みらっちの読書ブログ

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元祖・知の巨人【マックス・ヴェーバー物語 二十世紀を見抜いた男/長部日出雄】

 

こんにちは、みらっちです。

 

マックス・ヴェーバー(1864年 ~1920年)について、私が知っていたことはただ単に「ドイツの学者で、資本主義の提言者」ということだけでした。

 

難解な著書は読めるはずもないだろうと思っていましたし、それ以上知りたいと思うこともありませんでした。

 

どこで見たのか忘れたのですが「マックス・ヴェーバーはスペイン風邪で死んだ」というのを見て、へーと思いました。現在のパンデミックはかなり落ち着いてきましたが、渦中から100年前のパンデミックにも興味が湧き、何か学べることはないかと思っていろいろと本を読んでいます。

 

あらそれじゃあ、家にあったんじゃないかしら、アレ。夫の本。

 

と思って読んでみたのが『マックス・ヴェーバー物語 二十世紀を見抜いた男 /長部日出雄』です。

 

これが面白かったのです。

 

著者の長部日出雄さんのことも知らなかったのですが、2018年という比較的最近に84歳で亡くなっています。太宰の評伝なども書いているそうなのですが、Wikipediaによれば、少々偏った思想の持ち主だったのが、晩年さらに極から極へのような思想転換をした方だったとか(具体的に左右どっちからどっちだったかはWikipediaをご覧ください)。

 

Amazonの書評にも、この本がとてもいい本だったから、思想転換された晩年、著者ご本人がこの本に対する評価を下げていなければいいけれどと書いてあって、本当にそうだなと思いました。

 

この本は、特別な思想に偏ることなく、毎回短編小説くらいの長文なうえに手紙魔だったマックス・ヴェーバーの書簡などを丁寧に紐解き、難解な著書に対しては、ドイツ語原著を読むことができないからとわざわざ断り書きを入れて、専門家の訳書を紹介している、とても丁寧な評伝でした(原典にあたることを軽視してこういう丁寧さに欠ける表評伝は、昨今多い気がします)。マックス・ヴェーバーの妻マリアンネも夫の評伝を書いていますが、これも参考にしながら、必ずしもマリアンネの言説を是としないで、必ず裏を取っています。

 

マックス・ヴェーバーが頭角を現す直前のドイツ(プロシア)に非常に影響を受けた、明治維新から始まる日本の政治についても、彼が活躍した背景や影響を説明する伏線として詳細に描いていますが、この本を書いた当時ならばもっと苛烈な筆致になりかねないところを、おそらくは非常に押さえて、できるだけフラットに書こうとする姿勢が見えるものでした。

 

「マックス・ヴェーバーが何時(いつ)ごろの人であるかは、森鴎外の二つ年下、といえばわかりやすいのではあるまいか」と冒頭、森林太郎(森鴎外)を引き合いに出していますが、すみません、長部さん。2000年刊行の本ですが、おそらく当時も今も、若い人たちは森鴎外をリアルにイメージすることは難しいと思います。しかし森鴎外とヴェーバーは学問と政治に翻弄される中でいろいろと重なることが多く、この本がかえって森林太郎の評伝にもなっていて一粒で二度おいしい感じです。

 

「マックス・ヴェーバー物語」というタイトルのように、当時のドイツと日本の状況についても、作家らしい表現と想像力を駆使して、素人にわかりやすく読み応えのあるものになっています。

 

以前、立花隆さんが「知の巨人」と呼ばれていたことを書きましたが、マックス・ヴェーバーは元祖「知の巨人」です。

 

マックス・ヴェーバーとGoogle検索をすると「マックス・ヴェーバー 簡単に」という検索ワードが下に示されるほど、その業績は政治学、社会学、経済学のほか、宗教、歴史、音楽と多岐にわたり、そのひとつひとつが高度な知識と先見に裏打ちされているといいます。

 

代表的著書は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』というもので、このタイトルからしてすでに「宗教」「倫理」「経済」「政治」が分かち難いことが見て取れます。細かいところを端折らず、丹念に洗い出していく長部さん。

 

最初は「なんでマックスさんのお母さんの一族の話を延々と」と冗長に感じていた記述が、後から「なるほど」と腑に落ちることになります。これによって、マックス・ヴェーバーという人とその仕事が、素人にもわかりやすくなったと思います。そっかそっか、100年前の「バカの壁」は「宗教」と「信仰」だったんだなと。そしてそれは今もたいして変わってないんだなと。

 

今回我々が経験したスペイン風邪以来100年ぶりのパンデミックといわれる厄災を通して、右往左往し混迷する政治経済をみるにつけ「資本主義ってなんだろう」「民主主義ってなんだろう」と思うようになっていました。そもそも日本には「資本主義」と「民主主義」が同じようなものだと勘違いしてきた歴史があるんじゃないかと思いはじめていました。

 

今こそ、20世紀初頭にプロテスタントの合理性から資本主義を提唱したマックス・ヴェーバーを知ることは、意義のあることなのではないか、と思います。