みらっちの読書ブログ

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をんなのしごととはなんぞや【小林カツ代と栗原はるみー料理研究家とその時代ー/阿古真理】

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こんにちは。

最近「アイキャッチ画像」を作るのに目覚めました。

アイキャッチ画像」というのは、たとえばこういうの👆です。

すごいですよね~

ちゃんとタイトルも入れられるし、楽しいです。

 

 

シリーズ【料理本の世界へようこそ】。の、2回目です。

www.kinokuniya.co.jp

 

2015年の本です。一読して、副題の「料理研究家とその時代」の方が主題で、小林カツ代さんや栗原はるみさんは、その流れの中の一部、という気がしました。確かにほかより多くの頁は割かれていると思いますが、特別に、彼女たちだけに焦点があたっているわけではありません。小林さんと栗原さんの詳細な伝記や徹底比較などではありませんので、ひょっとしたら読者によってはタイトルと少しちぐはぐな印象をもたれるんじゃないかなと思います。

 

まえがき・あとがきには、この本が、現代史であり、女性史であると書いてありました。当初主に料理を担当するのが女性であったということを含め、「食」をめぐる状況が100年余りで急激に変化したことがよくわかります。

 

基本的に、料理研究家料理本・レシピ本、雑誌やテレビでの発言、インタビュー記事などのテキストの引用で、直接のインタビューなどはありません。テーマ別に分かれているため、時代が前後して流れがスムーズでなく、少々重複するところもあります。多少なりとも料理や料理研究家の知識や心得がないと、もしかしたら少し読みにくいかもしれませんが、日本で名だたる、時代を象徴する「料理研究家」は網羅されているのではと思われます。

 

 

巻頭にある、「ハレ(非日常の行事やパーティー向け)」「ケ(日常の食事向け)」、「本格派」「創作派」をマトリックスにした料理研究家の分析もなかなか面白かったと思いますし、実際に、著者がレシピを作ってみるコラムがあったり、同じ料理のレシピを様々な料理研究家がどう解説しているかを「定点観測」しているのが面白かったです。同じビーフシチューや肉じゃがでも、料理研究家によってこれだけ違うのか、とびっくりします。

 

昨今は二世タレントさんが多く、「二世」なんてこともわざわざ言われないくらいになっていますが、料理研究家の世界でも親子で活躍されている方がとても多いです。土居善晴さんが土井勝さんの息子さんだということは以前のブログでも書きましたが、小林カツ代さんも息子さんのケンタロウさんが、栗原はるみさんも息子さんの栗原新平さんが活躍されています。ただ、ケンタロウさんは残念ながら交通事故に遭い、現在も療養中とのこと。とても残念です。黎明期には辰巳浜子さんと辰巳芳子さん親子が活躍されていて、やはり料理というのは遺伝だったり親の背を見て育つ環境だったり、というものが影響するのだなと思いました。というより、この本を読んでいたらそうとしか思えなくなりました。

 

小林カツ代さんは結婚するまでお料理に興味を持たなかったそうですが、たくさんの女中さんを使う女将さんでもあったお料理好きなお母さんのもとで美味しいものをたくさん食べて育ったそうです。柔軟な発想で働く主婦を救った小林カツ代さんでさえ、結婚して最初の日に作った味噌汁が、大量のわかめと出汁のない味噌汁だったという話は驚きました。そこから、積み上げて行ったのですね。しかしそこに「母の背中」の素養があったのは間違いなさそうです。

 

手に入る食材が限られ、土間にかまどがあった時代は、家の嫁を「主婦」とは呼びませんでした。明治半ばまでは国民の大半が農家で、そもそも食糧に乏しく、畑で取れた野菜やコメで1年を通したサイクルの中で生活し、日々の料理・食事にそれほど変化はありませんでした。近代になり(特に戦後)、都市化してサラリーマン家庭が現れた頃から、家の嫁を「主婦」と呼びならわすようになります。都会のサラリーマンの家庭は次男三男が多く家に舅姑がいません。そういった「主婦」たちは、献立を考えることや料理をつくることに喜びがあったといいます。

 

なんだろう…その新鮮な喜びに、遠く及ばない現代の倦んだ空気。「主婦」が料理をしなくなったと言われて久しい現代。食材の調達も調理も大変だったはずのそのときの「主婦」の解放感と、自分の手を煩わさなくても簡単に食事ができるようになった現代の閉そく感がなんだか反比例しているような気がしてなりません。

 

1950年代にスーパーマーケットが急速に増え、食材が手に入りやすくなり、三種の神器と呼ばれた「冷蔵庫・洗濯機・テレビ」が家庭に普及。水道やガスなどのインフラも整うと、いよいよそのニーズに応えるべく現れた「料理研究家」。主婦雑誌やテレビで、おふくろの味を提供したり、海外の料理を伝えたりと、「ハレとケ」の料理を次々に発信し始めます。1980年代は、多種多様な料理研究家がしのぎを競う時代。1960年代にデビューした小林カツ代さんも、80年代に脚光を浴びます。そして90年代になると栗原はるみさんがカリスマ主婦として脚光を浴びるのです。

 

ちなみに、有元葉子さんが生年非公開だということをこの本で知りました。栗原さんの先駆であるセレブカリスマ主婦でありながら、結構謎が多い有元さん。エッセイ本などでは「我が家では」という記述も多いですし、オープンかと思いきや、そういえば栗原さんの家のことより知らないな、と。笑。ライフスタイルを世に提案して、エスニック料理を紹介したりおしゃれなサラダやカフェ料理の先駆けだったり、調理道具も栗原さんより先に「ラ・パーゼ」というラインを持っている有元さんですが、この本でもあまりページが割かれていません。ちょっと意外でした。庶民には少し手が届かない憧れの部分が強いのかもしれません。ラ・パーゼのボウルやまな板もそういえば高い。笑。

 

小林カツ代さんは働く主婦の味方として登場し、レシピは「いかに手際よく時短するか」ということに主眼が置かれていたと言います。そして栗原はるみさんは料理のみならずその生き方や暮らし方といったライフスタイルそのものが「主婦のカリスマ」であり、憧れであるだけでなく、常に新しいレシピにチャレンジして人を飽きさせない魅力があるとのこと。

 

なるほど。

 

最後に最も最近の料理研究家の代表として、高山なおみさんが挙げられていました。高山さんのレシピは、「できるだけ簡単な料理を簡単なレシピで、できるだけたくさん紹介する」流行のレシピ本とは一線を画し、料理の背景のエッセイがつき、ひとつひとつのレシピを丁寧に解説していて、「まるで高度経済成長期のレシピ本のようでもある」と著者は言います。高山さんは、「レシピは料理家のものではなくみんなのもので、それぞれ違った味があっていい」と、「毎日シェフが作ったような料理を食べたい」という肥大化した欲求に釘をさすこともあると言います。

 

これは、最近の料理研究家さんたちがよく著書などで仰っていることでもあります。これほどの料理本や料理サイト、料理レシピに囲まれて、食育なども含め、情報過多になった現代の主婦たちの中には、おそらく「毎日しっかり献立を作って、体にいいものを、手作りの料理で三食きちんと食べなければならないのだッ!!季節の行事ごとにご馳走を作らなければならないのだッ!!」と強迫観念に駆られている主婦が、少なからずいるからなのだろうと思います。

 

この本には出てきませんが、そんな時に土居善晴さんは「一汁一菜でいいよ」といい、瀬尾幸子さんは「おかずは具だくさんの味噌汁だけででいいよ」といい、高山さんも「高いところにあるお手本の料理を目指さないでいいよ」というのです。もちろんそこにはプロとしての「食材の組み合わせを選んで」「旬の素材を使うこと」「ひとつひとつ丁寧に」などの条件がつくのですが。

 

 

この本の中で秀逸だったと思うのは、昭和前半に生まれた世代と、その娘である我々、後半に生まれた世代の「料理に対する価値観」の洞察です。昭和という時代は、それまでの外食・中食という概念がない時代の、「生きるために必須の料理を覚えて(花嫁修業や丁稚奉公などして)結婚する」というシステムが崩れた時代でした。戦後、飢えを経験しその後の経済背長期の混乱の中で育った昭和前半生まれの共通点は「家庭の中で受け継がれてきた知恵や、家庭料理を知らずに育っている」ことでした。そして彼らは「自分の娘には料理を教えなかった」のです。

 

なぜかは、様々な理由があります。ひとりで背負った家事に精一杯で子供を台所から追いやった、上の世代の価値観を押し付けたくなかった、親から教わらなかったから教えられなかった、高学歴化していく社会の中で娘には勉強してほしかった、など。その結果、昭和後半生まれは「料理に苦手意識を感じる人が多い」とのこと。

 

このあたりは、もう、なるほどな~と感心しきりでした。

 

その昭和前半生まれの女性が、そんな時代に稀な、親からきちんと料理を教わり食事に満足して育った料理研究家に憧れるのは当然で、料理技術にコンプレックスのある昭和後半世代にとっても労を厭わない栗原はるみは驚異だった。

 

そして「栗原はるみは結婚・仕事・子供を手にして、主婦のみならず、女性のヒエラルキーの頂点に立った」のでした。この世はマウンティングの世界…

 

私は長年主婦をしていますが、かなりの落ちこぼれです。主婦は昔は職業欄に「主婦」と書いてはならず「無職」と書かなければなりませんでしたが、現在は主婦と書いてもよいことになっています。昔よりは、シャドウワークに対し経済的価値が認められた状態ですが、自分自身は職業選択にやはり多少なりとも負い目や影を背負っていると感じます。

 

働いていなければダメ、という無言の圧力は常に感じていて、現代日本の高齢世代以外の専業主婦というのは、「いずれは働く主婦」と「いまだけ働いていない主婦」としてみなされていると思います。新しく知りあう息子の友達のお母さんに「主婦です」と小声でいう時の胸の痛み。そして「主婦こそ大変。24時間勤務じゃないですか」と慰められた時のそのまた痛み。すみません…なんかすみません…

 

料理研究家を通して「主婦」を掘り下げているこの本は、第一次から第六次まである「主婦論争」にも言及しています。現在は価値観の多様化によって論争にもならなくなっているようですが、料理研究家を研究することがすなわち女性の生き方、特に主婦の変遷を研究することにほかならなかったことそのものが、興味深かったです。

 

余談ですが、本の中に「最近のブログ出身の料理研究家」として山本ゆりさんの名前を発見してほくそ笑む私。山本さんは子供のころからの「料理本マニア」だとおっしゃっていたので、山本ゆりさんの「料理本を研究した本」を読んでみたい、と、ちょっと思ってしまいました。笑