こんにちは。
みらっちです。
文章、特にエッセイを書くにあたり、影響を受けた作家さんがいます。
原田宗典さん。
もしかしたら一時期、ハマっていた、という人は多いかと思われます。
そう。一時期、です。
原田さんはある日、薬物所持で捕まってしまったので。
2013年。あのときの衝撃は何とも言えないものでした。
私は原田さんのエッセイも小説も好きだったので、人にも散々勧めてきました。2000年頃は、最近なんか面白いのある?と聞かれたら必ず「原田宗典さん」と答えていました。
確かにだんだん、年々、年追うごとに少しずつ、不穏な文章が増えているような気がしていました。なんとなく、不安定感があるというか。
女性誌を開けば原田さんのエッセイがある、というような感じで、月に何十本もエッセイを抱えていたようなことをどこかで読んだので、働きすぎじゃないかしらなどと心配していたりもしました。
でももともと、「不安定」がゆえに世間と軋轢が生まれての、自虐的なエッセイがとてつもなく面白かった方なので「相変わらずの原田節」と言えなくもありませんでした。
通勤電車の中で読むと大変なことになるよ、と友達や同僚に勧めまくっていましたが、次第にエッセイも小説もあまり目にしなくなり、最近書かれていないのかな、などと思いつつも、妊娠を機に私自身の生活が忙しくなっていくとともに、だんだん、離れていきました。
そんな中での、ショッキングな出来事。
私も当時まだ今より少しは若かったので、なんか、なんか、許せない気持ちになってしまったんですよね。
今思えば、なんであんなにフツフツと怒りに近い悲しみが湧いたのかわかりません。
当時は自分ももう、それほど読まなくなっていたのにも関わらず、です。
持っていた本を全部、売ってしまいました。
正直、あんなに激しい反応をしたのはたぶん、それまでもないし、これからもないんじゃないかと思います。
いや、思い返せば、家族関係はよくなさそうだったし、ヤンチャな青春時代がウリでした。昔で言えば躁鬱、今は双極性障害というんでしょうか、そんなニオイがしていましたし、実際、そうだと書かれたものも読んだ記憶があります。
でも様々な人生の困難を、こんなふうに笑いに変えられるんだ、と教えてもらった気がしていました。辛いことや苦しいことも、笑いに変えていく道をとったんだと、勝手に思っていたのかもしれません。
わたしと原田宗典的世界の出会いのはじまりは、こちら。
今回、原田宗典さんのことを書こう、と思って改めて本棚を探したのですが、やはりたったの一冊も残っていませんでした。そのうえ原田さんは非常に数多くのエッセイを書いていらっしゃるので、Amazonなどで検索しても正直どれがどれだったか判然としません。ただ強烈に面白かった記憶だけがあります。
そんなボヤッとした記憶を頼りにしてるのでなんとも言えませんが、おそらくはこの「スバラ式世界」を皮切りに、どっぷり原田宗典エッセイワールドに浸かっていった気がします。
元コピーライターとしてのスタート。というと林真理子さんなどもそうですが、コピーライターの方が文章を書くと、小説もいいけれどなによりもエッセイが面白いように思います。言葉の選び方や着眼点に何とも言えない「切り取り方」があります。
日常の中にある、ありふれた出来事があっという間に可笑しくてたまらないものに変えられてしまうさまには、ある種の中毒性がありました。
うーん。喩えは悪いのですが、お葬式に行ったときに、お坊さんの仕草とか癖とか、親戚の人のヘマとか、なんか些細なことが可笑しくてたまらなくなって、笑ってる場合じゃないし悲しいのに、なんかわけのわからない奥底からの笑いがこみ上げてきてどうしたらいいんだろうか?みたいな、そんなことを経験したことってありませんか?
原田さんの文章は、ああいう、どうしようもない笑いの衝動を誘発してきます。適当に描いているようで、言葉のセンスがないとこのあたりは突いてこないなあ、というところを突いてきます。
文章で人を大笑いさせる、って、できそうでなかなか、できないことです。
エッセイでの評判や知名度が高かったのですが、小説も独特な文体で面白かったです。ちょっと途中冗長に感じられるところもあるのですが、内面的葛藤や自意識との闘いを描かせたら天下一品ではなかったかと思います。特に『スメル男』は、することなすこと裏目に出て、どうしようもなく収集がつかなくなっていく絶望感が溢れています。
どちらかというと、小説よりはエッセイの方が好きだったのは、小説だと、エッセイより暗く、自虐も強く、内省も強くなる感じがしたからかもしれません。
エッセイ自体も、人気エッセイストとして年月を経るごとに本当に「乱発」に近くなっていったので、次第に飽きられてきた側面もあったのかもしれない、とは思います。
エッセイというのは「自分の切り売り」でもあるので、そのうちネタ切れを起こすのは必至だと思います。反比例するように、私のように爆笑した読者は、次も、その次もと、さらなる笑いを求めます。「同じような話、読んだなぁ」と感じれば笑えなくなっていきますし、だんだん、以前ほどは売れなくなっていったのかもしれません。
時事的なことや流行を盛り込んだりすることも多かったと思いますし、時代が移り変わって内容が古くなっていったことも、あったのかも。
とはいえブログを始め、自分がいろいろなところで感想文やエッセイを書くようになって、少々苦い気持ちを抱きつつも「絶対影響受けてるな」と日々思っています。
ところで、少し前になりますが、「最近ずいぶん原田マハさんが話題になっているなぁ」と思い、一冊読んでみようかなと思っていたところに、なんとマハさんが原田宗典さんの妹さんだと言う情報を目にしました。
なんと!
なんとまあ。あの「妹」さんですか。
たまにエッセイに出てきてましたよ「妹」さん。
まさかの出来事に多少気が動転し、慌てて一冊読んでみました。
こちらの『楽園のカンヴァス』は山本周五郎賞を受賞していますし、他にも様々な賞をとっていらっしゃいます。
面白かったです。こんな硬派な小説を書いていたんだ、知らなかった、とびっくりしました。
でも実を言うと、頭の中でどうにもお兄さんのことがチラついて、落ち着いて読んでいられませんでした。スミマセン。
原田マハさんは、かなり「ガチ」な美術評論や美術・芸術・博物関連の本やミステリーをたくさん書かれています。それもそのはず、キュレーターという「学芸員」としてのお仕事をされていたとのこと。映画化やドラマ化された『キネマの神様』や『総理の夫』などの作品も多々ありますが、そういった有名どころだけではなく、様々な小説やエッセイを書いていらっしゃいます。非常に専門的な知識溢れる多作な作家さんです。
2005年のデビューということですが、皮肉なことに兄の宗典さんがだんだん本を出さなくなっていたころだと思います。
なんとまあ。
小説の神様は、兄から妹へと引っ越して行ってしまったのでしょうか。
いや。そんなことはないですね。それはさすがにお二人ともに失礼ですね。
まさに、才能に溢れたご兄妹なのだと思います。
しかし残念ながら、今のところ原田宗典さんは原田マハさんの兄として語られる存在になってしまっているように思います。
原田宗典さん自身は2015年から執筆を再開した、と風の噂に聞きましたが、正直、また読んでみようという気持ちになれないまま、今に至っています。
やっぱりどこかでもう、私の中では原田宗典さんからは卒業した、という思いが強くあるのだと思います。
作家さんに品行方正であれと言うつもりもありませんが、好きだったぶん、こんな形での卒業は、望んでいませんでした。
音楽や文学など、アーティストさんの中には、こういうこと、ありますよね。昔から、無頼無頓、破天荒な人生を他人から期待され、自分もそうやって生きていく、という人がいましたからね。昔の文豪なんてほとんど全員、ムチャクチャですもんね。
でももう、そんな時代じゃあないですし。
ご本人やご家族がいちばん辛いでしょうし、きっと色々あったのでしょうけれど、残念な気持ちを拭い去ることができません。たぶん私の中には、「いい作家さんだったのに。期待してたのに。"辛いことは笑いに変える実践者”として目標としてきたのに。そっちに逃げちゃ、ダメじゃーん」という気持ちがあるんだと思います。
ひょっとしたら今でも。
まあ「だめと言われれば言われるほどとやりたくなる性格」ということは、エッセイにもよく出てきてましたけれど……
そんなわけで、何か色々と複雑な気持ちで、もういちどkindle電子版で「スバラ式世界」を読みました。
そして、なんだかんだ言ってたわりにはやっぱりまた「うまいなぁ」と思いつつ、笑ってしまったのでした。