
第28回手塚治虫文化賞の大賞は、ヤマザキマリさん・とりみきさんの『プリニウス』だった。知った時は、狂喜した。
なぜ私が狂喜したかと言うと、『プリニウス』第1巻を読んだときに、この漫画はいつか必ず手塚治虫賞を獲ると思っていたからだ。
キタッ!!
と、まあ、そういう思いがぐわっと込み上げた。
常々、色々なところで「手塚治虫賞にハズレはない」と言い続けてきた(漫画賞の最高峰にハズレなんてあろうはずもないのだが。笑)。
そもそも、手塚治虫賞は「その年に売れた/話題になった」というような選考の仕方ではない。どこの出版社から出ていても関係がない。長年コツコツと連載されてきたものが後から賞を取ることもあるし、作家さんに贈られる賞もある。
ただとにかく、『プリニウス』は絶対だ、取らなければおかしい、とずっと思っていた。だから嬉しい。とても嬉しい。嬉しくて、ここに書かずにはいられなかった。
ヤマザキマリさん、とりみきさん、おめでとうございます。
『プリニウス』は古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスを描いた物語で、ヤマザキマリさんととりみきさんの合作作品だ。プリニウスのあとがきも情報満載で、そこにはヤマザキさんととりみきさんは人物と背景に分けて作画をしていると書いてあった。どちらも凄腕の漫画家で、どのように合作が行われるのかと思ったら、そういうことだった。
ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは博物学者なので、さまざまな事象に対する蘊蓄(当時の)が語られるわけだが、私が何より感動したのは、ローマの水道管が克明に描かれていたのを見た時だった。
私はそれまでローマの水道管なんて見たことがなかったし、この漫画で生まれて初めて水道管を「リアルに」見たのだ。漫画の体ではあるがこれはまさに「博物誌」そのものなのだと思った。
※ ※ ※
と、ここまでは、手塚治虫漫画賞が決定した直後の二年前の四月に書いた記事の抜粋である。
私は、『テルマエ・ロマエ』以来のヤマザキマリファンである。『国境のない生き方』も面白かったので、感想を書いた。
イタリアで結婚出産、離婚。帰国してまたイタリア人と結婚、というヤマザキさんの人生は破天荒だし、アーティスティックだ。変わった人として嫌う人もちらほらいる。
私の勝手な雑感で、あくまでも偏見に満ちた個人的意見なのだが、日本を離れた人の意見や体験を、素直に聞くことができないかたがたまにいる。「特別な人」と位置づけ、その体験をよく知るまえに「恵まれていただけ」「運がよかっただけ」と決めつけたり、常識がないと受け入れなかったり。そう言ったかたがたは、「外国式」に、はっきりした物言いをする人嫌う傾向があると思う。なんともったいないことよ。『テルマエ・ロマエ』の主人公・ルシウスも言ってみれば決して若くはない「オッサン」だが、平たい顔族の風呂文化を柔軟に取り入れてローマで成功を収めて(?)いる。柔軟性は大事だ。
本書『仕事にしばられない生き方』もまた、そういう「硬直した常識人」を震え上がらせる本だと思う。
もちろん、ヤマザキさんは、決して自分の生き様や生き方を他人に押し付けていない。あくまでも自分が得た経験としての考え方を率直に書き記しているだけである。真似することはできない。ヤマザキさんの通ってきた道は平坦な道のりではないし、そもそもヤマザキさんのお母さんが器の大きい、破天荒な人物なのである。たいていの親は、そんなふうではない。
「親ガチャ」という言葉があるけれど、親のことは当然、一生を左右する人生の重大な要素には違いない。どんな家に生まれ、どんな親に育てられたか、ということが、成長するときに当然、大きくかかわってくる。それでも自分がどういう人生を歩きたいか、と考えることは、自分にしかできないことだし、それを考えることが、人生の大きな目標でもあると思う。
本書は特に「仕事」をめぐるエッセイである。特に、自分が選び取った「選択」というものについて考えさせられる。
ヤマザキさんは、子供のころは確かにちょっと変わった子で、北海道の田舎の街にいて反抗ばかりしていたらしい。とはいえ、演奏旅行に行けなくなった母の代わりに、母の友人の住むパリに独りで行かされたり、留学しようと思っていたところに、イタリアに行けと決められるなど、自分の選択の及ばないところで、重大なことが決まっているという事態に、度々遭遇している。それが自分の人生を大きく変えたことに変わりはないのだが、それを自分で選択したわけではないということに、ヤマザキさんはそれほど頓着していない。
「来た波には乗る」。
流石、「持ってる地図は地球」の渡り鳥人間の面目躍如だと思う。
漫画家になったのも、なりたくてなりたくて、というわけではないらしい。漫画家になりたくて必死で頑張っている人からすると「なんだと?」と言いたくなる話かもしれない。
ヤマザキさんは油絵画家になりたかったのだそうだ。でも、油絵画家として商業的に生きて行けるかと言われたらできるのはごくわずか。ひと握りでしかない。だから生きるために、漫画を描いてみようと思ったのだそうだ。そうしたら、最初に描いた漫画が賞をもらったらしい。とんとん拍子、ではあるが、人生は得てしてそう言うもので、自分が思っていたことと違う方向からオファーが来ること、ということはあるのだと思う。
ただし、オファーが来るまでにしてきたこと、つまり油絵をイタリアで10年以上学んだ経験があったからこそ、漫画を描いてみようと思ってすぐに描けたのだろうし、回り道のようで最短の道、というのは、過去の経験の蓄積(それがどんなに漫画に関係のないことであろうとも)があるからたどり着けるものなのだ。
本書では、ヤマザキさんの生い立ちから仕事にまつわるさまざまな経験が書いてある。離婚するころのことは語りたいわけではなかったと思うが、仕事とも密接につながっているので、赤裸々に書いてくださっている。壮絶な体験である。
私は虫が苦手なので、部屋に虫を放し飼いにしておく話には正直「うげっ」となったが、大自然を愛し、とにかく生きとし生けるものを愛する力、その度量が半端ないかたなのだと思う。
受験戦争に乗っかって、就職戦線を前線突破することが求められるような人生を強いられている我々には、なかなか到達できない境地に、ヤマザキさんはいる。労働の基本は肉体を使うことである、というヤマザキさんの持論には、頷くことができない人も多いかもしれない。それでも、やはりお金と結びつかない労働は、中途半端なんだろうと思う。私のような専業主婦に自信がないのは、つきつめればやはりそこで、胸を張って働いていると言えないもの悲しさは付きまとう。そう言う意味で、自分を、そして家族を食べさせるために仕事をしているヤマザキさんは、明快である。
もちろん、お金に変換できる仕事もあれば、お金に換えがたい仕事もある。生きるとは、仕事とはと思う人に、一度は読んでみて欲しい本だ。
ちなみに『テルマエ・ロマエ』秘話や、映画になってもお金が入らないと言ったことについて記者会見する羽目になったことの顛末、『プリニウス』がどうやって着想され、どうやってとりみきさんと分業しているか、ということが詳しくわかって、個人的には嬉しかった。
よし、また明日から元気で生きよう、と思える、そんなパワーがある本……そう言えば、『国境のない生き方』の感想文にも、そんなことを書いていたな……