こんにちは。
終戦記念日です。
先日、実家との電話に息子が参加し(最近は思春期でそうそういつもは話さない)、たまたま「もんぺ」の話が出て、息子が「もんぺ」を知らなかったことがわかり、つい「えーもんぺ知らないの?」と言ってしまいました。
『まんが日本の歴史』で絵柄を示し「これだよ」というと、「ああなんだ、これかー」と納得。
『まんが日本の歴史』は何度も読んでいるはずなのに、そうか、「ことば」だけでも「絵」だけでも、物事はなかなか、伝わらないものなのだなと、思った次第です。
今朝のNHKのニュースでも「戦争を知らない世代が戦争を知らない世代にどう戦争を伝えるか」ということを長崎の小学校を例にとり特集していました。
「戦争はよくないことだ」と誰もが思っているけれども、戦争が何か、よく知らない。
長崎の小学校三年生のとあるクラスでアンケートを取ったら、広島と長崎の原爆の日を両方知っている子がたった2人だった、というのは結構衝撃でした。
担任の先生も「せめて長崎の日は知っていると思ってましたね…」と、ぽつり。
まあ、まだ三年生だし。と、思ってしまいます。
でも、確かに私が三年生の頃は、8月になるとこれでもかと戦争ドラマをみて、親は涙し、私たちも学校で「ピカドン」の映画を観たり、「耐えがたきを耐え」という玉音放送が流された日のことを知っていたように思います。「火垂るの墓」世代の方々もいるのではないでしょうか。
放送されなくなってしまっていますね、なにもかも。
そもそも、若い人はテレビなんて、観ませんし。
その放送の前のアンケート調査でも、明らかに戦争への関心は薄れているという結果でしたし、なによりも「話を聞きたくない」と思っている人が多いのには少し驚きました。
これは今現在起こっていることに無関心だということの表れでもあると思います。
「知りたいと思わない」「話を聞きたくない」。
どんなに情報が溢れていても、バイアスのかかった心には何も届きません。
担任の先生は被爆体験をされた方にお話を聞くことにしますが、その方が「本当は遺体の写真までちゃんと見てほしい。真実を知ってほしい」というのに対し、先生は「トラウマになってしまう子もいる」と心配し、結局写真は断念します。
受けとめる準備ができたら、ちゃんと受け止められる。その日を待つ、という、若い先生の言葉が印象的でした。
昔から「子供には見せないほうがいい(美しいものを見せるべきだ)」という意見と「現実をみせたほうがいい」という意見は常に拮抗して存在しています。
これだけ情報が溢れている世界なのに、実は「見せない」もちゃんと存在していて、私たちは「選択された情報」を見ている可能性があるということを、常に理解していたいと思います。
この本も、どれだけの人の心に届くのでしょうか。
2018年刊です。
刊行した編集社、『暮らしの手帖』は、1946年(昭和21年)、花森安治と大橋鎭子が「衣装研究所」を銀座8丁目のビルの一室で設立したことから始まります。2016年度のNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』は、この『暮らしの手帖』創業の軌跡がモデルでした。大橋さんを小橋常子(こはし つねこ)として高畑充希さんが演じ、花森安治さんを花山伊佐次(はなやま いさじ)として、唐沢寿明さんが演じられていました。
現実の『暮らしの手帖』は、花森さん亡き後編集長が変わってからは、少しずつ変化をくわえながらも今も隔月で刊行されています。花森氏時代は有名な「商品テスト」など生活に密着した徹底研究などがメインでしたが、最近は、ちょっと政治的な記事が多くなっているとか。私自身は、実はちゃんと読んだことがない雑誌ではあります。
戦後22年経った1967年、『戦争中の暮らしの記録』として一般の読者の手記を集めたもの1968年に出版していますが、こちらの『戦中・戦後の暮らしの記録』はその後50年経った、戦後72年に再度、一般から手記を集めたものを編集しています。
編集後記によると、最初の『戦争中の暮らしと記録』は、「戦争中」の記録としていたので、戦後の「引き上げ」の項目がなかったそうです。
また、原爆体験の手記は「差別される」ということで投稿が少なかったそうですが、今回の『戦中・戦後の暮らしの記録』にはそのふたつの項目に多数投稿されています。
投稿は、戦争中10代だった80代がいちばん多く、70代、90代が続きます。81%が手書きで、残り19%が家族などの聞き書き。投稿最年長は101歳、最年少が10歳。編集の方は、その手記の手書きの文字が大変綺麗だったのが印象的だったそうです。
内容は驚くほど冷静で淡々としたものが多く、自分の記憶が正しいかを兄弟知人に確認したり、資料にあたったりしながら描いている人が多かった、とのこと。
最近で、戦争に関する映画といえば、『この世界の片隅に』があります。
こちらも「戦時の日常」に焦点を当てた物語です。「すずさんの手記」とも言えます。2016年の映画です。誰か有名な人や大きな出来事の物語を描くのではなく、一般の、普通の人たちがいかに戦争と向き合ったか、ということに焦点を当てるのが、最近の潮流なのかもしれません。この映画も同名の漫画を映画化するためにクラウドファンディングで資金を集めて作られました。
本に戻ります。
『戦中・戦後の暮らしの記録 君と、これから生まれてくる君へ』に投稿される手記には、「話したがらないのをやっと聞き出した」とか「実は、祖父が書き溜めていた記録があった」「祖母の口から初めて聞く話ばかりだった」などのことが多く、積極的に語りたくない人がたくさんいたことがうかがえます。また、思い出すのが辛い、記憶が飛んでいるなど、今はPTSDなどのことは良く知られていますが、当時は心を患った人もたくさんいたことがうかがえますし、心の傷を抱えながら生きてこられたかたがたくさんいっしゃったことがわかります。
空襲というと、東京や京阪ばかりがクローズアップされがちですが、基地や軍需工場などがあった日本全土で起こっていたという、よく考えれば当然ともいえるような事実にも気づかされたりします。戦後76年を過ごしてしまった私たちは、当時ならそんな勘違いはしないだろうというようなことを思い込んでいるかもしれません。息子の「もんぺを知らない」ことを笑えません。
こんなに辛い出来事を、私たちの祖父母世代、父母世代はよく乗り越えて生きてきたものだ、と思う投稿ばかりです。今、こうしてブログを書いていて、1969年(私が生まれた年)が戦後24年しか経っていなかった、という事実に改めて結構びっくりしている私です。
私思ってたより「昔の人」なんだなぁ。ものごころついたときは「戦争を知らない子供たち」だったし、戦争は「ずいぶん昔のこと」だと思っていましたが、現在は当時よりもっともっと、「戦争」が遠く薄くなっているように思われます。
現在の大きな厄災は「インフォデミック」なのかもしれません。情報はあふれるほどあるけれども、何が本当で、なにが嘘なのか、だんだん、よくわからなくなってきます。本当に、今のこの世界が、日本が、私たち自身が望んでいる方向に向かっているのかが、不安になります。
この本のあとがきの、編集長さんのお母さまの言葉が、妙に心に残ります。
「戦争はすぐにはじまるもんやない。普通に暮らしていたつもりが、じょじょにいつのまにかみんなが洗脳されていくんや。じょじょにじょじょに。気づかんうちにおかしなことが普通のことになる。”お国のために”があたりまえになって、みんなが見張りあって、じょじょに逃げられへんようになってしまう。男がいなくなって、身近なひとが死んでいく…」
こ、こわい。
じょじょにじょじょにじょじょに…
ひたひたと、怖くなってきます。