みらっちの読書ブログ

本や映画、音楽の話を心のおもむくままに。

およそ言葉と言うものはその人の背景から出る【フレデリック/レオ・レオニ】

こんにちは。

 

今日は絵本のお話です。

レオ・レオニの【フレデリック ちょっとかわったのねずみのはなし】。

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フレデリックは野ネズミです。仲間たちは冬に向けてせっせと食料をため込んで準備をしているのに、彼はひとり、なんにもしません。「何をしてるの?」「どうしてはたらかないの?」と聞かれると「こうみえてもはたらいているよ、さむくてくらい冬の日のために、おひさまの光を集めているんだ」なんて答えます。何もしないフレデリックに仲間たちはちょっと嫌な気持ちになったりもします。

 

いよいよ冬が来て、最初は豊富にあった食料も無くなっていき、仲間たちは次第に残りの食料を心配するような状況になります。心細く不安な気持ちになったみんなに、フレデリックは「集めていたお日様の光の話」をしたり、詩を作って慰めました。心が温かくなったみんなはフレデリックを詩人と讃えた、というお話。

 

最初に読んだのはいつだったか覚えていませんが、そのときはこのお話がいまひとつピンときませんでした。

 

でも大人になってから、一見「何もしていない」ように見えることが「なにもしていないわけじゃない」ということの意味に改めて気がつきました。人にはそれぞれ役割があります。一生懸命身体を動かして社会に貢献する人もいれば、フレデリックのように創作することで人の役に立つ人もいます。アリの中にも、働きアリの中には普段はいっさい何もしないけれども、戦闘状態になると戦いに出て行く兵士アリもいます。みんな違って、みんないい。たまにぼーっとしていたりする子がいたりしまが、心の中で何かを育てている大事な時間を持っているのかもしれません。

 

 

作者のレオ・レオニはオランダ生まれ、アメリカ・イタリア育ちで、スイスの大学を出たそうです。アメリカで絵本作家となりますが、最終的にはイタリアに住んだようです。代表作に、小学校の教科書に載っている「スイミー」や「アレクサンダとぜんまいねずみ」「じぶんだけのいろ」「コーネリアス」などがあり、世界的に有名なイラストレーター・絵本作家さんです。

 

 

 

先日、バイデン氏の米国大統領就任式で、22歳のアマンダ・ゴーマンさんが詩を朗読しました。政治的にどうこう、という話は置いておいて、「詩人」について言うならば、日本人にはあまり馴染みがありませんが式典で詩人が詩の朗読をすることは、かの国でそう珍しいことでもないそうです。初めて大統領就任式に詩人を呼んだのはケネディ大統領だったとか。これまでも何人かの詩人が大統領就任式で朗読をしているようです。

 

今回はフレッシュでパワフルなZ世代のゴーマンさんを連れてくることによって新しい大統領のイメージを押し上げる演出をしようとしたのしれません。なんにせよ、「言葉」を使ったパフォーマンスや演出が人の気持ちを揚げたり下げたりする効果があるのは事実のようです。

 

 さて、ゴーマンさんの詩は少々政治性が強く、また技巧的だとか。今回行った朗読は「朗誦」という、謳いあげるような朗読の仕方だそうです。もともとリズムや音韻を重視する英語詩ですが、詩の構築テクニックだけではなく、読み上げ方もそういったリズムや強弱などのテクニックがあるようです。

 

ゴーマンさんは、2017年に新しく創設された全米青年桂冠詩人という賞を受賞されているそうですが、そういった詩人を育成したり排出する動きのようなものも、日本ではあまり活発ではないような気がします。ゴーマンさんが詩を朗読したことについて、外国の政治のことは私が口にすることでもないし、英語もわからないので詩の内容についても触れることはできませんが、「詩人」が芸術家として扱われている、ということには文化の違いを感じます。日本のあらゆる式典で「詩の朗読」が行われるような話は聞いたことがありません。

 

(今回、バイデンさんとかゴーマンさんの名前を出しましたが、政治的なことはいっさい無関係ですので、そこんとこよろしくお願いします。あくまで詩と言葉の話として受け止めていただけたら幸いです。)

 

 

どうでもいいけど、桂冠詩人、って響きは素敵。笑

 

古代ギリシャやローマ時代に、詩人たちも詩を競い合い、勝利者が月桂樹の冠を戴くのはスポーツで勝利するのと同じ栄誉でした。イギリスには、17世紀にできた王室の慶弔の際に詩を作る桂冠詩人の役職があり、アメリカ合衆国議会図書館やその他の団体も桂冠詩人の称号を授与することがある、とWikipediaにありました。

 

ゴーマンさんは祝辞に臨む際、ゴーマンさんのファンだという米国では強い影響力をもつ「オプラ・ウィンフリー」さんの援助があった、と言っていました。オプラ・ウィンフリーさんはトークを生業にして人気を得、「アメリカで最も富裕なセレブリティ」と言われる人。

 

米国では、有名大学の卒業式に有名人を呼んで式辞をもらう、と言う習慣もありますね。母校の場合もあり、母校ではない場合もあります。オプラ・ウィンフリーさんのスタンフォード大学卒業式式辞をYouTubeで観たことがありますが、人の心を掴む話し方っていうのはこういうものかと思いました。スタンフォード大学ではスティーブ・ジョブスも卒業式で式辞を述べています。こういう式辞や演説はよく高校や大学で英語の教材に取り上げられたりします。

 

 

近畿大学の入学式や卒業式では山中伸弥さんや堀江貴文さん、キンングコングの西野さんや中田敦彦さんが祝辞を述べています。今は新型コロナで卒業式も入学式も開催が危ぶまれるような事態ですが、大学の祝辞に、活躍している人生の先輩の話を聴くことは有意義に思われます。何より印象に残ります。有名人でも正直あまり面白くない祝辞の人もいて、心を掴むこと、人に伝えるということは、「内容」と「言葉」、そして「話し方」も重要ですね。本当に「その人」によると思います。良くも悪くも言葉は「強い」ものなので、気をつけて取り扱わなければいけないですね。言葉に影響力を持つ人は、ゆめゆめ、悪い人に利用されないようにしなければいけない気がしますし、闇落ちはしないようにしてほしいものです。

 

何にせよ「言葉」にはパワーがあり「呪い」にも「福音」にもなります。日本では古来言葉を「言霊(ことだま)」といって神様のように扱ったりします。呪術廻戦の「狗巻棘(いぬまき・とげ)」先輩のような「呪言使い」もいますね。笑。

 

 

フレデリックの詩がどの程度心を動かすものなのか、英語のできない私は直接感じることができません。有難いことにこの「フレデリック」の訳は谷川俊太郎さん。まさしく日本を代表する詩人です。にもかかわらず、日本語に訳された文章は、いかに訳が上手でも、その味わいが確実に減っていることは間違いないと思います。外国詩や外国の文学を味わうときは、書いた人のことや、様々な文化的背景までもを知っていないと難しいことがあります。訳者がいなければどうにもならないことだし、その訳者の感性で違ったものにもなってしまうのが、悔しくもあり面白くもあり。

 

言葉と言うものは、文化、国、地域、人を含んだ、バックグラウンドから発せられるものなんですね。フレデリックが「本当に何もしていない」のならば、仲間たちを感動させる言葉は使えなかったと思います。フレデリックにはフレデリックの仕事があったからこそ、仲間たちとの共通のつながりがあったからこそ、その言葉は価値のあるクリエイティビティを持ち、仲間たちは彼を「詩人」と讃えたのだと思います。

 

大人になってから読み直すと発見の多い絵本がたくさんあります。レオ・レオニは集団の中の「個」についてたくさんの作品を描いています。

 

絵本は何の気なしに読めば引っ掛かりなく読めてしまうものが多いですが、その絵と文章を何度か眺めているうちに、思いもよらない考えが湧いてきたりします。絵本には、ふと立ち止まって考えさせられる「種」があるような気がします。