みらっちの読書ブログ

本や映画、音楽の話を心のおもむくままに。

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夢見る時を過ぎても

 

 こんにちは。みらっちです。

 シミルボンの転載ではない「はてな」としての記事を書くのはとても久しぶりです。

 

 こちらでのシミルボン転載をひと休みしたのは、とある記事のコメントにスパムのようなものが貼り付けられてしまったからです。3年以上ブログをしていますが、初めてのことでした。もともと「読書感想文」というニッチな、需要のないブログを書いていたので、ひと様の目にとまることもなかったからだと思いますが、ネットで文章を書いていてそういうことに遭遇したのは初めてでした。題材がよくなかったのか、原因がなにかは判然としていません。そのため、しばらく投稿を控えていました。

 

 9月から神田神保町の「PASSAGE」という共同書店に棚をひとつお借りしています。そこで自分が読んだ本を置いたり、自分が書いた本を置いたりしていたのですが、ある意味「リアル」での活動が始まってから、不思議なことにネットコミュニケーションにおけるトラブルが多くなりました。といっても、ひとつひとつは些細なことです。LINEで言葉上の行き違いがあったとか、例のスパムと思われるコメントがついたとか。ただそれらが時を同じくしていっきにやってきたので、これはなにかの「節目」なのかなと感じています。

 

 昨年から「note」に軸足を移していましたが、そちらも少しお休みと言う形で投稿頻度を下げて、現在は「はてな」でシミルボンの過去記事を掲載し、共同書店の棚に置くための本づくりにいそしんでいます。

 共同書店の棚の名前は「吉穂堂(よしほどう)」と言います。

 ほとんどリアルの友人かnoteのお客様です。時々お家の近い方が訪れて買ってくださったりしています。

 

 どうしてもそちらの活動に注力しているため、まとまった文章を、ほとんど書いていません。かといって、思うように読書もできていません。積読本が増えるばかりです。

 今は過去作品をひたすら文庫本化する作業と、慣れないXTwitterやInstagramに多少なりとも宣伝めいたことを投稿したりの日々。これもまた「今私がするべきこと」なのだろうなと思いますが、これまであまりにも毎日のようになにかしら文章を書いてきたために、「文章を書かない」ということそのものに、少々フラストレーションが発生しています。それで、特にこれといった目的もなく、ふらふらとこの文章を書き始めてしまいました。まるで文章ジャンキーのような有様です。ああ書きたい書きたい――こういう思いが嵩じると死んだ後にカタカタキーボードを打つ音がする…みたいなことになるのでしょうか。執着ですね。いずれ清算しなければならない煩悩でしょう。

 

 思えば「はてな」で初投稿したのが、正真正銘の私のブログのスタートでした。「公開する」を押せば全世界の人の目に触れると勘違いしていた私は震える手で最初の「公開する」を押したものでした。

 あれから3年、私の人生は「書くこと」によってずいぶん変わりました。

「はてな」はブログ感が強いですが、「note」はSNSの要素が強く、コメントや交流も盛んだったこともあって、noteで交流した方々からたくさんのことを教えていただき、思いもよらないことに挑戦し続けることになりました。

 気がつけばnoteの記事をまとめてkindle出版したり、電子書籍をペーパーバック化したり、創作を始めてみたり、過去に書いた小説をkindle出版したり文庫化したり、ついには共同書店で自分の作った文庫本を売る、という、「はてな」の「公開する」を震える指で押していたあの頃からすると信じられないところに、今、います。

 

 「作家」とか「小説家」という存在は、なんらかの賞を獲得したあかつきに、出版社から本を出すことになり、編集の担当さんがつき、幾人ものプロの方が後押しをして、何百部、何千部といった冊数の本を商業出版し、各地の書店に置かれて、はじめて「作家」と認められるものであろうと思います。

 kindle出版は原稿があれば誰にでもできることですし、実際、何百ページの本もあれば十数ページのノウハウ本もあり、表紙だけ見るとまったく区別はありません。素人が流通の市場に参入できるという画期的な出版形式に、猫も杓子も乗せられてといったところが本当のところだと思います。ですから、kindle本を出版したからと言って、「作家」とはみなされませんし、下手に作家などと名乗るとずいぶんこき下ろされるとも見聞きします。つい先日も私自身も、そのようなお言葉をいただきました。作家などとはまさか自ら名乗っていないのですが、kindleで出版したと言ったところ、あんな誰でもできるもので思いあがってと思われたようです。言わなければよかったです。

 その中間に、印刷所や出版社が主催する「自費出版」などもありますが、こちらは100部とか300部といった単位の本を自費で出版するためかなりのお金がかかります。どんなに安くても100万円はかかるのではないでしょうか。私は詳しく調べていないのでわかりません。こちらは、実際に手助けしてくれる編集さんがついたりもするようですが、基本的にお手伝いであり、出版物に対しての責任はあくまで自費出版する本人にありますから、内容がどうあろうと、売れなかろうと、本人が買い取る以外の選択肢はほとんどないと思います。

 

 プロとアマチュアの差は歴然とあります。そのあたりをしっかり認識していれば、今はかなり面白い時代だと思います。

 

 専業の作家になって儲けたい、といった野望があったとしても、実際にその能力があり、認められて作家になったとしても、本は売れない時代と言われます。

 儲けや評価など考えず、飽くまでも趣味としてであれば、「自分の本」という実体を味わい、それを売る方法がいくらでもある、ということを、現在私は身をもって体験しています。

 収支を考えれば、とんでもない赤字。

 しかし趣味として考えれば、ひと月1万円近くのカルチャーセンターの講座などに通っている人もいますし、また何か手工芸をするにしても材料費がかかり、さらにそれを習うにも発表するにもそこそこのお金はかかります。そんな趣味の一環として考えれば、今夢中になることがあり、それを発表する場があるというのは実にありがたく実り多いことに思えます。

 

 私は「PASSAGE」の棚を借りるにあたって、これまでサブスクで加入していたネトフリなどの配信契約をすべて退会しました。ひとつひとつは900円程度であっても、意外と見たいもののためにいくつも加入していたことに気づきました。本の活動を始めてからはほとんど配信を見る時間がなくなったので、あまり痛みも感じませんでしたが、知らず知らずのうちにそんな風に「趣味」と称して無為にお金を使っていたことに我ながら驚きました。

 

 今は、印刷屋さんでそこそこクオリティーの高い文庫本を5冊ずつ作成しています。印刷屋さんのおかげで「文庫本としてのクオリティー」は高いのですが、デザインや中身の校正の甘さなどもあって、いかにも手作り感満載の、自己満足の本たちです。それを棚に「ずらりと」並べてみたいという夢を抱き、そしてまた、余った2,3冊は来年の「東京文学フリマ」に出してみよう、という野望を抱いています。

 

 来るべき2024年に向け、ただただ今は、地味な作業中。

 それでも毎日楽しいのです。全くお金にならないけれど、意外にも売ることができる場所を得て、たまに買ってくださる方がいて。実のところ孤独で苦しい作業も多いけれど、自分の才能の無さなどとっくの昔に高い高い棚の上にあげっぱなしで、楽しんでいます。

 

 夢見る時など、はるか昔に過ぎてしまっていたはずなのに、こんなふうに転がるとは――人生とは全く予想もつかないことの連続です。

 

 神田神保町の「PASSAGE」は面白い本屋さんです。

 私の本棚はともかく、ひとつひとつの本棚が個性の塊で、眺めているだけで飽きません。

 お近くにお住まいの方はぜひのぞいてみていただきたいと思います。