます。

 

僕とマリは「僕」が即興で思いついた「物語」を中心に会話をします。スケートボードに乗っていたダックスフント。坂道で止め方がわからず暴走していた先に、人間の少女の姿を認めます。そのままいけば少女と衝突し彼女を殺してしまう。ペットとして飼われていた犬が、人間の女の子を助けるために唯一できたこと。それはワープという「回避」でした。そしてワープした先で問われた覚悟と、犠牲。その物語をもとに「対話」することでさらに出来上がっていく現実の物語が描かれます。入れ子になった「異空間」と「リアル」が織りなす物語は、互いに影響しあいながら、どちらも心の中の「現実」になっていきます。

 

物語は異空間でのダックスフントのお話を軸に展開していくのですが、その物語は次第にマリの心を開きはじめます。「僕」はマリの学校の担任の女性教師と知り合いますが、担任教師は彼の「物語」がどうしてマリの心を開き始めたのかに興味を持ちます。マリが順調に回復していくかと思われた矢先、悲劇的な事件が起きてしまいます。

 

 マリはダックスフントの話を聴くことで、新しいお母さんとなんとか歩み寄ろうと思ったようです。でもそれは話している「僕」にとっては「ただの話」。会話のきっかけに過ぎないし、そこに「意味」をあまり持たせていなかったのです。彼女が回復してきたのは「僕」にとって一種偶発的なことでした。彼はそれを「鏡」と表現しています。「鏡に映った姿を見て何かを学ぶ人もいる」。

 

「僕」にはもともと世界と自分との間に隔たりがあるような客観性、いってみれば冷酷な部分がありました。読者は「僕」の態度に、マリが回復してきたことも、自ら新しい母親に歩み寄ろうとすることも、べつだん意図したわけではない、という冷たい突き放しが感じられて、少々不愉快を感じることもあります。何においても「僕」には、自分には責任がない、無関係だ、という自己防衛が感じられるのです。

 

しかし彼は自分が適当に作った寓話によって周囲に影響を与えてしまいました。ダックスフントの物語に意味を見出したことで、マリに悲劇が訪れたことを、「僕」は自分のせいだと思いますが、それによって沸き上がった感情をうまく処理できず、悲しみを共有しようとしたマリの担任教師を突き放し、逆に突き放されます。

 

と、言うのがだいたいのあらすじです。

 

全体的に、藤原伊織さんの文章は乾いていて、端的で、海外の翻訳ノベルみたいです。知的で独特な台詞回しで残酷なことをさらりと他人事みたいに語ります。文体はちょっと村上春樹っぽく、過剰な感情表現は一切なく、皮肉っぽい言い回しを多用します。ハードボイルド、と言われるゆえんです。特に主人公にその傾向が強く、周囲のほうが主人公のコミュニケーションの拒絶や虚無的な態度に腹を立てたりしますが、当人はいたって冷ややか。でも、初めて読んだときはそれがすごくカッコよく思えました。

 

文庫版には「ネズミ焼きのおくりもの」という短編がはいっています。こちらも、淡々と残酷な現実が語られる話です。大学時代の友達の妹が、兄が亡くなったときのことを話す場面はちょっとトラウマレベル。事実レベルのことばかりでオチらしいオチもないのでダックスフントのワープほど重層的ではなく少し物足りなくも感じます。

 

さて一方、<b>『テロリストのパラソル』</b>は、三冠が証明する通り、文句なく傑作です。一部の隙間なく埋まり完成するミステリ文学のジグソーパズルを楽しむことができます。事件が起こってからほんの数日の間に、過去に散らばっているパズルのピースを集め、犯人を追い詰めるハードボイルドな主人公。そして、爆発あり、乱闘あり、カーチェイスあり、銃撃ありの、息もつかせぬ展開がまた、ハードボイルド。

 

『ダックスフントのワープ』がとても気に入っていたので、最初に『テロリストのパラソル』を読んだときは「これが(私の期待した)藤原伊織?」と思いました。作品と作品の間には10年の隔たりがあるものの、私が読んだ時期はそこまでの隔たりではなかったはず。久しぶりの新刊、受賞作、と楽しみにしていましたが、なんとなく「微妙な感じ」。『テロリストのパラソル』は最初から最後まで完璧な映画みたいです。出だしからいきなり惹きこまれてものすごく面白いし、全体に流れる虚無感、その投げやりともいえるような突き放した表現は変わりないし、主人公がいけ好かないほどスカしているのは共通点だけれど、何か変わってしまった気がしました。何かははっきりわからないけれど。

 
例えていうなら完璧すぎて「何かに迎合した」感じ。「一緒に長髪にしてたくせに、髪切って髭剃って一流企業に就職した」みたいな・・・

 

と、これは冗談ですが、こんな表現をしてみたのは『テロリストのパラソル』のミステリの鍵がその時代にあるからです。1969年。洋楽の歌の歌詞にもよく出て来るこの年。プラハの春の余波、東大安田講堂攻防戦、アポロ11号月着陸、ウッドストック・フェスティバル。この年は本当に、あらゆる創作物に何かの記念碑のように刻まれている年だと思います。この物語もここがスタート地点です。そしてその結末は「迎合」とは真逆でしたが。

 

 藤原伊織さんの作品には、個にとらわれ他人との距離感に困難を抱える人、自分がしたことが巡り巡って思わぬ事態になるような、例えば「自分は何もせずにそのままにした」結果起こったことに対し「本当は自分が悪かったんじゃないのか。真の犯人は自分じゃないか」と思うに至る恐怖、のようなものが描かれていると思います。それを冷めた目線と冷めた調子で淡々と塗りつぶすように描写していきます。

女性の登場人物に関しては時折無理目の設定もあったりしますが、これは時代もあるので仕方がない部分もありそうです。まあ、ハードボイルド小説に登場する女性ってこんな感じかも・・・

 

『テロリストのパラソル』以後は亡くなるまでいくつかのミステリ作品を世に送り出しています。亡くなるのが早すぎました。残念です。それでも、藤原伊織と言えば私にとって『ダックスフントのワープ』の人。ダックスフントの可愛らしいイメージにに相反して壮絶な内的葛藤と悪意との闘い。心に引っかかり残り続けました。忘れられない作品です。

 

※2023年10月1日にサービス終了となった「シミルボン」では、希望者ひとりひとりに投稿記事のデータをくださいました。少しずつ転載していきます。

初回投稿日 2021/2/27  10:51:01