みらっちの読書ブログ

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自分の靴も大事にしないとひとの靴は履けない【他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ /プレイディみかこ】

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こんにちは。

 

『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ /プレイディみかこ』を読みました。

www.kinokuniya.co.jp

 

 

著者のプレイディみかこさんの前著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、書店で見つけパラパラめくった瞬間に「これは絶対面白い。必読」と思い即断・速攻で購入した本でした。その後、何かにつけて人におすすめもしています。

 

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2019年に刊行されましたが、第73回毎日出版文化賞特別賞、第2回本屋大賞 ノンフィクション本大賞、第7回ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)、第2回八重洲本大賞、キノベス!2020 第1位、大宅壮一ノンフィクション賞候補と、多くの賞の受賞を果たしています。

 

そうした経緯からメディアに多数出演されるようになって、姿をおみかけする機会も増えました。

 

そのプレイディさんの最新刊ということもあって、出版された当初から読みたいなとは思っていたのですが、実は、そこまで飛びついて読みたい本ではありませんでした。

 

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、プレイディさんが英国に住み、仕事をし、子育てをする中で、彼女の息子さんを通して自らが体験し、考えたことを中心に書かれています。生活に密着した政治経済や差別や偏見、多様性に向けた提言などが余すところなく書き出されています。

 

日本での子育てとまるで違う環境に目を見開かされる思いで、ぐいぐいと惹きこまれる筆致に抗えない魅力を感じましたが、私は外国住まいをしたときに(英国ではなくアジアですが)、いわゆる「海外駐在帯同」だったので、本を読んでいると彼女から若干白い目で見られる側のほうにいたというちょっとした胸の痛みがありました。彼女が文中、舌鋒鋭く刺した、ということはないのですが、勝手にチクチク刺されていたのです。

 

それだけ、彼女の視点やメインテーマはポリティカル(政治的)でした。でも、息子さんの体験を通すことで非常にマイルドになっているのだと思っていました。

 

今回のタイトルの副題は「アナーキック・エンパシー」。いやどっちも難しいなぁ。アナーキズムもエンパシーもこれ、かなり「寄った」やつだなぁ、とすでにバイアスをもって受け止めてしまいました。最新刊を読むのを躊躇した理由です。

 

そんなところに、およそ100年前の法学者・経済学者・比較宗教社会学者として活躍した「マックス・ヴェーバー」の伝記を読む機会がありました。そちらの読書感想文を先にブログに書こうと思っていたのですが、マックス・ヴェーバーについて知ったことで、より、プレイディさんの本を読む気になり、先にプレイディさんの本の感想を書き留めることにしました。

 

なんで突然、マックス・ヴェーバー?と思われた方もいるかもしれませんが、理由は単純です。以前にもちょっと書いたかもしれませんが、私はこのパンデミック下で起こっていることに非常に興味があり、100年前ののスペイン風邪(インフルエンザ・パンデミック)についての書籍なども読んだりしています。

 

 その流れでちょうど2019年に生誕百年を迎えたマックス・ヴェーバーの死因がスペイン風邪だったという記述を読んだのがきっかけです。マックス・ヴェーバーは1920年に56歳で亡くなっています。どんな人だったんだろう?と興味が湧きました。

 

 マックス・ヴェーバーはドイツ(当時はプロシア)の学者で、「資本主義」に対する考え方のひとつを示したわけですが、彼の研究はあまりにも多岐にわたり、伝記を読んでも必ずしもどんな人がわかったとは言えませんでした。その研究対象の幅広さから「知の巨人」と呼ばれることもあるそうです。以前、立花隆さんのことを書きましたが、どうやらマックス・ヴェーバーのほうが元祖のようです。

 

 また道半ばで若くして急死したこともあり、影響を受けた人はいるものの直接の弟子もおらず、潮流としては傍流で、微妙な立ち位置にいる学者さんのようです。どういうわけか日本では彼の研究が好まれる傾向にあるようで、多少知名度があるものの、現在政治経済を学ぶときに真っ先に教本として学ぶ学者さんではないようです。

 

 私は政治も経済も学んだことはありませんので何とも言えませんが、彼の代表著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、政治経済を学ぶ方には『プロ倫』と呼ばれ有名だと聞いています。難解ということなので、おそらく、私は読もうとしても読めないものだと思います。

 

とは言え「プロテスタント」という特定宗教から導かれる合理性というものが資本主義の精神と出発に切り離せないものであったという説は、今も沢山の方の議論のもとになっているとのこと。伝記だけでも勉強になりました。そして今回のプレイディさんの著書を読んだ際にも、彼女は主に戦後の英国の政治経済について様々に論を展開していたので、マックス・ヴェーバーはちっとも出てきませんが、それ以前の西欧の近代の政治経済がどうだったか、宗教的概念がどうだったかという、その知識は役立ちました。

 

さて、『他者の靴をはく』というタイトルは、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で彼女の息子さんが「ライフ・スキルズ」という授業(息子さんの学校の授業には魅力的な授業が多い)の中で「エンパシーとはなにか」という問いに対し「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたことに由来しています。

 

誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現だそうですが、その答えがあまりに秀逸で、それ以後この本のことをインタビューされるときはきまって「エンパシー」について聞かれるようになったと言い、それは最初著者自身も想定しなかったことだ、と「はじめに」に書いてありました。

 

ちなみに「エンパシー」には、単に「その人の気持ちになってみる」以上の概念があるのですが、それについては本書のテーマの重要な部分であり、詳細な研究に多くの頁が割かれているので、ご興味のある方はぜひ本書を読んでもらえればと思います。

 

結論からいうと、『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』の中で語られる「アナキズム」「エンパシー」は、これまで私たちが思っていたような(って私だけかもしれませんが)無頼、パンク、体制への反抗的態度と破壊、などというブラックな印象のものではなく、「エンパシー」もオカルティックな概念とごちゃ混ぜということはありませんでした

 

 今回我々が経験している厄災を通して、右往左往し混迷する政治経済をみるにつけ、いろいろな疑問が生まれていた私には、新しい視点の提示だと感じられました。なるほど「エンパシー」という側面から「民主主義」をとらえることができるんだ、と思いました。他にも、それこそ性差別や多様性、レイシズムまで様々なところに結びつけながらエンパシーを丁寧に紐解いて分類していく展開に惹きつけられました。

 

アナキズムの自主自立というポジティブな側面を知ることができたのも良かったです。「他人の靴を履く」ということが「ただの共感ではない」ということもよく理解できました。そしてエンパシーを学ぶことに意義があり、読書や演劇が有効なわけも、納得です。しかし、果たしてこれが今後私たちの考え方にどのくらい食い込んで影響してくるかは、未知数だなと思います。

 

プレイディさんのおっしゃる通り『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読む副読本と言えるのかもしれません。これを読んでから『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読むと、理解はさらに深まると思います。

 

『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ 』では、エンパシーとシンパシーの区別から始まり、共感と訳され続ける日本の現状、そして欧州での捉えられ方、経済や政治に及ぼす影響、現在の政治経済の中にエンパシーを組み込む必要性と危険性、対極にあるかと思われるアナキズムでバランスをとり調和すること、などなど、ポリティカルでイデオロジカルな話題が満載の「研究と考察」です。英国と日本の政治経済をよく知り、門外漢(学界に席を置かないという意味です)で生活視点の彼女だからこその提言だと思います。

 

従来のアナキズムやエンパシーのソフトな解説を期待されている方には期待外れとなるかもしれません。また「HSP(ハイ・センシティブ・パーソン)」というところで期待した人にも期待外れかと思います。

 

これはおそらく、新しい時代、変容する時代に向けた、プレイディさんが全力をかけたアカデミックな啓発書です。それをどう受け止めるかはこれからの私たち次第かもしれません。

 

先日岡本太郎さんの記事を書きましたが、今日のこの記事を書きながら、「アンチ」であり続けた岡本太郎さんの生きざまも、プレイディさんの目指すところに近いのかなと思ったりもしました。

 

miracchi.hatenablog.co

 

ものの見方に新鮮な視点がまた一つ増える、そんな本だと思います。