みらっちの読書ブログ

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ぜひとも復刻希望!史上最強の学習教材だった【大航海時代ⅢCosta del Sol】

こんにちは。

 

そういえば、これは書いておかなくちゃと思っていたことがあり、そう思いながら長い間書いていなかったのが【大航海時代ⅢCosta del Sol】

 

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(画像はコーエーテクノゲームス/大航海時代30周年記念サイトからお借りしてます)

 

コーエーテクノゲームスさんは、元「光栄」。『信長の野望』『三国志』など、現在もファンの多い名だたる名ゲームを、たくさん世に送り出しています。

 

『大航海時代』もそのひとつ。

 

1990年に発売された『大航海時代』を第1作とする航海シミュレーションゲームのシリーズで、今回断然「推し」の「Ⅲ」までは「光栄」でした。その後「コーエー」となり、2010年にテクモさんと合併し「コーエーテクノゲームス」になったそうです。この『大航海時代』シリーズは、コーエーさんがロールプレイングゲームとシミュレーションゲームの中間に位置する作品として、リコエイションゲームという造語で位置づけたゲーム、とのこと。

 

今回調べたら昨年30周年だったということで、特別サイトがありました。

 

www.gamecity.ne.jp

 

 

 

私はゲームは好きな方です。

 

自分の世代は、ゲームする人と、全然しない人に分かれるのですが、それでいったら私は少しやってるほう、かもしれません。

 

私より上の世代はほとんどしない人が多くて、ゲームしていると目立つ、という世代。私より下の世代は、ゲーム機が子供のころから家にあり、成長する間になんとなく親しんだ世代。

 

お察し。という感じですね。笑

 

 日本では1970年代の終わりにテーブルゲームのスペースインベーダーが世界を席巻し、ゲームセンターや喫茶店などでブームが白熱してからは、当時のお年寄り世代も「ゲーム」というものを認識するに至り(当然反発も激しく)、その後1983年に任天堂から家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が発売されるに至ってようやくゲームが庶民のものになってきたように思います。

 

そんなわけで、私の子供の頃は「ゲーム機」が全世帯くらいの勢いである、という時代ではなかったので、持っていてもせいぜい、ゲームボーイの前身みたいなカード式の「ぴこぴこするやつ(ゲーム&ウォッチとかだったのかな)」だったりとか、弟がいる家に遊びに行ったときなどに、テレビにファミコンがつないであったりして「えーっこんな面白そうなものがあるんだ!うわぁ、やってみたいなー」と指をくわえて見ているだけのシロモノでした。

 

少女時代の私は、友達の兄弟のおもちゃや漫画に反応するところがあり、お人形とかぬいぐるみよりは、超合金ロボットのおもちゃとか、ゲーム類が好きだった気がします。戦隊も好きだったし。

 

でも「女の子だから、そういうおもちゃは欲しがらないもの」と思っていましたし、「そんなこと言ったら変だろう」と思っていました。なので、友達に「弟のファミコン使わせて」とか頼めるはずもなく(笑)、ゴム飛びしたり漫画交換していた記憶があります。

 

ゲームくらい、性別なんて関係ないのでは?と思ったあなたは、お若いかた。

 

私が子供の頃は、男女のおもちゃは本当にクッキリ別れていたように思います。色も男の子は青、女の子は赤。当然、ゲームは男の子のものでした。(カスタネットは、だから「赤と青」の組み合わせなんですよね。たしか”チコちゃんに叱られる”でそれを知ったとき、「えー。赤と青混ぜたら紫でしょ」と思いましたが。笑。)

 

ゲームにおいて男女の区別が取り払われたのは1996年に登場した「たまごっち」が最初だったんじゃないか、と個人的には思っています。それまでも女の子たちはゲームをしていたけれど、世間的には「男の子の遊びを女の子もしている」みたいな感覚だったような。だから女の子姉妹の家庭にゲーム機があるのはちょっと珍しかった気がします。

 

さて、今日はゲームの歴史を振り返るわけではなく、そんな感じで育ったもので、ゲームは常にやってみたかったんですよね。よく言われる「大人買い」で、大人になってからそれが爆発。今まで指をくわえて見ていた「マリオ」「ドラクエ」「ゼルダ」「ファイナルファンタジー」なんかを次々にやりました。

 

まあでも、大人になっちゃってたんで、好きなだけできると言ったって、仕事もしてたしそんなにできない。幼少期よりスキルを培っていないので、攻略本と首っ引きでもうまく操作できなかったり、他人さまから見ればイライラするようなスピードで、ゲームに親しんでいました。シリーズをリアルタイムに追うことができないのは残念でしたが、その間もゲームはどんどん、変化し、進化していきました。

 

私に最もお金と暇があった時に、その進化との歩調がガッチリ嚙み合ったのが、「PCゲーム」の時代です。そしてそこにバッチリはまったのが1996年発売【大航海時代Ⅲ Costa del Sol】でした。

 

私はWindows95かWindows98でやったのですが、どちらだったか覚えていません。これは実のところちょっとした問題で、というのは初期版には「奴隷貿易」が組み込まれていて、後期は「奴隷貿易」が裏ルートじゃないとできなくなっているのです。定番シリーズでは「奴隷貿易」が消えています。私は「奴隷貿易」があるのは知っていたのですが、積極的にやっていなかったので、それが「もともとソフトにあったのにしなかった」のか「ソフトになかったからしなかった」のか判然としません。「あるのは知っていた」のは、もしかしたら「攻略本だけ初期版だった」可能性があります。

 

それはともかく、このゲームは本当に傑作で、私はかねがね、ゲームでいちばん面白かったのは何かと尋ねられると、必ず【大航海時代Ⅲ Costa del Sol】と答え、それについて熱弁を振るってきました。さんざん、いかに面白かったかを語ってきたので、私に熱弁を振るわれた友人たちは「ああ・・・そう」と半ばあきれ顔なのですが、ここに百万の味方がいまして、それが妹。

 

当時はまだオンライン前夜だったので、それぞれにゲームをしていました。互いに勧めあったわけでもなく、気がついたら二人とも【大航海時代Ⅲ Costa del Sol】をしていたんですよね。

 

そして次の、オンラインも可能になった『大航海時代Ⅳ』が出たときは、どんなに面白く進化しただろうと期待したのですが、美しいグラフィックとストーリー展開が組み込まれたかわりに、自由度が失われ、貿易に重点が置かれて「冒険と発見」が減少したために、まったく面白くなくなってしまったのです。

 

非常に残念極まりない「進化」でした。

そんなんなら「進化」なんてしなくていい!と心で叫んでしまいました。笑

『大航海時代Ⅳ』以降のファンの方がいらっしゃったら、申し訳ありません。

 

『大航海時代Ⅳ』はカッコいいキャラクターと綺麗なグラフィックで、それまでの武骨な絵柄からただ想像力だけで主人公になりきることに慣れきった私には眩しすぎたんだと思います。

 

私と妹は、外見も内面もだいぶ違いまして、趣味なんかもずいぶん違うのですが、ことこの、【大航海時代Ⅲ Costa del Sol】だけに関しては、二人で熱く語り合える、珍しい話題でもあります。

 

ふたりの共通の見解はつねに「学校教育に取り入れてほしかった」ということです。

 

このゲームを通して、世界地図を覚え、西洋を中心とした歴史を覚え、世界各国の名所旧跡を覚え、主要都市を覚え……そしてその旅がいかに困難かを、あたかも実体験したかのような感覚を味わいました。学校の勉強で断片的に勉強しても、いくらも覚えられなかったことを、いともたやすく覚えてしまうという、究極の学習教材でした。

 

どういうゲームだったかと申しますと、Wikipediaにまとまっているのでちょっと引用させていただきます。

 

本作は、『I』の開始年代からさらに前の大航海時代の黎明期である1480年からスタートする。ゲーム開始時点ではレコンキスタが未完了で、グラナダなどイベリア半島の一部がイスラム勢力に支配されている。以後は史実の年代に沿う形で国王や領国の支配都市・植民地関係などが変化していき、新大陸発見などのイベントもプレイヤーが介入しない限りはほぼ史実どおりに進んでいく。

また、当時の政情などの理由から寄港や入国が困難な都市もあり、イスラム圏の街(プレイヤーキャラクターはキリスト教徒であるため)や鎖国政策を行っていた明、1494年のトルデシリャス条約締結後のポルトガル王国・イスパニア王国相互の都市などがある。これらは金銭による交渉や密入国に成功するか、都市を占領すると寄航や入国が可能となる。

 

これだけ読んで気づかれたかたもいらっしゃるかと思いますが、意外と難易度高いんです。それに史実に基づくことが多く、登場人物も実在していた人物が多かった、というのもポイントが高かったです。

 

さて、航海に出るにはそもそも、お金と知識がなければいけません。そしてお金は当時の近隣の宗主にかけあってスポンサーになってもらい、出資を取り付けるところから始まります。

 

まずは言葉を学び、本を読み知識を積み重ねます。どの言葉を選んだかによって、その後の旅が違ってきます。その後プレゼンして「こういうのを見つけて来るから、お金出してください」と交渉し(宗主に発見物への興味がないとお金出してもらえない)スポンサーになってもらい、それが成立してのちようやく船の買い付け。これもお金を持っていないうちはちっちゃなショボいキャラック船です。ガレオンとか海賊撃退のためのキャノン砲とか夢のまた夢。そして人員を集め、薪水を買い求め、ようやく出発!となります。

 

しかし出発にこぎつけたのもつかの間、あっという間に薪水は無くなる。海賊に襲われる。船員は反乱を起こす。船内に病気が蔓延する。副官のロッコが「船長、船員が」と言ってくるころにはもはや手が付けられないヤバい状態。こまめに寄港し酒場に行って船員をねぎらい、ついでに女性もゲットして、薪水補給。これを繰り返さないと目的地に着く前に転覆したり難破したりで、あえなくジ・エンドです。

 

ようやく寄港地でほっとしたのもつかの間、今度はスポンサーと約束したお宝を探しに内陸に旅にでなければなりません。これも砂漠を何日も彷徨って探せないでいると船員たちが反乱。ばたばたと死んでしまったりもしますし、自分も志半ばでそこで死んでしまい、セーブ地点に戻らざるを得ないこともあります。そのセーブ地点が今回の寄港地より前だったりして「またか!また航海か!」というようなこともありました。

 

ようやくたどり着いたお宝にはミニゲームがついています。このミニゲームが、ミニだと舐めていると案外大変だったりして、とても侮れない奥地の冒険。外洋でも、伝説でしか聞いたことのない超巨大タコだかイカだかのクラーケンに遭遇したり、セイレーンに難破させられそうになったり。

 

航海術を身につけて最適航路を見つけ、風を味方につけ、あるいはいい羅針盤を得て、ようやく喜望峰にたどり着いたときなんかは「ブラボー!喜望峰ブラボー!」なんて思います。マラッカ海峡では「うう、なんて通りにく海峡だ」と唸ったり。東の果ての日本にたどり着いたときには、言葉が全然通じなくて悲しい思いを味わいます。話しかけると「………。」と、何を言ってるかわからないお手上げ状態。

 

ちなみに、港の酒場では情報をゲットしたり、女性を口説いたりするのですが、言葉が通じないとそれができません。前の寄港地で言葉を勉強したりすると、片言だけでもわかるようになります。港で知り合った女性とは、プロポーズして結婚することができます。スポンサーのミッションを終えて家に帰ると、子供が生まれてたりします。子育てには全く関わらないで、また港で女性に声をかける船乗りとなり果てる自分……

 

後日、本当にマレーシアのマラッカに旅行に行ったときは、「ああ、ここ、苦労して通ったなあ」と感慨深く思いました。というか、世界のどこに行っても「ああ、ここ前に来たなぁ」と思います。たいてい「あのときは苦労した」と思うのですけれども。笑

 

しかしその面白さについて、ここでいくら熱く語ったところで、もうそのゲームはできません。幻なのです。WindowsXPまでは、互換ソフトを使えばなんとか操作できていましたが、それ以後のWindowsでは操作することができなくなりました。本当に残念です。残念極まりないです。も、ほんとにすごいゲームだったんですよ。大航海時代Ⅲは………!!

 

返す返すも後悔しきりなのですが、ある時あらゆるゲームを手放してしまった時期があります。たびたび引っ越しをしたこともありますが、とにかく「まあ、もうできないし、することはないし」と、捨ててしまったんです。もうできなくてもいいから、手元に残せばよかった……大航海時代だけに大後悔です。