みらっちの読書ブログ

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武侠小説の楽しみ【射鵰英雄伝/金庸】

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こんにちは。

 2018年10月「華人のいるところ、必ず金庸の小説がある」と言われた金庸(きん・よう/ジン・ヨン)氏が94歳で亡くなりました。もうあれから4年も経つのですね…時の流れは速いです。

 

 ワタクシ、金庸と名前を聞いただけで、血が湧きます。

 

 数多くの武侠小説を書き、新聞を発行し、新聞小説を連載し、それがドラマ化・映画化され、香港の政治にも影響を与え、断筆し、80代でケンブリッジに留学し、中華圏の人々に多大な影響を与えた金庸さん。

 

 武侠小説(ぶきょうしょうせつ)というのは、中国文学での大衆小説のこと。武術に長け、義理を重んじる人々を主人公とした小説の総称です。

 

 とにかく読みごたえがあります。映像作品も、古いものから新しいものまで、大河のごとく長ーいやつが、何十年も繰り返しドラマ化・映画化されています。

 

 惹きこまれ感が半端ないです。ミヒャエル・エンデ氏も人を引きずり込む(言い方!)力が強烈ですが、金庸氏も引けを取りません。とんでもないパワーです。

 

 私は全部は読んでいませんし、観ていません。全部読む・観るにはとにかく膨大な時間が必要です。中国の大河や韓流ドラマはとにかく時間必須。飛ばし飛ばし観たところで、特に昔のものに遡れば遡るほど長い。

 

 でも飽きません。読み終わるころには、もう、全員知り合い。笑。続編で噂が出る場面になると、「おお、そう言えばこの人強かったな」とか、「やった、名前が出るってことはこの後出て来るんだな」とか、もう期待感が半端ない

 

 愛と、友情と、勝利と、努力と…ってつまり「ジャンプ+愛」ですが、ジャンプもいいけど、あなた、金庸を読まずして「北斗の拳」も「ドラゴンボール」も語る勿れ、という気がします。

 

 今日ご紹介する『射鵰英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)』の舞台は、13世紀初頭。

 

www.kinokuniya.co.jp

 

 靖康の変(史実。1126年、北宋が女真族の金に敗れて華北を失った事件。靖康は当時の宋の年号)を経て南宋と金が対峙し、北方でモンゴルが台頭しつつある時代です。

 

 タイトルは、主人公郭靖(かくせい)が、モンゴルの草原で鵰(イヌワシ)を射落とすところから。全編に渡り、イヌワシの壮麗な姿が物語を彩ります。

 

 ちなみにイヌワシは郭靖のペット。イヌワシって全長75 ~95センチメートル、翼開張168 ~220センチメートル近くになるらしいです。小説の中では小さい子供くらいの大きさという表現があります。モンゴルはペットまで壮大です。というより、これは郭靖の度量の大きさ、大器を表現しているのだと思われます。

 

 香港の『香港商報』に連載されました(1957年~1959年)。

 

 モンゴルで育った漢人の若者郭靖(かくせい)が、江湖(侠客や武芸者の世界)で知り合った人々とともに成長していく話です。モンゴルでは台頭前のチンギス・ハーンの庇護下で暮らしていました。このあたりの伏線の張り方も憎い。

 

 郭靖(かくせい)の父親には、互いに靖康の誓いを忘れまいとした義兄弟がいました。その子楊康(ようこう)は、運命のいたずらで金の王子として成長します。純真で朴訥・不器用な郭靖と違って、楊康は自尊心が強く狡猾な人物。ふたりの人生は常に絡み合いながらも離れ、離れながらも近づき、劇的な結末に至ります。

 

 そして脇役がすごい。「東邪(黄薬師)」「西毒(欧陽鋒)」「北丐(洪七公)」「南帝(段智興)」「中神通(王重陽)」「老頑童(周伯通)」「鉄掌水上飄(裘千仞)」、柯鎮悪を筆頭とした「江南七怪」という集団など、とんでもなく魅力的な人たちが勢ぞろいです。

 

 あ、漢字ばかりで嫌になってますね?すみません、飛ばしていただいて。笑。私はもう、名前と異名を書いてるだけで楽しいんですが。笑

 

 そうですね~『ワンピース』で言う、赤髪のシャンクスとか白髭とか、クロコダイルとか七武海とかドフラミンゴとか、トラファルガー・ローとか、そんな感じと思ってください。すみません、最近のワンピース知らないので喩えが古いです。笑

 

 お転婆で頭が良くお料理上手、武芸も強い郭靖の恋人(のちに妻)黄蓉(こうよう)も重要で、郭靖と黄蓉のカップルは、金庸の小説の中でもベスト・カップルと言われています。郭靖の岳父(義理の父親)になる黄薬師の前で嫁取り合戦するのがまた面白い場面です。

 

 私はふたりが身を隠している時に知り合った「北丐(ほくかい)」、乞食の格好をしたおじいちゃんだけど、グルメで風来坊の洪七公(こうしちこう)が大好きです。

 

 「天下五絶」(五大武術家)のひとりで「北丐」(ほくかい)、九指神丐(きゅうししんかい)の異名を持ちます。必殺技は、降龍十八掌(これが最強!)と打狗棒。丐幇(乞食たちの共同体で、江湖の巨大勢力)を束ねる幇主(リーダー)で、義理人情に厚く弟子となった郭靖・黄蓉にはいつも優しく協力的。二人の恋が反対されると応援してくれたりします。あの飄々とした感じがたまりません。

 

 まあなんていうんですか、亀仙人的な感じ?亀仙人は女性に滅法弱いですが、洪七公はとにかく食べ物に目がない。宮廷の食事を盗んで食べるために長期間宮廷の厨房の屋根裏に住んだりします。そんな執着が人間っぽさを醸し出していますが、そんなお茶目なところがありながら、とにかくメチャメチャ強い。

 

 「気」の世界の話なので、内功で毒や傷を治したり、外功の必殺技が挨拶代わりだったり、「何という強い気だ!」という覇気で勝負が決まっちゃうみたいなお決まりの展開がお嫌いな方には向いていないのですが。

 

  金庸氏は、中華圏で小説家として成功した人物ですが、ポリティカルに偏りのない作品を書く方だったようです。漢族だけに有利な展開などではなく、史実に添った、偏向性のない世界を保った、というのは、すごいことだったのではないか、と思っています。

 

 だからといってリアル社会での政治的立場は比較的明確で、周囲の政治家にと望む声も強かったようですし、反発や攻撃も受けていたようです。著作をやめ、政治にむかったこともあったようですが、結局政治家にはならず、最後まで自分の主義主張に忠実だったとのこと。

 

 もうひとつ、金庸氏の小説に共通して感じるのは、女性への視点が公平だと言うことです。これは執筆された時代と場所を考えても、舞台になった時代を考えても、稀有なことだと思います。確かに女性のラスボスは男に捨てられた恨みのようなドロドロした理由で人を殺戮しまくっていたりするのですが、登場する女性の武侠、女侠(じょきょう)は強くしなやかで非常に魅力的です。女性の描き方が通り一辺倒ではありません。バラエティーに富んでいます。偏見が本当に薄い。人間へのリスペクトが溢れています。

 

 『射鵰英雄伝』の最初と最後のシーンはモンゴルの大草原で、圧巻です。こちらはドラマも面白かった記憶があります。本にも忠実だったような。

 

 郭靖の子供世代の話『神鵰剣侠(しんちょうけんきょう)』も面白いです。ドラマでご覧になるのもいいですが、やはり本の方が断然面白いです。きっと原書で読んだらさらに面白いんだろうなぁ(もちろん読めないけど)。

 

 ドラマは時代が最近になるにつれ、CG多用で映像は綺麗ですが、ストーリーにはちょっと色々大人の事情がありそうに感じます。最近の『神鵰剣侠』のドラマではかなり設定変更がみられました。

 

 あとは強烈なのは『天龍八部(てんりゅうはちぶ)』ですね。残酷なシーンも多いですが、ドラマティックなことは金庸文学史上かなりのものだと思います。

 

 そんなわけで、これは語り始めたら朝になるので、このあたりで。