みらっちの読書ブログ

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そういえばハリーポッターの「名前を言ってはいけないあの人」も途中から普通に名前を呼ばれてた【生理用品の社会史/田中ひかる】

こんにちは。

 

先日、NHKのニュースを観ていたら、貧困のため生理用品を買えずに困窮する若い女性のことを取り上げていました。Twitterでも、母親のネグレクトや父子家庭で父親と話せないなど家庭の事情で、生理用品を切りつめながら暮らす少女がいるということも知りました。

 

女性として生まれたら、避けて通れないものです。ですがその「地位」はあまりに低く、まるでハリー・ポッターの「名前を言ってはいけないあの人」みたいに扱われてきた感があります。

 

最近では、小山健さんの描く「ツキイチ!生理ちゃん」が話題になりました。

 

omocoro.jp

私も、LINEなどのピックアップ版で時々目にしていただけで詳しくないのですが、昨年映画化もしているようです。

 

こちら、画期的なことに作者は男性です。素晴らしい漫画が登場したんだな、と感心しました。生理の辛さには非常に個人差があります。生理だけではなく生理前のPMS(月経前症候群)に苦しむ女性もいます。夫婦、家族で互いに忌憚なく話し合え、理解を深めるのはとてもいいことだと思います。

 

先日、こちらの本を読みました。大人の方でもあまりこういう本は好んで読まないのではないかなと思うので、今回は内容について、あえて詳しくお話させていただきます。中学生の皆さま、男子も女子も、大事なことなので臆せずブログをお読みくださいね。

[田中 ひかる]の生理用品の社会史 (角川ソフィア文庫)

 

実は、2011年の11月11日は使い捨てナプキンが誕生してからちょうど50年目にあたる記念すべき日だった。それにもかかわらず、この日、一切のメディアはこの件に触れなかったことに、私は一抹の寂しさを感じた。なぜなら、生理用品に触れずして、女性の歴史は語れないと思っているからだ。 

 著者の田中さんは「まえがき」でこのように述べています。この本は、まずは古代からの処置方法から始まり、血の穢れの概念からの月経不浄視の歴史、そしてアンネナプキンの登場、今日の生理用品の状況と四章立てになっています。特に生理用品のパイオニア・アンネ社がナプキンを開発し発売し、画期的なCM展開で女性を啓蒙していくところに多くの筆が割かれています。巻末には、アンネ社の広告が時系列で載っていて、それだけでも史料価値があると思います。

 

アンネ社の前身「株式会社発明サービスセンター」はアンネ社の社長となった坂井泰子さんとその夫である坂井秀彌さんが設立したものです。坂井秀彌さんは現・三井物産の社員で、泰子さんは最初のうち主婦をしていたが飽き足らなくなり発明家と企業の仲介サービスを思いついた、とのこと。

 

と、割とさらっと書いてますが、これは、どちらかか、どちらもかのご実家がかなりよかったのではないかと推察します。もちろんそこまではこの本に書いてありませんが、1960年代に「専業主婦に飽き足らなくなって」銀座松屋の裏に会社設立、お友達にテレビの人がいたので記者会見、ってそんな簡単なことじゃないのではと思います。ともあれ、泰子さんは非常にやり手の若い女性社長として注目も集め、ミツミ電機の社長さんを出資者に向かえ、アンネの日記からヒントを得て泰子さん自らが「アンネ社」と名付けて会社スタート。坂井さんご夫婦のおかげで、現在の私たちが快適に毎日を送ることができるようになりました。著者の田中さんのおっしゃるように、もう少し、そのお二人の功績を周知してもいいような気がします。

 

アメリカに追いつけ追い越せと商品を開発し、既成概念に縛られた女性たちを啓蒙し解放し、1993年にライオンに吸収合併されるまでの、ナプキン開発と製紙各社がしのぎを削り始める話は、「倍返しだ!」並みになかなかにドラマティックなものでした。

 

とにかく開発も大変なことであったうえに、営業して宣伝して販売生産が軌道に乗るまでに、なによりも支障となったのが「月経タブー視」でした。その根強い禁忌感はなかなかぬぐうことができず、かつまた社会的にも男社会のなかで奇異な目でみられたり侮蔑されたりと、本当にご苦労なさったようです。

 

私も、一番知りたかったのは「生理用品のない時代、女性はどうしていたのか」ということでした。これはこの本を読んで何とも言えない気持ちになりました。そもそも、生涯における生理の回数が少なかった、ということに驚きました。現代の女性ほど栄養状態が良くなかったということだけではなく「ずーっと出産が続いていて常に妊娠していたから」という理由もあったようで、なるほどと思うとともに、軽く衝撃も受けました。

 

田中さんは口述記録を集めた資料にあたって何人かの女性の例を紹介していますが、1900年前後(明治~大正)であっても粗雑な紙であるとか綿とか良くて脱脂綿で手当てをし、おさえるためのバンド系のものが開発されるもののだいたいが簡素で粗悪なものでした。

 

そして、まずもって「口にしてはならぬ」ものであって、「親からも教わったことがない」「周りを見てなんとなく推察」「こっそり処置しろ、全部自分でしろと母親や祖母、姉やいとこなどに教わった」「様々な”事故(漏れたり汚したり)”を目撃した」と証言しており、地域によっては「小屋に閉じ込められる」「終わるまで小屋で過ごす」ことになっていて、しかも大っぴらに川や洗い場で洗濯もできず、暗くなってから川に行ったり、たらいに水を持ってきて洗うなどしたのち、洗濯物も日陰にこっそり干すなど、先達の女性の皆様の苦労がひしひしと感じられ、胸が痛みました。でもそれが、当時は当たり前のことでした。「小屋で過ごす」というのが、まるで監禁みたいに感じますが、実は”事故”や人目を気にせず居られて快適な側面もあったと語られています。ただ、家事は免除である場合と、免除されない場合があったとか。

 

それ以前の時代のことには、この本ではほとんど触れられていません。江戸時代以前には確かな資料が少ないようです。古代は、植物や麻布だったのだろう、貴族は絹を使っていたようだ、平安時代は布を巻いていたようだ、紙を使い始めたのは江戸時代から、くらいしかわかっていないようです。そしてそれは日本だけではなく、世界中でそうでした。それだけ「穢れ」意識が強かったのだろうし男社会で「女性のこと」が完璧に無視でもなんの不思議もありませんが、女性が苦しかった時代が本当に長いことにため息がでます。明治になってようやく衛生概念が発達してきましたが、婦人科の病で苦しんだ女性は多かっただろうなと思います。それだけではなく、「口にするのも汚らわしいこと」とされることを経験しなければならない女性は、その存在自体が「汚らわしい」「穢れ」とされ、南伝仏教では僧侶に触れることも出家も許されず、日本仏教では成仏さえさせてもらえず、まったく受難。もはや受難としか言いようがないです。

 

あのねえ。それがないと、誰もこの世に生まれないんだよ?天才も、偉人も、アスリートも、アイドルも、誰もだよ?と思わず声を大にして言いたくなりますが、それは現代の高機能なナプキンの存在があってこそ言えることなのかもしれません。

 

血液に関しては、でもしかし、衛生概念が発達していない時代には病気を防ぐうえでも重要だったのは理解できます。一概に「忌み嫌う」ことを前時代的だとか古いとかいうことはできません。とはいえ、「アンネ」社の設立以来、日本のナプキンの進化は目覚ましく、その高機能な性能ゆえに、女性たちは非常に快適な日常を手に入れることができるようになりました。

 

しみじみと、今の時代に生まれた幸せをかみしめます。不条理なこと、大変なこと、痛いこと、まだまだ色々あるけど、それでも平安時代とか戦国時代とかにタイムスリップしたくない。今の快適さを知ってしまっている女性は、1961年以前の生活するのは無理ではないかと思います。1961年以前に昔ながらの処置をされていた皆さまにしてみれば「何を甘えたことを」とおっしゃるかもしれませんが、実際、先輩のお姉さま方もみんな、昔にかえりたくはないはず。それほどに、ナプキンの開発は、画期的な進歩、エポックメーキングだったといえます。

 

 

さて、そして冒頭に戻ります。

 

今現在、最低限の生理用品を買うことができず、1961年以前の対処しかできない女の子がいる、ということははやりショックでした。でも、全国ニュースで話題として取り上げるようになっただけでも、隔世の感があるように思えます。

 

以前、温泉に行ったときに女湯にさりげなく生理用品が置かれていて感動したことがあります。そんな風に、学校の保健室とかで、そっとサポートして上げることはできないのかしら、と思います。そもそも、そんな状態に陥ってしまった境遇からなんとか脱してもらいたいと願います。そのためにも、公のサポート体制を作ってもらうしかないのかしら。この本のタイトルにも「社会史」とあるように、これは「女性だけの話」ではなく、社会の話として受け止めるものなのでしょう。ぜひ、青少年にも男性にも読んでいただきたい本だと思います。