みらっちの読書ブログ

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にゃんにゃんにゃんで猫の日【100万回生きたねこ/佐野洋子】

こんにちは。

 

2/22は猫の日でした。

最近は本当に猫大人気ですね。

 

松本人志さんがTwitterで「にゃんにゃんにゃんで猫の日。ニンニンニンで忍者の日でもあるらしい。どっちか2/2にすればいいのに。知らんけど」と書いてらっしゃって笑いました。確かにー。

 

最近、思いがけないところで『100万回生きたねこ』のあらすじを聞きました。

『CowboyBebop(カウボーイ・ビバップ)』というアニメの最終回。

 

サンライズオリジナル、1998年作品。いくつか賞もとっているようです。


海外での評価が高いらしく、2019年にNetflixで実写ドラマ化されることが決まっていたみたいですが、主演男優の怪我で延期されているようです。

 

主人公は元・マフィアで組織を抜け出し、カウボーイと呼ばれる賞金稼ぎになったスパイク。相棒のジェットの船、おんぼろの「ビバップ号」に乗って宇宙(主に太陽系)を駆け巡っています。回を追うごとに、賢いワンコ(コーギー犬)のアイン、記憶を亡くした女性フェイ(ちょっと露出過剰気味)、地球でひろった男の子みたいな少女エドという仲間も増え、天才菅野よう子さんの007みたいなカッコいい楽曲が冴えわたる中で危機を乗り越えていく、ハードボイルドなSFアニメです。1話1話がシュール。

 

で、最終回。ネタバレになりますがいいよね、皆さん観ないよね。笑

 

スパイクは元カノと過去にとらわれた男なのですが、とある事情があって命を狙われ、銃撃戦でジェットが足を撃たれて怪我をした頃から、状況がひっ迫していきます。そんなとき、ジェットがスパイクに、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の話をします。「こんな話を知ってるか」なんていう切り出し方がいかにもハードボイルド。

 

淡々と語った後、ジェットは「俺はこの話がでぇきれいだ(大っ嫌いだ)」と言い、引き返せ、今なら戻れる、とスパイクに言います。その言葉に、スパイクは元カノの話をします。彼女は自分がなくした自分の欠片だ、と。その後、スパイクは元カノの情報を得、再会を果たすもつかの間、元カノは死んでしまいます。スパイクは一度ビバップ号に戻りますが、結局は今カノになりかけのフェイを置いて、ビバップ号から出て行きます。その直前、ジェットに「こんな話知ってるか」と話しかけます。

 

それが、『100万回生きたねこ』の話でした。ジェットは「いい話だ」と言いますが、当然、スパイクは「俺はあの話が嫌いでな。猫が嫌いだ」。

 

だと思ったぜ、とジェットは笑います。笑うけど、もう死の予感しかしない場面。

 

「キリマンジャロの雪」も「100万回生きたねこ」も主人公が死ぬお話です。「キリマンジャロの雪」、あらすじをご存じない方は下のリンクをご参照ください。「100万回生きたねこ」のあらすじは、後ほど書きます。

ja.wikipedia.org

「キリマンジャロの雪」の話をしたことでジェットは「過去に捕らわれて死ぬな」とスパイクに言っています。それに対しスパイクは「もう二度と生き返らない」という話をするわけです。彼は、元マフィアなので組織を抜けるときに一度死んだということになっています。「俺は一度死んだ男だ」と作品中、ちらちらと伏線がはられています。そう考えると1話1話が独立してシュールなのは、スパイクにとってはどの回も生まれ変わりの人生、彼の言う「覚めない夢」みたいなものだったからなのかもしれません。なかなか、よくできた最終回でした。

 

このふたつの話の元ネタは作品中では語られないのですが、おおまかなあらすじはジェットとスパイクが語ってくれます。なので知らない人もわかるけれども、知っていれば暗喩がわかって二倍面白いです。

 

さて本題。『100万回生きたねこ』

100万回生きたねこ|数ページよめる|絵本ナビ : 佐野 洋子,佐野 洋子 みんなの声・通販

以前、読み聞かせで6年生に読んだことがあります。

作者の佐野洋子さんは、小学校の国語の教科書に載っていたこともある「おじさんのかさ」の人です。エッセイも多数書いておられます。2010年に72歳で亡くなっています。

 

 

ちなみに前にブログでもお名前の出てきた谷川俊太郎さんの最初の奥さんが岸田衿子さん(女優の岸田今日子さんの姉)、二番目の奥さんが大久保さんという元新劇の女優さんで、三番目の奥さんが、この絵本の作者の佐野洋子さん。大久保さんとの間の息子さんの谷川賢さんは音楽家です。さすが詩人、谷川さん。元奥様達も錚々たる面々。

 

岸田衿子さんは『かばくん』など有名な絵本の作家さんで、赤毛のアンのときにブログにも書いた『世界名作劇場』の主題歌の歌詞なども手掛けられていたそうです。

 

閑話休題。

 

『100万回生きたねこ』は、転生を繰り返しているトラ猫が、最後に運命の相手を得て、愛と悲しみを知り、ついに転生しなくなった、というお話です。あるときは王様の猫でした、あるときは船乗りの猫でした、あるときは…と、何度も何度も繰り返される生まれ変わり。その繰り返しに終止符を打ったのが「白い猫」でした。ある時野良猫に生まれ変わった猫は、100万回生まれ変わったんだぜと自慢してもなびいてこない白猫に惹かれ、いつしか伴侶として暮らします。年を取って白猫が死んだとき、猫は生まれて初めて大声を出して泣き、100万回泣いて、泣き止んだ時には白猫の隣で静かになっていました、そして二度と生き返りませんでした。

 

絵本というのはいろいろな解釈があってよいと思います。子供が読めば子供なりの、大人が読めば大人なりの、そのときの自分自身と向かい合う時間をくれます。そしてその時どきの、感情を揺さぶられます。

 

この絵本は「大人向けの名作」と言われることが多いですが、私は子供のころから絵本に関しては「大人向け」「子供向け」と勝手に決められるのがすごく嫌でした。大人向け、と言われると子供は拒絶されたような気持ちになります。ひょっとしたら幼児でも絵は心に残っているかもしれません。内容なんてどうでもよくて、その時本を読んでいる大人の表情をみているかもしれません。

 

「子供だから」わからないかもしれない。でも、わからないなりに、何かしらの感情を持ちます。わかんないな、とか、何言ってるんだろう、とか。でものちのち、その本や絵本を読んだ記憶を頼りにまた、読み返したりすることも多々あり、その時になって理解することも多いです。ただ、子供の時に読むからいい絵本や児童書、というものも確かにあります。大人になってしまってからは、二度とは経験できない種類の感情があったりします。

 

絵本は人によって解釈が違うのが醍醐味です。きっと絵本には「余地」があるのだと、常々思っています。原作者や絵本作家、画家やイラストレーターの方々は、読者が意図を汲んでくれるのも共感があって嬉しいとは思いますが、思惑を超えた斜め上、もしかしたら彼らが想像もしなかった場所を見ている人がいるかもしれない、というのは意外でもあり面白くもあるんじゃないのかなと思います。そして1冊の絵本をめぐって誰かと話すのも、とても楽しいと思います。

 

それにしてもこのアニメでの引用は意外でした。1998年、全然アニメ観ていなかった頃。こんなアニメあったんだ、知らなかったです。