こんにちは。
読書ブログなのに、藤井風さんのことが連続してしまいますが、風さんのことに興味がある方もない方も、よかったらひととき、ブログに立ち寄っていただけたら幸いです。
もともと自分の覚書のために書いたので、最初、投稿は見合わせようと思っていたのですが、今朝NHKニュースで藤井風さんが特集されていたので、タイムリーなので投稿しておこうかなと思います。
藤井風さんの、史上初無観客ライブ、アーカイブで観ました。
YouTubeで
無料です!
もともと、無料で観客を招待するはずだったそうです。
しかも何度でも観られるんですよ。すごいことです。
まさに
Free!
史上初、だそうです。
これまでのアーティストのライブ配信は基本、チケット購入者限定公開です。
その時間しか観られない、いわば「コンサートの代わり」でしかないものでした。
雨の中、あっという間の1時間です。
日産スタジアムで、新曲配信日の9/4に開催されました。
本来7万人入るスタジアムの真ん中に、ヤマハのピアノが1台。
当日リアルタイムでは17万人の視聴があったとか。
ライブのコメント欄は海外のかたのコメントが多かった気がします。
もしかしたら、日本とか、儲けとか、そういうところに執着しないと、実は世界に受け入れられて、お金は自然にめぐりめぐってしまうんじゃないか、なんて思いました。お金のことは「忘れて」、ただ人の期待に応えるために何か鶴の恩返しみたいに歌おう、とする風さんに、人々はかえって心惹かれてしまうような気がします。
さて、ライブ。
悪天候とは思えないんです。
しのつく雨で、風さんの髪からはしずくが落ちていくのが見えます。
ピアノも、ときどきスタッフさんが鍵盤を拭いていきます。
それは大変なことで、スタッフさんと風さんの努力なんですが。
でもなんていうか「地球に住んでれば雨も降るじゃろう」みたいな感じ。
雨が悪天候だなんて誰が決めたんだろうと思えてくる不思議。
英語と日本語でMCをして、はにかむように、と思えば自信に満ち溢れて歌う風さんには、上手いとか下手とかよりもまず、年齢を超えた
包容力
を、感じます。
Tシャツにデニムにサンダルのいでたちで、スタジアムに深々と一礼して入ってきた風さんは、自然体ですごく自由な感じ。
最初の曲「きらり」はちょっと緊張している様子で、自宅からYouTube配信していたころの風さんの雰囲気。
3曲目の「もうええわ」が終わって、ピアノを離れた風さんが、四方に向かって「優しさ」を歌い始めたとき、
観客、客席にいっぱいいるじゃーん。すごい超満員!
と、思いました(実際は、もちろんいません)。笑
『クラシカロイド』でそう言えば、こんなシーンあったなぁ。
宇宙人がボイジャーに搭載したアカシックレコードのベートーベンを聴いて、地球にベートーベンのアンコールを聴きに来てた、あれ。確か、最終話。バッハとモーツアルトとベートーベンのクラシカロイド(本人の魂を宿したクローン的な存在)が演奏するんだったっけ。宇宙人が目に見えない存在なら、まさにこんな感じだーと思いました。笑
リアルタイムでは私は行けなくて、なんか変な時間に見てるけど。
でも今、私もそこにいる。
そんな風に、感じました。
「帰ろう」を歌った後、芝生に寝そべって、
「一緒に昼寝しましょう。疲れてませんか?この世にはなんか、疲れることとか、窮屈なこといっぱいあると思うんやけど、みんな、休んでええんですよ、ということ」
と言い、
「目閉じて、なんか自然感じて、でっかいもんと繋がるっていう時間をとってください。瞑想しよってください」
「人生ほんま色々あるけど、起こることすべてには意味があるから。理由があるから。怖がらずにビビらずに生きましょうや。俺らきょうだいやし。姉妹やし。みんな宇宙って言う学校の生徒やから」
言うことが確かにスピリチュアルっぽくて、嫌な人は嫌なのかもしれません。
なんかの信者?と思ってしまう人もいると思います。
でも、そこに「愛」を感じる人はそれ以上にいるんじゃないかと思います。
『HELP EVER HURT NEVER(常に助け、決して傷つけない)』
風さんのファーストアルバムのタイトルです。
彼のお父さんがよく話していることだそうです。
とても難しいことだからこそ、大切にしたい、と風さんは言います。
藤井風さんについては、以前、このブログでも紹介したことがあります。
風さんのことを知ってから、ずっと気になっていることがあります。
風さんの歌詞には「忘れる」という言葉が度々出てくるのですが、
「憎みあいの果てに何が生まれるの/わたし、わたしが先に忘れよう」(『帰ろう』)
「あの日のことは 忘れてね(忘れるね)」(『旅路』)
歌詞の中ではとても肯定的に使われています。
これまで「忘れる」ことにネガティブなイメージを持っていた私は、最初に聴いた時「あれ?」と思いました。
「忘れる」に対する私の言葉のイメージは、たとえば、
宿題を忘れるとか、忘れ物するとか。
認知に障害が出て人の顔や記憶を忘れる、とか。
約束をすっぽかす、とか。
いいことには思えないことばかり。
どうやら彼は「忘れる」という言葉を「こだわらない」ということに使っているように思えます。
何かに強く執着していると「忘れる」ことはできません。
むしろ強烈に繰り返され、フラッシュバックする記憶はどんどん定着していきます。
執着しない、手放す、ということに「忘れる」ということがある意味ものすごく効果的。
でも、忘れよう、忘れようとすればするほど心に刻まれてしまったり、逆に無視していることが実はすごくこだわっていることだったりも、まま、あること。
執着ってそんなに簡単なことではありません。
「忘れる」にも強い意志が必要なんです。
そして、もし自然に「忘れる」なら、それはそれで、悪いことばかりではない。
少し前に読んだ、こちらの書籍を思い出しました。
2011年刊行。こちらの本は、心理学者である著者が、自分の父親の老いに向き合う過程を赤裸々に綴った本です。ベストセラーになった『嫌われる勇気』の人ですね。
心理学者だから何でもわかっていて冷静で、自分の親のこともひとつの事例として割り切り、あくまで介護者に向けての指南本として書いているのかと思いきや、自分のネガティブな感情がありのままに書いてあり、思うに任せない苦悩まで率直に書かれています。文章も行きつ戻りつして決して読みやすい構成にはなっていません。読んでいて辛くなるところもあります。
「親が大切なことを忘れること」を受け止めていく過程で、介護者としてどう向き合うかを心理学的解説も交えながら自分自身を振り返っている著者に、気が付くと寄り添っているような本です。こういった介護を体験した方の本は沢山ありますが、中でもいい本だったと思います。
この本にも書いてあったんですよね。
「忘れる」ということは悪いことばかりではない、と。
話を戻します。
「忘れる」ということは、
過去を更新して、新しい自分でいること。
新しい人間関係をつくること。
そういうことが、旅立ち、出発にはどうしても必要だ、と彼は考えているのだと思います。
上書きすれば、その嫌な記憶もろとも、過去の自分も消えます。
それでも旅立つには、過去の自分を消し去れ、手放して自由になれと、彼は言うのです。
そんなこと、お坊さん以外だったら、50過ぎて初めて思うことですよ。
テクニックとしては高難度です。
自由というのは、孤独で責任を伴うものですから、実は怖いものでもあるんです。
確かに都合の悪いことは忘れてしまって失敗してもヘラヘラしている人が会社にいたら腹が立つと思いますが、それでもその人に「囚われて」いたら今度は自分が損なわれます。そして実際、自分の失敗にも囚われすぎると身動きが取れなくなります。。
私なんか、メンタルで苦しんでやっとそのことに思い至りましたし、「忘れる」ことが必要なことも、テクニックがいることにも、最近まで気づきもしませんでした。
実を言うと、簡単に「感動した」とか「癒される」というのがあまり好きではありません。軽々しく言うことではないような気がするからです。
何をしても何を見ても「楽しかったです」と終わる小学生の作文やインタビューのように(最近の動画慣れした小学生の中には表現力のある人もいっぱいいますが)、映画を見ても猫を見ても判を押したように「感動」「癒し」がある今日この頃の軽々しく安っぽい感動と癒しの押し売りに、少々嫌悪感さえあります。
本当の感動や、癒しは、心の奥深くで受け止めるもの。
そんな「奥ゆかしさ」をどこかにとどめておきたいと思っています。
だから、風さんのライブに「感動しました!」「癒される~」なんていう気はないのですが、やはりこの方には、人に何かを訴えかける力があり、それが全方位的な老若男女というのではなく、なにかすごく引っかかる人には滅茶苦茶引っ掛かるタイプの人なんじゃないか、と、今回のライブを聴いて思いました。
まあでも、今はそんなことも「忘れて」、「今」と言うこの時を慈しみ、彼の歌を楽しんだほうが良さそうです。そしてこのライブのことも「忘れてええよ」なのかもしれませんが、とても忘れられなさそうです。笑
風さん、本当に、素晴らしいライブをありがとう!