みらっちの読書ブログ

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退屈ならそれもまたグー【お題:夏だね!夏休みだね!自由研究だ】

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今週のお題「自由研究」

 

いやー…

このお題は私としては難しくて、もう、出すのやめようかな~と思ったのですが、せっかく書いたのと、お題に挑戦してからは今のところすべてのお題に100%投稿しているので、非常に消極的にではありますが、出しておくことにします。笑

 

 

ネガティブなところから始まりたくはありませんが、嫌でしたね、自由研究。

 

そもそも、学校が求めているのは「かがく」とか「かんさつ」とかそう言ったものであって、本当に自由に研究していいのだったら、

 

夏休みこそ自由にさせてくれ~

むしろ「自由」を観察させてくれ~

 

と思っていた気がします。

宿題に追われ忙しくて退屈を満喫することもできない小中学校時代。

 

「研究」というのは何種類かあって、

 

①仮説を立てて実験する

②観察して記録する。

③フィールドワークによる収集と考察

④文献から考察する

 

などが主になります。

 

子供の頃は、特に小学生時代は、たいしてそういうことを習わないうちに「研究してこい」と放り出されるので、「はーケンキュウってなにすればいいんだろうなあ?」と途方に暮れ、結局親が上記の①~④あたりを駆使して試行錯誤しながら完成させる、ということになります。

 

つまりは親が「研究というのはこうするのだ」を教えなければならないのです。

ということはですよ、親になっても「自由研究」は続くのです。

 

うわー、いやだなぁ!と思っていました。

そんなだから、実際の子供の自由研究に関してもうまく関与することができません。

 

「今年、自由研究何にするー?」

(と私が言うまで、彼は放置。)

「うーん、わかんない」

「去年なにしたっけ?」

「パパの会社の見学」

「その前は?」

「遊び道具の今昔」

「ほんと、観察とか実験しないね」

「嫌い」(ひとこと!遺伝だからしょうがない)

「そもそもさ、知りたいことないの?調べてみたいこととか」

「ない」

「好きなこととか」

「ゲーム」

(埒が明かない…)

 

研究、なんていうから、やる気なくすんじゃないだろうか…

などと学校の課題のせいにしてみる。笑

 

「じゃあさ、いっそ、ゲームのこと調べたら?YouTubeだって実験色々やってるよね」

「そういうんじゃない。やるのが好きなだけ。YouTubeも観るのが好きなだけ。面白いから見るだけ。それ以上もそれ以下もない」(バッサリ)。

 

仕方なしに、「自由研究」という本を買ってきたり、ネットで調べたりして、なんとかおしりをたたいてギリギリに間に合わせることになりました。

 

自由研究の、何が嫌なのでしょう?

単に宿題だからでしょうか?

 

きっと、子供のころから、自由研究と言えば闘志が燃え「オラわくわくすっぞ」と思っていた研究体質の子も沢山いるのでしょうし、ファーブルみたいに観察が三度の飯より好きな子もいると思います。リアルポケモンみたいにフィールドワークで何かを集めるコレクター体質の子もいるでしょう。好きな子は好き、嫌いな子は嫌い、という話なのかもしれませんが、何か全体的に反発したくなる空気があるのは確かなような気がします。

 

 

私や息子のように「なにをしたらいいのかわからない」子には、いっそ先生が「これをやってきなさい」って言ってくれた方がいい、といつも思っていました。

 

「自由じゃない」ほうがいい「自由研究」。笑

 

それにしても昭和の時代は「朝顔の観察」は自由研究に含まれず、それにプラスして「一行日記」「自由研究」「図画工作」「夏のワーク」みたいなボリュームでしたけれども。過酷。笑

 

 

実を言うと私は、大人になってからは夏に関わらず年がら年中「自由研究」をしています。

 

ええ、誰にも強制されていませんが、自主的に。しかも楽しんで。

 

読書もテーマがあると燃えますが、日常生活においても、たとえば「食器用および洗濯洗剤の界面活性剤の役割と濃度」など、選択しなければならない日用品においては化学成分比較などを嬉々としてやってしまいます。シャンプーとか。

 

発表の機会はありませんが、自分の役には立ちますし、立派な自由研究だと自分では思っているのですが、どうでしょうか。

 

ブログも、そうである、といえばいえる。笑

 

大人になってから「研究」熱心になったのは、提出する先もなければ、本当に純粋に自分が自分の疑問の解決のために調べるのは「楽しい」からだと思います。

 

しかも、それはひとえにインターネットのおかげ。

 

ググる。

 

なんてすごいツールを、人類は手にしてしまったんでしょうか。

 

ググれば人の研究を家に居ながらにして読むことができます。英語が読めなくても読んだ人の解説を読むことができます。翻訳機能もあります。図解や動画もお手の物です。基礎知識を得るために何を読んだらいいかもわかります。

 

ブラボー!

グッジョブインターネット!

 

 

ただ、ググることでなんでも知ることができる反面、そのことに脳味噌が甘えてしまって、自分の疑問を繋ぎとめておけない現象もでてきています。

 

反射的に答えを得るので、すぐに忘れてしまうのです。

 

コピペなんてしようものなら、自分が何をまとめようとしていたのかわからなくなってしまいます。

 

じっくり取り組んで、調べたことを自分でまとめたものほど、記憶に定着することはありません。

 

 

その訓練をするためにも「自由研究」は本来、必要な「技能」なのかもしれませんね。

 うーん。やっぱり、真面目にやっておいたほうがよさそうです…

 

 

 ※タイトルは「イージュー★ライダー」の歌詞