みらっちの読書ブログ

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半世紀、反芻できます【ないたあかおに/文:浜田廣介 絵:池田龍雄】

こんにちは。

 

1月も半ばを過ぎるとそろそろ節分。

今年の節分は2月2日です。長いこと2月3日が続いていましたが、明治30年(1897年)以来124年ぶりに2日になったとか。スーパーの店内アナウンスで言ってました。

 

節分は、立春の前日になります。ルーツは中国。大陸の文化として流入し、平安時代は大晦日に「おにやらい」「追儺(ついな)」という宮中行事が行われていました(岡野玲子さんの『陰陽師』に書いてありました)。厄や疫病を祓う行事です。それが寺社に伝わり、のちに節分になったという説や、もともと追儺で豆まきはしていなかったから別の行事がはいってきたという説があるようですが、中国では年に三回くらい「儺」をやっていたようなので(本来節分は季節を分けるという意味で年4回ある)、「季節の節目に厄払い」というものがルーツなのだと思います。

 

平安後期以後、大晦日の追儺はあまり行われなくなりました。方相氏という4つの目を持つ四角い面をかぶって厄鬼を追い払う役が、その姿から鬼のほうと混同されるようになり、鬼を追い払うのに穀物や炭を投げる習慣と相まって、もっぱら節分の行事になっているようです。

 

ちなみに『陰陽師』では安倍晴明の相棒、源博雅が方相氏を任命されるのですが、すごく嫌がっていました。もともと悪鬼や厄を祓う人は「穢れ」と同一視されていたらしく、引き受けるのが嫌な役だったようです。被髪(髪を結い上げないで烏帽子もかぶらない)で怖いお面ですし、平安貴族には嫌すぎる役だったかもですね。陰陽師の身分が意外と低かったのも道理と言う気がします。江戸時代になっても豆を投げる役になるのを嫌がった人もいたらしいです。

 

岡野玲子さんの『陰陽師』は私の教科書的な存在なので、『大嘗祭』ときけば読み、『追儺』ときけば読み、岡野さんの素晴らしいお仕事にうっとりしながら楽しんでおります。いずれ改めてブログにします。大事にあっためてあります。笑。

 

さて、今日の話題は「ないたあかおに」。

節分なので「鬼」の話、と思ったわけではなくて、たまたま「すごく印象に残っている絵本を一冊をあげるとしたら、やっぱりこれなのかな」と思ったからでした。そしたら、たまたま「節分」も近いと言えば近かったし、おまけにたまたま、この絵本の絵を描かれた池田龍雄さんが、昨年亡くなったという記事をちょっと目にしたりして、「よし、書くか」と。笑。

 

お話を書いたのは浜田廣介さん。山形県出身。日本のアンデルセンとも言われているそうです。この「泣いた赤鬼」は浜田さん40歳のときの作品で、1933年連載、1935年初出です。国語の教科書などにも取り上げられたりしています。

 

浜田さんは1973年に80歳で亡くなっています。1990年からひろすけ童話賞ができました。第1回があまんきみこさん、第2回が安房直子さん、と錚々たる名前が。第13回にはさだまさしさんの名前も。

 

私はこの「ないたあかおに」を、「ドレミファブック」で最初に読んだと思います。絵は違う方でした。もともと「児童文学」として文章だけで発表された作品で、絵本になったのはどれが最初かわかりません。上の絵本は1965年初版なので、その間にもあったかもしれません。とにかく、いろいろな方が絵を添えて、絵本として出版していらっしゃいます。最近では漫画家の浦沢直樹さんが絵本を出しています。

 

全部の絵本を読んだわけではありませんが、私はこの絵本がいいなと思います。

 

それぞれに自分の中の「ないたあかおに」があると思います。有名なお話なのであらすじは割愛したいのですが(というか、あらすじを書くとほぼ全文掲載みたいになってしまう)、まあざっくり言うと、

 

山にすんでいる赤鬼が、里の村人となかよくしたいのに自分の姿形が怖いので誰も寄ってこないと嘆いていると、友達の青鬼が「僕が里で暴れるからきみが僕を殴って追い払い村人を助ければいいよ、そしたら信頼を得て仲良くなれるよ」という提案をしてくれてそれにのっかり、計画通り青鬼は村を襲い赤鬼は青鬼を退治して(本気で殴らないとリアリティがないからと青鬼に言われて殴り)首尾よく村人と仲良くなるのですが、なんか最近青鬼見ないなーと思って青鬼を訪ねたら「悪者と一緒にいたらきみは疑われてまた嫌われるからさようなら」と看板がかかっていて、それを見て赤鬼が泣く、という話です。

 

すみません。味わいがそこなわれてしまいましたが、本来はとっても情緒のあるお話です。赤鬼が「お茶もお菓子もございます」と村人たちにあてたメッセージには赤鬼の純朴な気持ちを感じますし、看板に書かれていた青鬼の手紙には泣きたくなります。

 

そして、たいへん、もやもやする終わり方です。理不尽、というか、納得できない、というか。子供には結構衝撃のラストです。えっ。なんで?なんで青鬼、行っちゃうの?さよならなの??という気持ちになります。

 

初出当初から、読者から浜田さんに「続編を書いてほしい」という依頼が殺到していたらしいです。青鬼を追いやって自分だけ幸せなんてやだ、青鬼とまた仲良くしてほしい、青鬼戻ってきてほしい、青鬼カムバーック、という内容が多かったようです。

 

しかし浜田さんは、続きはみなさんの心に、と続編を書きませんでした。「もやもや」のまんま、それぞれの心に任せたからこそ、この作品は後世に残ったと思います。

 

実際「ないたあかおにの続編」は、たくさんの人が考えているようです。ネットなどでも様々発表されているようで、「青鬼が元気に暮らしている噂が聴こえてきて良かったと思う」話、「青鬼が別のところに移り住み里人と仲良くできずにいたが村を黒鬼が襲い、青鬼が黒鬼を退治して村人の信頼を取り戻したところに、黒鬼が顔を拭くとそれは赤鬼だった」という話。続編を考えるのって楽しいし、納得感があれば自分の心も慰められます。どれもうんうん、そうだったらなと思うけれど、やっぱり「要らない」と私は思います。

 

 

上に画像を出した「ないたあかおに」は、ラストシーンの絵がとてもいいです。崖のところの青鬼の家の戸口の前で看板を見て泣く鬼は、手で顔を覆ってこっちを見ていません。涙を見せていないのです。でも泣いているのがわかります。

 

私の中で、赤鬼が最後に泣くシーンは、しくしく、とか、めそめそ、というのではなくて、号泣です。こんな悲しい後悔、生涯にそうないと思います。確か「ドレミファブック」でもそんなシーンだったんじゃないかなと思います。ちょっとうろ覚え。ただこれは、本当に読む人の感じ方で違うと思います。嗚咽してむせび泣いていると思う人もいるだろうし、涙は出ていないけど泣いていると思う人もいるかもしれません。最初から涙を流す絵が描いてある絵本もあります。

 

 

さて、この絵を描いた池田龍雄さんについては、読み聞かせのときに「ないたあかおに」を読もうか読むまいか悩んだときに、ちょっと調べたのですが、すっっごくびっくりしました。

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画家としての池田さんの作品です。あの絵とこの絵が全く結びつきませんでした。「ルポルタージュ絵画」と呼ばれ、社会的事件を題材にした絵画を多数書かれていたようです。私は寡聞にして存じ上げませんでした。「アバンギャルド」、前衛画家さんだったのですね。

 

 

しかもです。以前ご紹介した『現代子ども図書館13 デブの国ノッポの国』(1972年、学習研究社、アンドレ・モーロワ作)も手掛けていらしたんです。読んでましたよ!好きでした!その池田さんも昨年11月に92歳で亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りいたします。

 

私は先に「こんな悲しい後悔」と書きましたが、実際この「泣いた赤鬼」の終わり方に感じる感情、というのはとても多種多様な、複雑なものだと思います。単純に「自己犠牲」とか「友情物語」とか言いますが、幼い子供でもその「ふくざつなきもち」がわかる凄い物語だと思います。子供時代はなかなか言葉にできなかったけれど、50年も経つと言葉だけは色々浮かびます。でも結局「あーそんなんじゃなくて!」みたいになります。絵本を読むたびに、いまだにあの時の言葉にならない感情を感じるのがすごい。

 

そして過去、自分が無知蒙昧がゆえに傷つけた人のことを思い出し、ため息をついてしまいます。大人になって世知辛くなればなるほど、この絵本を読むたびに、私の心はなんともかしましいのです。

 

半世紀もの間、心の中で繰り返し反芻できる稀有な絵本です。もし未読の方がいらしたら、また、久しぶり読んでみたいなと思った方は、ぜひ節分を機にいかがですか。おすすめいたします。