みらっちの読書ブログ

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エッセイの師匠5【銀河を渡る/沢木耕太郎】

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こんにちは、みらっちです。

 

少し間が空いてしまいましたが、文章、特にエッセイを書くにあたり、影響を受けた作家さん。

 

今回は、沢木耕太郎さんです。

 

なかなか、出てこないなぁと思っていた方もいらっしゃるかもしれませんね(いないか)。沢木耕太郎さんは現代を代表するエッセイイストのおひとり。

 

以前、ちょっとだけ『流星ひとつ』のところでご紹介しました。

miracchi.hatenablog.com

 

沢木耕太郎さんといえば「旅」「スポーツ」

 

50代以上の方の中には、若いころ沢木耕太郎さんの『深夜特急』に影響を受けて彼に憧れ、バックパックを背に世界を周る旅に出た、という方も多いかもしれません。

www.kinokuniya.co.jp

実は、沢木さんの本を初めて読んだのは、まさにそのような形で強く沢木さんに憧れた夫が、私に『一瞬の夏』を貸してくれたのがきっかけでした。それもまたひとつの青春の思い出と言えるかもしれません。

www.kinokuniya.co.jp

夫とは二十歳そこそこで出会ったのですが、二十歳そこそこの男女がそうして『一瞬の夏』を貸し借りしあうのはある意味あの時代の青春でありましょう。初々しい話です(と、他人事のように思い出す50代の私。笑)。

 

そういうわけで、今はどうかわかりませんが、夫は当時、沢木耕太郎さんの熱烈なファンでした。沢木さんの本は沢山持っていましたし、私も自然に読むようになりましたが、私自身はそこまで沢木さんに傾倒するようなことにはなりませんでした。

 

だいたい本であれミュージシャンであれアニメであれ「ものすごいファン」がいて、その人から紹介されて自分も好きになったからといって、後からはその領域にずかずか踏み込んでいけない、ということって、ありませんか。あの「タッチの差」みたいなのはなんでしょうね。

 

紹介した方も、紹介された側が気に入ってくれて、共通の話題が増えたことは嬉しく思うのだけれども、「最初に発見して紹介したのは自分」みたいな奇妙な気持ちを感じたりするものです。特に、紹介された側の方が夢中になってしまって、あまりに強い愛情を表明するようになると、複雑な感情が沸き起こってきたりします。

 

これがリアルな男女になると、

 

あなたに彼女あわせたことを

わたし今も悔やんでいる

ふたりはシンパシィ感じてた

昼下がりのカフェテラス

by「悲しみがとまらない」杏里

 

 

みたいなことに発展したりしてしまうわけです。

人生狂わすほど大好きなものを人に紹介するときは要注意。笑

 

おっと。話がそれました。

 

そんなわけで、沢木さんの本には親しんで青春を過ごしたわけですが、社会人になり仕事も忙しくなると、夫も私も特に新刊を追いかけるでもなく、時を過ごすことになります。

 

ときおり、新聞のコラムや雑誌などで見かけたり、あとは新幹線。新幹線でJR東日本の車内サービス誌「トランヴェール」『旅のつばくろ』という連載コーナーがあり、それを読むのが楽しみでした。

www.jreast.co.jp

『旅のつばくろ』は、『深夜特急』の前、16歳の時に初めて旅に出た先が東北だったということで、改めて東北地方を旅してエッセイを書く、という趣旨だったと思います。

www.shinchosha.co.jp

そんな感じのおつきあい(?)を続けていた沢木さんと、久しぶりに濃厚な再会を果たしたのがこの本、『銀河を渡る』

www.kinokuniya.co.jp

2018年刊です。

25年間で書いたエッセイを自選してまとめたもので、「歩く」「見る」「書く」「暮す」「別れる」という章立てになっています。それまでにも十年ごとにエッセイ集を出していて、三冊目のエッセイ集ということになります。あとがきによると、前回のエッセイ集にあった「読む」に分類される書物関係のエッセイは多すぎるので別の本にまとめ、「会う」というエッセイは少なくなったので除外したとのこと。それには、人に会うことより「別れる」ことが多くなった自分のライフスタイルの変化が関わっているのだろうとご本人がおっしゃっています。

 

このエッセイ集、最初に読んだときは、ちらちらと見て「ああ。懐かしい沢木耕太郎さんの文章だな」と思い「あとでゆっくり読もう」と積読にしてしまいました。

 

阿刀田高さんのところでもお話ししましたが、私はエッセイをちょっとした隙間時間、仕事と仕事の間に読むことが多いのですが、沢木さんのエッセイは、どうかするとやめられなくなって「隙間」に対応しきれなくなるので警戒心がありました。

 

あるときふと「まあちょっとだけ読もうかな」と思って手に取り、普段は目次などに目を通し、基本的には1ページ目から読むのですが「まあちょっとだけ」と途中をランダムに開けて読みました。

 

するとこれがまあ、面白いし、いい気分転換になり、とりあえず1つだけ、というのも悪くなく、それからはその辺に置いておいてちょこちょこ、読むようになりました。

 

そんな読み方をすることはあまりないので、同じような場所を開いては「あ、これ読んだ」「これはまだだった」というようなことも出てくるのですが、ある時、ハッとすることがありました。

 

「別れる」のところで、高倉健さんの追悼で書かれたエッセイがあったのです。

 

なんという失態!気づかなかった。

 

というのも、『深夜特急』文庫版の2巻に、高倉健さんとの対談が納められているのですが、そのときの高倉健さんとの不思議な交流がなんとなく忘れられず心に残っていたからです。その対談のタイトルは『死に場所を見つける』(1984年に雑誌平凡パンチに掲載されたものの再録)。

 

こんな形で「別れ」のエッセイになっていたとは。

 

『銀河を渡る』に収録されたエッセイのタイトルは『深い海の底に』

どちらも読んだら、このふたつのタイトルの意味深さに鳥肌が立つほどです。

 

別れは2014年におとずれ、エッセイは2015年に書かれています。

 

おふたりの出会いは不思議なものでした。

 

ボクサーのノンフィクションを手掛けてきた沢木さんは、モハメド・アリの最後の試合を見届けたいと思いましたが、迷っているうちにチケット争奪に出遅れてしまいました。相談したのが、高倉健さんと共通の知り合いであった林さんという編集者の方。そうしたところ、なんと高倉さんがチケットを譲ってくれることになり、沢木さんはアリの試合をラスヴェガスまで見に行くことができました。

 

高倉さんにお礼をしたいと、沢木さんは高倉さんのためだけにアリの試合の観戦記を書くつもりで、長いお手紙を書いたのだそうです。その手紙に感動した高倉さん。いつか沢木さんと会ってみたい、沢木さんとの仕事だったらいつでも受ける、と周囲にも常日頃言うことで、何年かのちに本当に対談が実現します。

 

それからは個人的に親しくお茶を飲んだりお話をしたりするようになりました。作家と映画俳優のおふたり。いつか力を合わせてなんらかの作品をつくりたい、と思うようになるのはとても自然なことです。

 

しかし実際に「作りたい映画」ということになると二人の思惑にズレがあり、次第に疎遠になっていったのだそうです。ふたりともひとかどの分野での熟練者であり、それぞれに相手に対するイメージや期待と、自分のこだわりがどうにも摺り合わされないという、よそからみているとなんとももどかしい、ああさもありなんと思うようなエピソードが書かれていました。

 

『深い海の底に』は、沢木さんが理想とする高倉健さんのイメージで描いた『波の音が消えるまで』という作品が本として出来上がる寸前に高倉さんが亡くなって、間に合わなかったという無念や後悔と、やはりこの作品は、自分の思惑、自分の理想が結実したものだから、現実的に高倉さんが演じるものではなかったかもしれないという諦観とがないまぜになった物になっています。しかも高倉健さんを主演にした映画にこだわり続ける沢木さんに対し共通の知り合いである編集者の林さんが「もういいじゃないですか。やすませてあげませんか」とおっしゃったそうで……グッときます。

 

それにしても思うのは、この人と人が出会う不思議さ、奇跡、のようなものが、沢木さんの身には通常では考えられないほど数えきれなく起こっているということです。

 

沢木さんは『銀河を渡る』のあとがきでこのように書いています。

 

だが、二十五年という、そう短くはないこの年月の中で、変わらなかったことがひとつある。それは、常に私が移動を繰り返してきたということだ。ここではないどこかを求めて、というほど初々しくはないにしても、こことは異なるどこかへ行きたい、という好奇心が消えうせたことはなかった。それが私に繰り返し海を渡らせた。

                          『銀河を渡る』

 

 ここではないどこか、という言葉を聞くと私はいつも、トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』の中の忘れられない言葉を思い出します。

 

 「私の頭の中には、いつもここではないどこかがある。そこは何もかもきれいなところで、たとえば誕生日の子どもたちのようなところ」

 

 かつて図書館で読んだので、正直、その言葉通りだったかどうか、記憶が覚束ないのです、違っていたらすみません。ただその印象的な言葉だけは強く私の記憶に刻まれています。自分の中にも常に「ここではないどこか」を夢見る気持ちがあることに気づかされたからかもしれません。

 

 しかしただ夢見るだけではなく、沢木さんは本当に「ここではないどこか」を求めてどんどん、行ってしまいます。その結果、「自分でも奇妙に思うのだが、私は旅に出ると本当に不思議なことに出会う」(「セントラルパークにて」)と言うことになるのだと思います。なんなら彼の人生は旅そのものなので、常に「ここではないどこか」や「奇妙で不思議なこと」を引き寄せてしまうのかもしれません。

 

余談ですが、トルーマン・カポーティについては、このエッセイ集の中にも『犬は吠える』というカポーティの本を大事にしている、という話が出てきます。このタイトルは「犬は吠える、がキャラヴァンは進む」というアラブの諺から来ているそうで、その時に引用したカポーティの言葉がこちら。

 

私はよくこの言葉を思い出した―――ときにはおめでたいばかりにロマンティックに、自分を遊星のようなさすらい人として、サハラ砂漠の旅人として夢想しながら。

 

沢木さんは、この言葉によって「犬の吠え声が気になっても、進まなくてはならない」と励ましを受けていたのだ、とこのエッセイを結んでいます。(「キャラヴァンは進む」)。 

 

ほんっとに…根っからの……

 

旅人なんだなぁ!!

 

沢木さん自身の「過去」とリンクしたり、これまで出版した書籍と繋がったりということは、これらのエッセイだけではなく、この『銀河を渡る』に掲載されたエッセイ全体に言えることで、それは、沢木さんのエッセイ集なのだから当然なのですが、かつて沢木さんの作品を読んだ「わたし」の過去や記憶ともリンクしていたりして、まさに銀河の中を旅するような、不思議な感覚にとらわれます。

 

そしてまた、『旅のつばくろ』というタイトルを目にしたときも思いましたが、沢木さんもまさしく「地球人」のひとりだ、と思います。つばめは渡り鳥ですもんねぇ。

 

私は沢木さんのエッセイを読むたび、日本を、世界を、地球を、銀河を旅しているように思います。そんなふうに誰かを「ここではないどこか」に連れて行ってくれる沢木さんの文章は、どこか硬質な、矜持といったような言葉に相応しい、なんとなく脇差でもさして歩いているかのような「かたくなさ」を保持していながら(そういえばどことなく『銀河を渡る』の表紙の藤田嗣治の絵がそんな感じ)、それでいてリアルで、決して夢想的ではないのです。

 

芥川龍之介っぽい眼光鋭いイケメンでいらっしゃるのに外側は着飾らない。それでも内側に秘めたダンディズムがちらちら見える。今でいう、ツンデレな感じが、そこはかとなく漂います。かと思えば軽い荷物ひとつでふらりとどこかに行ってしまうような、自由な軽やかさ。その生き方が見事に昇華されている文章が、人々を魅了するのだと思います。