みらっちです。
ここのところ連投になってしまいますが、今日はショックのあまりの投稿です。
酒見賢一さんが亡くなりました。
59歳とのこと。早すぎます。
酒見さんのことは、いつかブログに書く予定で、ずっと温めていました。まさかこんな形で書くことになろうとは。
息子が低学年の頃、息子に酒見さんの本を音読したことがあります。
「ねえねえ聞いて聞いて。ものすごく面白いから!」
却説きなん。また、あるラーメン屋の話をしよう。非合法なうえに儲からないラーメン屋台の集まりに、何故か、東大法学部大学院出の青年が就職してきたことは、前述した。その青年はラーメンなどまったくつくれなかったし、つくるつもりもなかったが、ラーメン屋のおやじに店舗第一号を持たせるのに成功した。その店をかりに劉備軒と名付けておこう。おやじの二人の仕事仲間は、青年のことを胡散臭くおもい、最初、信用していなかったが、そのプロデュース力は認めざるを得ない。さらに青年は店舗一軒目で満足するどころか、信じられないことに、全国規模のチェーン展開を目論んでいたのであった。青年はその計画をおやじに話したのだが、おやじは信じられないという顔で、かえって怯えていたくらいである。……
酒見賢一「泣き虫弱虫諸葛孔明 第伍部(文春e-book)文芸春秋kindle版
ここから始まる『三国志』『三国志演義』の勢力争いをラーメン屋の攻防に喩えた文章を、私は滔々と息子に読ませて聞かせました。
音読したくなるのです。読まずにいられなくなります。しかしこうしてあまりにも面白過ぎる文章を日々読み聞かせられた息子は、本を読まなくなるのです。なぜだ!みなさま、お気をつけあそばせ。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』とは、図書館で出会いました。
私はいつも、酒見賢一さんとは図書館で会っていたのです(言い方)。
借りよう、と思って手に取って、立ってパラパラ読んでいると、座って読みたくなり、座って読んでいると、うっかり最後まで読んでしまうのです。弐巻、参巻と借りることにして、返しに行った時に四巻が無くてぎえええと心で叫び、四巻、伍巻の刊行を待つことになるという感じでした。その「のめりこみ度」と「読み聞かせたくなる願望」は少し町田康氏に感じる何かと似ています。
最初に出会ったのは、『後宮小説』。
腹上死であった、と記載されている。
酒見賢一「後宮小説」(新潮社)
冒頭のいち文がこれ。
これも図書館でした。
その面白さの虜になり、半分くらい読んでから家にお持ち帰りをして、その後何回も読みました。中国を舞台にしているのかと思ったら、架空の国。こんなすごいファンタジーがあるのかと思いました。デビュー作。第一回ファンタジーノベル大賞。すごい、凄いとしか言えない。強く心に残り続けることになりました。
その衝撃は京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』の時にも感じることになります。京極氏はこの作品(仕事の合間に書いたデビュー作)でメフィスト賞を創設することになりました。ふたりに共通するのは、強烈なオリジナリティと切り開く力だと思います。
酒見さんは決して多作ではありませんが、1作1作が何巻もあり長いので、読み始めるのに少々躊躇します。でも読み始めたらもうユーキャントストップ。止まることはできません。
そしていわゆる歴史小説によくある古風で型にはまったような、堅苦しい文章ではありません。たとえ話が古今東西現在過去未来を縦横無尽に行ったり来たり。私はこういう作品に目がありません。
酒見さんとは、図書館で出会ってほれ込み、結局本を買うことになる、というようなおつきあいでした。いつも「あっ」と思うのです。そして「やっと会えましたね」と思います。これからも本屋さんや図書館で、新作に出会えるものだと信じて疑っていませんでした。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』の第壱巻を読むともなくつらつらと眺めていたら「あとがき」があって、そう言えば前にここ読んだことがあったっけ、と読み直してみました。
今年でデビュ二ー十周年を迎えた。誰も祝ってくれないが、それはそれでよし。
との言葉から始まって、バブル末期の平成元年のファンタジーノベル大賞の授賞式のことが書かれていました。バブル期だったのでものすごく豪華な受賞記念パーティーで、主役の自分は飲食もできないまま連れまわされ、その後何か食べさせてくれるのだろうと思ったら何も食べさせてもらえず、両手に花束を抱えたままビジネスホテルに案内され、結局自販機コーナーのみどりのたぬきを食べた、という話でした。
それから二十年。いい時もあったし悪い時もあったし、今はちょっと悪いのだが、確かに授賞式の夜のことはわたしにとって教訓となり、破滅もせずに済んでいる。新人を甘やかしてはいけないというのは、間違いないので感謝している。嘘じゃありません。(平成二十一年九月)
酒見賢一「泣き虫弱虫諸葛孔明 第伍部(文春e-book)文芸春秋kindle版
本と言うのは不思議なもので、いまそこにいて著者が語り掛けてくるような不思議な気持ちになるものです。華々しいデビューでも、作家として書き続けていくのはそう甘いことではなく、いろいろなご苦労やご心労があったのだろうと思いを馳せました。
これから、読んだ作品を読み直し、読んでいなかった作品を読もうと思っています。その才能があまりにも惜しまれますが、いまはただ、謹んでご冥福をお祈りしています。