みらっちの読書ブログ

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謎は謎のままで【お題:好きなお茶】

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今週のお題「好きなお茶」

 

お茶。

お茶、と言われてスイッチがはいってしまったのがこの話。

 

禅に「喫茶去(きっさこ)」というお話があります。

禅問答のひとつ、とされています。

 

師が弟子を悟りに導くため、臨済宗では公案というものを重視しています。禅問答とは師から与えられた「質問」に弟子が言葉で返す、それも座禅をしながら言葉で必死に格闘をするのです。師と弟子との一対一の真剣勝負です。問題を答えると言っても「1+1=2」のような正解は存在しません。このことを疑っていては答えは出ないのですが、禅問答での第一歩はまずこれを否定してみることから始まります。禅問答における言葉と言葉のぶつかり合いは、自分の存在を探り当てるための戦いの手段です。(「今日から始める坐禅 会得と効果」西嶋和夫監修

 

一般に広く座禅をすすめる入門書というか実用書で、比較的簡単な説明だったので引用させていただきました。以前仏教系の書籍をよく読んでいた時期に読んだ本の1冊です。

 

この本の中に禅問答の例として「喫茶去」も出てくるのですが、そのほかに「禅とお茶」というトピックが立てられてもいます。

 

禅、特に臨済宗とお茶は切っても切れない関係。鎌倉時代に日本に喫茶の習慣を伝えたのは日本の臨済宗の祖、栄西(えいさい/ようさい)さんです。

 

さて、喫茶去の話がどういう話か、と申しますと。

 

そもそも唐の時代の禅僧趙州(じょうしゅう)さんとお弟子さんとの問答が公案のもとになったと言われています。趙州さんのエピソードのひとつ(語録)として紹介されているのが「喫茶去」です。

 

趙州さんのお寺に、二人の行脚僧がやってきました。ひとりは初めて来た僧、もうひとりは前に来たことがある僧。そのどちらにも、趙州さんは「前にも来たことがあるか?」と問います。

 

ひとりは「いいえ。初めてです」といい、もうひとりは「はい。以前来たことがございます」と答えます。趙州さんはそのどちらにも「喫茶去(お茶でも飲んできなさい)」と言いました。それを見ていた院主(お寺の事務局長さん)が「なんでふたりともに同じようにお茶でも飲んでこいというんですか」と尋ねたところ、趙州さんは「院主さん、お茶でも飲んできなさい」と言いました。

 

という、話です。

 

もともと、当然ながら中国の言葉で書かれています。それが日本に輸入されて紹介されているものなので、訳す人によって解釈がまちまちです。

 

有名なお話にも関わらず、あまりにもいろいろな解釈や説があって、何が何だかわかりません。仏教徒でもないただのシュフの私には長い間謎でしたし、今も謎。

 

そもそも「喫茶去」を「お茶を飲んで行きなさい(お茶を飲んで出直せ)」ととるのか「お茶を飲んでいきなさい(お茶を召し上がれとふるまう)」ととるのかで話が全然違ってきます。

 

ある人は「お茶を飲んで一服する心の余裕が大切、という意味」というし、ある人は「お茶でも飲んで出直してこい=半端な覚悟で来るなという覚悟を問うという意味」だという人もいます。

 

しかもみなさん、解説となると意外と断定的におっしゃる。

「喫茶去とは○○という意味なのです」みたいな。

 

ちなみに前出の「今日からはじめる坐禅」には、このように書いてあります。

 

新参の者にも、古参のものにも茶を勧めたのは無心の行為でありました。茶を飲むために飲むということです。無心に出されたお茶を無心に飲む。そこには理屈も何も存在しないのです。さらに趙州は、茶を飲むという、何の変哲もない日常の行為こそ大切にすべきだと説いたのであります。

 

 

現在鎌倉に比較的近いところに住んでいます。

 

鎌倉のお寺に行くようになったのはごくごく最近で、神社仏閣めぐりが楽しくなってきたところでこのようなご時世となり、しばし中断しています。

 

鎌倉はまさに臨済宗のお膝元。有名な円覚寺のHPをみてみましたら、管長さんのブログに喫茶去のことが書いてありました。そちらを拝見いたしましたところ、

 

「喫茶去」は難しい。

 解説できない。

 

とのこと。

 

えー!なんと!

その道のプロ中のプロが、そうおっしゃるのなら間違いない。また、解説できない理由は、趙州和尚の語録を繰り返し読んできて、自分の修行はとても和尚に及ばず、どういう気持ちで「喫茶去」と言われたのか推しはかることができないから、との理由でした。

 

ちなみにそのブログでは、入矢義高氏の『禅語事典』と小川隆氏の『中国禅宗史』のそれぞれの解説を紹介してくださっています。どちらも「なるほど~」と思う解説です。

 

臨済宗においては師と問答しつつ深く考えることが求められる、つまりは「修行」であって、一般人があれこれ考えても仕方のないことなのでしょう。

 

僧侶でない自分には、謎は謎のままでよし。正解がないのが正解。終わりのないのが終わりのゴールド・エクスペリエンス・レクイエムみたいなものなのだと、今はこのように思っています。

 

あ。

ところで、好きなお茶はですね。

 

今は「ルピシア」さんの「ユニオンジャック」「テ・オレ」で、1:1のミルクティーを飲むことにハマっています。

 

更年期でコーヒーが飲めなくなってしまったのですよ。

紅茶もミルクティーですとガブガブ飲めてしまいます。

甘くないのが好みです。

 

シナモンの入ったチャイもいいですね。

こちらは甘いのが好きです。

家ではうまくできないし手間もかかるので、お店で飲みたいお茶です。

 

本当はお気に入りの急須で緑茶をささっと淹れることに憧れがあるのですが、緑茶は結構淹れるのが難しいと思いませんか?温度の問題なんでしょうかね。「煎茶道」もあるくらいなので「緑茶」は一筋縄ではいかない感じがします。

 

なんにせよ、家事の合間にお茶を淹れるのは最高の贅沢です。

心置きなくのんびりカフェに行ける日が一日も早く来ますように。