みらっちの読書ブログ

本や映画、音楽の話を心のおもむくままに。

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【孤塁 双葉郡消防士たちの3.11/吉田千亜】

こんにちは。

 

ずっと読みたかった本を、やっと読みました。

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2月か3月頃、確か新聞で広告を見たのです。

それで書店に行きましたが、書店には置いていなかったので、Amazonを調べましたが、在庫がない、と。売れているからかな、と思い、書店をいくつか探しましたが見つからず、緊急事態宣言が出るか出ないか、というような時期だったので、結局出版元の岩波書店から取り寄せました。

 

帯に特攻隊と書いてあるし、震災だし原発だし、何か大人の事情で出版がマズいことに…?と穿ったことを思ったりしましたが、おそらく出版したばかりで本当に品薄だったのだと思います。すぐに版を重ね、3月には3版が出ています。その後はAmazonでも手に入るようになりました。

 

著者の吉田さんは、当時の消防職員たち66人から話を聞いてこの本を書き上げました。当時活動していた125名の消防職員の半数は退職され、中には話したくない人もいて、様々な事情を乗り越えて66名から貴重な話をうかがったそうです。彼らの話を少しももらすまいとするかのような、真面目で淡々とした筆致です。

 

震災の当日から時系列に沿って、情報が極端に少ない中、当時地元の消防職員がどう活動していたかを、ひとりひとりの話から細かく追っています。彼らが一様に「見捨てられたように思っていた」と言うのが胸に迫りました。

 

ただでさえ経験のない規模の地震と津波。通信系統がだめになり全く情報が入らない中、必死の救助活動を行い避難を誘導しているときに、三号機の爆発を近くで見聞きした恐怖。放射能がどう言う状態かわからない、どういう方法かも示されない、道具もわからないまま、給水しろ、水をかけろ、中の人を救助せよと現場に向かわされ待機させられ、放射能を浴びる理不尽。あてにしていた災害救助のための緊急援助隊も来ないし、来ない連絡さえ受け取れない。国や県は、自分達のことを知っているのか?と思いながら、極寒の中、瓦礫の中、放射能の中を、食料も乏しい中何日も不眠不休で救助活動をし、搬送先の確保に奔走したり、何時間もかけて救急搬送したり、原発事故現場に向かったりしている様子がつぶさに書かれています。

 

四号機火災という報を受けて出動命令が出たときに、遺書を書いたり家族に伝言を残したりした方々の気持ち、嫌だ、逃げ出したいと葛藤しながらも出動した方の気持ち、見送った仲間の皆さんの気持ちを思うと、あの事故の壮絶さと消防職員さん達の、それでも「火災なら消さなければならない」と現場に立ち向かおうとした決死の覚悟には胸が苦しくなるほどでした。現場に到着した時に放射線量が急上昇したために消火活動をしないまま緊急退避になり、火災は自然鎮火。しかしすでに大量の放射線を浴びていました。真冬の寒さの中下着になるまで水で除染し、髪を洗ったそうです。出動命令が出た頃に安定ヨウ素の投与指示が出ていたものの、消防にも自衛隊にも備蓄はなく、何日も後になってから届いた、その理由が「事故は起きないことになっていたから」ということには、読んでいて愕然としました。

 

いったん家族の避難先に帰ったとき、幼い娘が駆け寄ってきたのを「来るな!」と追い払った消防職員さんの話には、半年前武漢で医療従事者が同じように駆け寄る子供に来るな、と言ってその場にうずくまって泣いてしまった動画を投稿していたのを思い出しました。自分の子供を助けに行くことも抱きしめることもできない苦難のなかで、これほどまでに人を助けようと奮闘する方がたが、この世界に存在してくれなければ、私たちは毎日安心して暮らすことは出来ないんだな、と…今、まさにコロナ感染症のパンデミックを経験していることも含めて、日常と言うものは本来当たり前にあるものじゃないんだ、と改めて思いました。

 

この本が出た頃、映画「Fukushima50」の公開があり、原作も書店にたくさん置いてありました。それをやるなら、この本も置いてくれれば良かったのに、と思います。むしろ、映画化すべきはこっちじゃないだろうか、とも思いました。

 

実はこの本、半年も読むのをためらっていました。

緊急事態宣言になり卒業式も入学式もなく、なにがなんだかわからないままに、中学生になった息子とひたすら自粛していた日々。新しい生活様式、というものに慣れるのに精いっぱいで神経が磨り減る毎日。なんとなく手に取るのを恐れていたように思います。

でもやっぱり読んでよかった。

そして奇しくも今日は9月1日。意図していたわけではないけど、防災の日です。

 

事故当時に過酷な活動を続けながら、「ヒーローになる必要はない」とそれが報じられることもないまま、淡々と孤塁を守り続けた彼らがしばしば口にするのは「忘れないでほしい」という言葉だ。(中略)彼らは、地域の人々を守る消防士であり、また、生まれ育った地域を大切にしていた生活者だった。そして、原発避難を経験した住民でもあり、今なお、双葉郡の人々の命を守るために奔走する消防士である。(『孤塁』より)

 

追記:9/3 今朝、お友達が、吉田さんがノンフィクション賞を受賞したと言う記事が今朝の毎日新聞に載っていたよ!と、記事を送ってくれました。

 

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偶然にビックリですが、吉田さんが受賞された時にブログで紹介できて嬉しいです。吉田さん、受賞おめでとうございます。