みらっちの読書ブログ

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コロナ禍における稗史としての日常の記録【東京ディストピア日記/桜庭一樹】

 

www.kawade.co.jp

 

コロナ禍の日常の日記の出版が増えているそうです。
何が起こって、どんなことを感じたか、の日常の記録。

 

コロナ禍となり1年以上が経って、もっとこういう作品が乱発されるかなと思ったのですが、さすがにSNS全盛の現代、毎日のつぶやきはSNS上でされることが多く、私たちもそれを見ることに慣れているためか「出版物」としてはそこまでないなぁ、と、感じていました。

 

著者の桜庭一樹さんを、私はこれまで存じ上げず、これまで著作をを拝見することなく来ましたが、奇しくもこの本で巡り合うことになりました。

 

 歴史には、正史(国家による歴史)と、稗史(我々庶民の日々の歴史)があるという。いまの、不安で寄る辺ない、この一日一日こそ、かけがえのない稗史なのだと思う。

また、こんな風にも書かれています。

 自分には作家という職業の最低限の倫理というものがあり、生きている間は、”たったひとつの命の絶対的価値”のための稗史を記録し続けなければならない。

 

桜庭さんが述べている通り、この日記は「稗史」として書き出され、自身の生活に忠実な記録や資料でありながら、「土佐日記」のような日記文学になっています。そしておそらく、それがそのままいずれ来るべき未来には、史料になるであろう、とも思います。2021年4月に刊行されています。

 

虚構ではないのになぜ「日記文学」かというと、桜庭さんは「日々流れてくる情報」だけではなく「ある場所での人・モノ・出来事の定点観測」を行っていて、そこに1年の変化を描き出しており、1年後にはそれが鮮やかに浮かび出る手法を取っているからです。また、2020年11月から年末にかけての心情は甚だ悪く、記憶も背景も飛び飛びに、奇妙で居心地の悪いスピード感に描かれているところは「記録」というよりは「文学」だと受け止めました。

 

心情や情景は、その時その時に彼女がとらえた現実や感情で、後から手をくわえたものではないと思いますが(本に編集するときに加筆修正はしていると思いますが)、たとえば「路地裏の、青い看板が目印の、自家焙煎珈琲店」だったり「2020年2月半ばにオープンしたばかりの薄緑とレモンイエローの壁が目印のこぢんまりしたラウンジ兼カフェ」を定期的に訪れ、そこのマスターやバリスタのお姉さん、あるいは客たちを描写することで、1年の流れに自分の視点だけではないドラマを持ち込んでいます。

 

日記は2020年1月26日から始まり、2021年1月20日で終わっています。

 

2020年1月26日からの第一章~2020年10月25日までの第七章は、「2021年文藝春季号」に掲載され、2020年11月15日からの第八章~エピローグの2021年1月20日までは書下ろしとなっています。

 

プロローグの文章が、なぜ「大麻」の話だったのかよくわからなかったのですが、ひょっとしたらコロナ禍になって心から楽しかったのは、たまたま偶然合法の大麻エッセンスが効いてしまったその時だけだったということを言いたかったのかな、と思います。素晴らしい演劇や文楽を観ても、どこかに心の底に、楽しめないものがつっかえていて、解放されない。それに対してのアンチテーゼ的なものだったのかなと思います。でもそこだけ、ちょっと違和感は感じました。

 

さて、彼女がどう暮らし、どう感じたか以外にも、政治や事件事故といった面でどんなことがあったか、というのが、日記には細かく書かれています。それが必ずしも自国の動きだけではなく、SNSを通じて諸外国がどう動いていたか、も書かれていますし、世間を賑わせた芸能人の事件や訃報といったゴシップにおいても、かなり細かく記されています。そのうえで、自らが特に感じた出来事や事件も、ことの大小にかかわらず、ピックアップされています。

 

また、お店の動向やサービスの変化などを通して経済対策やその時の状況にも触れ、映画やゲームなど何が流行っていたか、マスクなどの商品の市場の動きなど、克明に記されています。そういえばそうだったな、アベノマスクとか今となってはもはや懐かしいくらいの代物だなと思ったりしました。

 

日記は、それが大事なんですよね。事件の大きさや問題の深さに関わらず、その時に敏感に反応した「事件」には、そのときの自分が反映されている、と思います。

 


読んでいて「あ、ここで急に変化があったんだ」と知ったのが、「2月25日と26日」という日付です。この本が1月26日から始まっているのもそのためでしょうか。1か月前からスタートすることで、この日が際立ちます。

 

25日に「マスクマスクだな、妙に静か、パンデミック直前の不気味な静寂」と思っていたのが、2月26日になって急にバタバタと休止や延期の情報が流れてきて「突然現実化」する日です。日記の後の方でも「あの2月25日みたいだ」と思う日があったりするので、おそらくは桜庭さんにとってかなりインパクトのあった日なのではないかと思います。そして、一般の私たちにとってもコロナ禍の生活においてのビフォーアフターの潮目、「変わり目」の日付だったのかもしれません。

 

自分のラインを見ると、息子の卒業式や入学式がどうなるのか心配していました。まあ当時は色々バタバタしていた時期ですので、27日にはかなりヤバめの膀胱炎になってます。こうした出版物としての日記は、自分の記録と照らし合わせることで自分にカスタマイズされ、記憶が蘇る手助けにもなります。それも史料としての価値というものかもしれません。

 

現在はSNSがあるし、それぞれが各自の日記をつけているようなもの。あるいは自分が記録しなくても、誰かが記録している、という世の中だからこそ、こういった「文学的日記」は必要だと思います。SNSの記録は断続的で個人的で、結局は情報の大河の流れに飲み込まれて「自分の記録」は手元に残るけれども、SNS上に残された記録は「乱発されたつぶやきの重層」であって俯瞰され一般化されたものにはなりません。

 

この日記には、次第に周囲から人の気配が消えていくところがよく描かれていると思います。それまでも独り暮らしだった桜庭さん。友達もいるし仕事もあり、街の風景に心なごませ、お気に入りのお店でくつろぐこともできていた生活の中で、コロナ禍になって次第に周囲から人の「気配」が消えていく様子が描かれています。

 

ちょっとした人の行動や仕草に触れたとき「ああ、人間だ、ここに人間がいるぞ」とかみしめる場面が度々、出てきます。

 

また、桜庭さんは犬を飼ってらっしゃるのですが、花を買い求めることが増えていきます。気がついたら花を買っていた、という日もよく出てきて、そういえば、コロナ禍になってペットを買ったり、花を買ったりする人が増えたという報道があったなと思い出しました。

 

そういう、ささやかな潤いを求める心情だけではなく、ちょうど当時桜庭さんが戦時中のことを取材していたために、世の中の「空気」に不安や不満を感じたり、憤りを感じたり、我慢したり、様々な心模様も率直に書かれています。彼女の生活と私の生活はやはり違っていて、同じものを見たり聞いたりしていても、感じ方も違えば情報の取り方も違う。それでも、右往左往、試行錯誤しながらもがいている日常を、ここに読むことができました。

 

特に、桜庭さんが、人心が乱れたと感じ治安に不安を抱いていたころ、女性として怖い思いをすることが増えたと、美容院で話題にしたときのことが印象的でした。日常の中にある、通い合わなさや分断、そういったものの居心地の悪さが、よく理解できました。分断は、単に国家間という問題にとどまらないということを、改めて考えさせられました。

 

何か、おかしい。

そっと、話題を変える

 

上は、私がこの本でラインを引いたところです(電子書籍)。きっと多くの人が同じ感じを味わったことがあると思います。

 

「(大人だからと)平気なふり」をしながら生きている自分に比べ「若い人たちはそこまでウイルスをおそれなくなっているように思う。そのぶん、彼らは周りへの思いやりを保っているように見える」と、自身の倫理観の低下や利己的な考えをする自分に疑問を持ったりもしています。揺れ動くのは気持ちだけではなく、自分は何者なのだろう?と自身へも向いていきます。不安は伝播し、人の心は荒み、いい人ほど声を荒げたりすることに倦み疲れながら、町のちょっとしたアートに心を救われつつ、新しい生活を模索していく日々。

 

焙煎珈琲店のマスターが桜庭さんに言います。

 

「世の中にゃ、変えていかなきゃいけない問題がたくさんあるが、他に選択肢がなくなり、もう変わるしかなくなっちまうまで、人間ていうのはなかなか変われないもんだよなぁ」

 

ほんとだな、と思いました。

 

 

※2023年追記

 コロナ禍の生活には、みんなが心底飽き飽きしていて、いまやコロナ禍前より自衛をする人が少なくなっている気がしないでもありません。コロナだけでなく、インフルエンザやアデノウイルスなどが猛威を振るっているようです。

 桜庭さんの日記はいずれ確実に「史料」となると思います。災厄に対し「そんなものはない・なかった」ように捉える人もいますし、「あのときは~」と回顧的に考える人もいます。自分自身がどう感じ、どう行動していたのかについて、これほどSNSが溢れていても実際のところきちんとした記録として残している人はどれほどいるでしょう。私たちは、本来、あらゆる歴史から学んでそれを未来に活かさなければいけないと思います。貴重な記録、今より多くの人に「読まれる日」はもっと先の未来かもしれません。

 

※2023年10月1日にサービス終了となった「シミルボン」では、希望者ひとりひとりに投稿記事のデータをくださいました。少しずつ転載していきます。

初回投稿日 2021/6/10  17:54:16