みらっちの読書ブログ

本や映画、音楽の話を心のおもむくままに。

【ギケイキ 千年の流転/町田康】

こんにちは。

 

先日の「孤塁(こるい)」の記事ですが、追記があるのでよかったらぜひご覧いただければと思います。著者の吉田千亜さんが、講談社のノンフィクション賞を受賞されたということです。今朝、毎日新聞に載っていたよとお友達が記事を送ってくれました。Yさん、ありがとう!

 

さて。 

 

世の中変わり目を迎えていますね。

元号が改まり、感染症や豪雨、異常気象に悩まされつつ、政治の世界も変わろうとしている「今」。

世の中が激変するとき、というのが歴史の中にはあって。

平安末期の「末法の世」と言われた時期なんかは、まさに日本激震だったでしょうなぁ。

 

と、無理やりこじつけてしまいましたが。笑。

 

「ギケイキ」は「義経記」です。

源義経とその主従の物語を、町田康さんが書き下ろした小説です。

いきなり平安末期の話か、唐突すぎる、と思うかもしれませんが、しばしおつきあいください。

 

[町田康]のギケイキ 千年の流転 (河出文庫)

 

町田康さんの「ギケイキ」、すでにいろいろなところで「面白いよ」「おすすめ」と言っていたので、すでにたびたびオススメされている方には大変申し訳ありません。また熱く語らせていただきます。笑。

 

この小説、好き嫌いは別れると思います。この本の帯にも「デビュー20周年 娯楽大作」と書いてありますが、まさにエンターテインメント。「古典」だと思って真面目に読み始めると、ブックオフに売りたくなるかもしれません。笑。覚悟が必要です。

 

義経は900年後の現代に生まれ変わっているか、あるいは魂をそのまま受け継いで生きている設定になっています。その視点から、現代人として過去の自分、つまり義経の生涯を振り返って語るのです。その設定自体に、違和感を覚える人もいるでしょうし、そのうえ、際立って特徴的な文体です。「いてこます」「マジか」など表現も下世話で現代的過ぎます。ですが、だからこそ、当時の息吹や空気感、そしてその当時の人たちが置かれた状況、感じ考えていたであろう心情が鮮やかに伝わってくるのです。とくに関西出身である町田さんと京都育ちの義経さんは言葉の感覚の相性がばっちり。

 

作者の町田康さんはパンクロッカーです。ミュージシャンである町田氏が「琵琶法師」の世界を選ぶのはとても興味深いことです。常々、音楽と物語(文学)というのは密接な関係にあるんじゃないか、と思っています。町田さんの本で最初に読んだのは『パンク侍斬られて候』。その音楽的な独特の文体が衝撃的でした。一応クドカン(宮藤官九郎さん)が映画化してますが、それはそれとして。笑。それから、拾ってきた猫のことを書いたエッセイ『猫にかまけて』も涙なしには読めません(町田さんは猫好き)。でも実はそんなに好きじゃない作品もあります。結構あります。ごめんなさい。

 

『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』はルポルタージュ作家の高野秀行さんと歴史学者の清水克行さんの共著ですが、この本も面白かったです。ガチンコでビブリオバトル。お二人ともすごく楽しそうです。

www.shueisha-int.co.jp

この著書でお二人は「ギケイキ」に触れています。その中に、「義経記に書かれていないことを義経自身が説明している箇所が適切」だという話がありました。そして、武蔵坊弁慶のキャラ設定が秀逸!と。これは、でも、歌舞伎やドラマで定着しているこれまでの弁慶のイメージを軽く超えて、超えすぎていて、昔の弁慶のイメージを持っている人はびっくりすること請け合いです。

 

さて、私がこのお話で最も興味をそそられたのは、平安末期から鎌倉・室町の人々にとっての「神仏」の在り方でした。ずっと、不思議だったんですよね。日本では、神と仏が混然一体で、鎌倉時代は新興の仏教が沢山出てきたけれども、「寺院」が次第に武力を蓄えていき、戦国時代には戦国武将に脅威を感じさせるほどにまでなる、ということが。いやもちろん、歴史の時間とか歴史ドラマとかでよく見聞きしました。寺が腐敗して行った、政治と癒着が進んだ、堕落して寺社内に女子供も住んでた、とか。その肝心の、「腐敗」と「癒着」と「堕落」の理由と過程が、全然ピンとこなかったんです。「ギケイキ」にはその理由と過程が、活き活きと書いてありました。

 

 かならずしも発心して僧になるために仏門に入るばかりではなかった時代のこと、ヤンキーみたいな僧もいっぱいいた

 

当時の「寺」は「神仏習合」で神も仏も集まるところであり、国内外の学問と思想、当時のインテリが集まる場所でした。そして社会からこぼれおちたアウトサイダーや、義経のように命からがら流れてきた「貴種」のように、身分は高いけれども行き場のない次男三男(もっと下も)が寄り集まる場所でもあったのです。そういうことは授業で聞いたりしただけではなかなか具体的なイメージができないです。私はこの本で、たぶん初めてリアルにこの時代の「寺」や「僧」というものをイメージできた気がします。それまでのイメージは、どことなく現代のお寺やお坊さんのイメージか、「聖」みたいな求道者でしたが、それとは全然違っていたんだ、とわかりましたし、末法の世の平安末期の都の周辺は、流浪のインテリセレブとヤンキー系僧侶とヤクザ系武士団で有象無象のエネルギーが満ち満ちた、ワイルドな世界だったということが、とてもクリアに理解できました。

 

そしてまた、当時の人々にとっての「神様仏様」に対しての感覚がよく理解できます。お盆と正月しか縁のない現代人とは全然違っていて、生きるも死ぬもハッキリクッキリしていて、濃度が濃い、というか。義経の時代は、人生を脅かすものが現代とは比較にならないほど数多くしかも強大で、そのぶん、神様や仏様の力も現代とは比較にならないパワーで存在していたのね、と素直に思えます。

 

 今住んでいるところは比較的鎌倉が近いのですが、鎌倉時代のことは良く知らないし、歴史のことにそこまで興味がありませんでした。鎌倉から室町時代ってなんか混乱していて、歴史の勉強で嫌な部分だったりしませんでしたか。私は結構嫌で、すっとばして戦国いっちゃおう、みたいな感覚がずっとありました。なかなか興味がわかなかった、というか。「ギケイキ」のおかげですっかりこの時代に興味津々。結局、ここから派生した興味でさらに本を読む羽目になりました。

 

そんなふうに、思いがけない方向性を与えてくれた、想像力を刺激する「ギケイキ」。4巻刊行予定で、いまのところ2巻まで既刊です。3巻はいつ出るのかなぁ…