みらっちの読書ブログ

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国家が子宮を支配する①【中国「絶望」家族/メイ・フォン】

こんにちは。

 

今朝、たまたまNHKで米国の中国からの養子問題について取り上げていたので、こちらを出すときが来たかな、と思いました。蔵出しです。

 

【中国絶望家族「一人っ子政策」は中国をどう変えたか/メイ・フォン著・小谷まさ代訳/2017】。原題は【One Child The Story of Cina's Radical Experiment】。直訳すれば、「ひとりっ子 中国の過激な実験の話」とでもなるでしょうか。

 

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表紙裏に「国家が子宮を支配する」という惹句が書いてありました。中国に「一人っ子政策」なるものがあったことは知っていましたが、正直まさかこんなに極端なものだったとは思いもしませんでした。

 

日本で知り合った中国の方は兄弟がいる方が多かったので、最初、これは本当の話なんだろうか?と、ちょっとSFでも読んでいるような気持ちになったのですが、この本を読む限りおそらく日本にいる中国の方は「戸籍を持っているある程度の大きさの都市の人」だったからなのだろうと思います。とはいえ、確かめていないのでわかりません。そんな失礼な質問をする気にもなれません。それだけ、この本の内容は、国家間だけではなく個人としてもデリケートな問題です。

 

農村にできた独身男性だけの村では、婚約したはずの嫁が結納金だけもらって現れない悲劇が度重なり、都市部以外では戸籍を持たない子供の増加で就職も結婚もままなりません。2人目のお金が払えなければ出産直前の胎児を中絶させるなどのむごたらしい出来事は茶飯事。四川大地震の被災地が「実験区」のひとつであり、被災した多くの家族が、ただひとりの子供を地震によって失ったということは、この本で初めて知りました。しかも多くの人が1人目出産の後男女ともに不妊手術をして(させられて)いました。

 

今朝のニュースで取り上げられた養子問題もそのひとつです。国にお金を払わず二人目を生んだ場合や、払おうとしたが法外な金額を要求され払えなかった場合、あるいは家を継ぐ「男の子」ではなかった場合など、様々なケースで「女の赤ちゃん」が保護施設に集められ、主に米国に養子に出されました。里親側はもちろん、お金を払っています。保護施設は「拾った」「捨てられていた」などと嘘の情報を里親に与え、20年ほどたって子供が自分の出自を知りたいということになって初めて事実が発覚するのです。

 

いっぽうで、中国の生殖産業が「この政策の結果、加速した」ということにも驚きました。法の目をかいくぐっての子供をめぐる攻防戦は一種のゲリラ戦の様相があります。

 

著者のメイ・フォンさんはマレーシア生まれの中国系アメリカ人ジャーナリスト。「ウォール・ストリート・ジャーナル」中国史局の記者として中国・香港の取材を担当し、ピュリッツアー賞を受賞しています。母方の親戚は今も中国に住んでいるそうで、シンガポールを皮切りに20余年アジア各地を取材してきたそうです。謝辞にはこうあります。

 

本書は、アジアでの二十年にわたる取材の集大成であり、一人の中国人の娘としての半生の記録である。

 

中国を「外から見る」視点が貫かれていて、確かに中国の「外側」に身を置ける彼女しかこういう本は書けなかっただろうなと思います。とはいえ彼女自身の体験も含めて多角的な方向から疑問を抱き、内側に飛び込んで取材をしているのが印象的でした。ルポルタージュとはいえ、自伝の様相もあります。

 

彼女は北京を拠点に中国各地で過酷な取材を敢行している間に、妊娠し流産し不妊治療をしています。筆致はあくまで淡々としていてクールですが、彼女の人生と絡み合っているために強いリアリティをもって読者に迫ります。

 

結局、最終的にメイ・フォンさんは、北京での不妊治療は成功せず、ロサンゼルスに移住しそこで不妊治療を再開、双子の男児を得ます(この本を読むとそれが非常に皮肉なことがわかります。男児であることも、双子であることも)。仕事をしながら中国で子供を得たいと思っていた彼女は、仕事を中断しても米国で双子の男児と過ごすことを決めました。

 

この本のすべては、将来彼女が息子たちに語って聞かせようと思う「物語」に集約されているように思います。

 

 いつの日か子供たちに、ある国の物語を話して聞かせたいと思う。その国は昔とても貧しくて、皇帝はその民に向かって、一家族につき子供は一人しか持ってはいけないと命じた。

 その国がどんな大きな悲しみに見舞われたか。民はどのようにして子供を手放し、また、どのようにして他人の子供を盗んだか。あるいは、唯一の大切なわが子が誰よりも強く賢い子供として生まれるために、どんなふうに魔法使いの手を借りたのか。そして、その国で生まれる子供がどんどん減ってきて、やがては老人の国になっていったか。その物語を話してあげようと思う。

 

 

一人っ子政策」を推し進めるにあたって、政策のための「実験区」というのが中国の各地にいくつか存在しました。前出の四川省もそのひとつです。実験区にはパートタイムで取り締まる民間の「人口警察」が配置され、彼らの監視の目からは逃れようがありません。そこで行われる「酷い行い」を「非道い」と書きたくなるような目を覆わんばかりのしうちには、憤りを通り越して呆れました。

 

そもそも「なぜ中国で過激な社会実験が可能だったか」についてメイ・フォンさんは、

 

世界人口抑制の取り組みは、特に有色人種の人口抑制にたいして、欧米諸国が巨額の援助金をつぎ込み、ピッチを上げて勧められた。

 

のが発端だったとしています。インドや韓国、シンガポールでさえも、人口抑制のキャンペーンやプロパガンダが行われていました。今朝のニュースで取り上げられていたように、合法にみせかけた非合法な養子縁組など、この本のところどころに、西洋の影はちらちらとちらつきます。

 

文化大革命によって世界から孤立していた中国が、十年ぶりに国際社会に復帰して目にしたのは、そんな世界だった。そして中国は一種独特な立場にあった。インドやインドネシアでも人口抑制政策は実施されていたが、人口政策を全国規模で断行できる独裁的な政治構造と社会的・文化的な土壌が揃っていたのは中国だけだった。

 

欧米の科学者があくまで机上の空論として人口抑制を論じていたのにたいし、中国の科学者はそれを現実の国民に適用しようとしました。文革によって疲弊した中国では、知識階級は力を奪われ、情報統制も有効で、国民が怒りを表す政治手段も存在せず、避妊や中絶を罪とする宗教上の信念もなかった、とメイ・フォンさんは言っています。

 

最初から無理があったのに加え、時代を経て形骸化していき四半世紀に及んだ「一人っ子政策」は幕を閉じました。今は予想を上回るスピードで人口抑制がすすんでいるようです。確かに最初は「人口が減らなければ飢える」という逼迫した観念からスタートしたもので、もし爆発的に増え続けたらそれはそれで問題は山積みだったでしょう。しかし、人口減は一概に「一人っ子政策のおかげ」というわけでもなく、人口抑制はゆがんだ方向へ進み、当初より貧富の差が拡大してそれはさらなる深刻な問題を生んでいます。

 

政策がなくなっても、経済発展を遂げた中国の高所得者層、あるいは経済的に余裕のできた人々は「自然に子供一人を望むように」なりました。一人の子供に自分のエネルギーと財産のすべてをつぎ込んだほうが「効率がいい」からです。そしてデザイナーズベビーなど「より望ましい理想的なこども」も望むようになっています。

 

現在は「人口増加抑制主義から人口増加促進政策に切り替えた国々は、目下、出生という蛇口を開けることの方が、閉めることよりはるかに難しいということをつくづく思い知らされている」状態です。中国もその例外ではありませんでした。彼女は「一人っ子政策」が中国にもたらしたものは「(もともと物事を合理的に考える中国で)生殖を合理的に考える人を増やしただけだった」といいます。

 

 

今回のこの本の「実験」は、長い年月をかけた国家プロジェクトとしての「実験」でした。生殖という、人間として、というより生物として当たり前の権利に「国家」という権力(あるいは財)が介入するとこんなことになる、ということは「ガクブル」どころではありません。そしてそれは「国家」が介在しなくなった後も災禍を及ぼし続けるのです。「国家」にとっては、子供の幸せとかなんとか、悠長なことを言う人はひとりもいなくて、子供は「労働力」「老後の担保」「数字」みたいな感じでしかありません。

 

果たして人間が「コントロール可能だ」と思っているものは、本当に「コントロール可能」なのでしょうか。今まさに「コントロールできている」と思っていることが、実は「コントロール不可」なことだったりしないでしょうか。そんなことを考えさせられました。