みらっちの読書ブログ

本や映画、音楽の話を心のおもむくままに。

友だち追加

昭和レトロならぬ1980年代米カルチャーへの郷愁を感じる【エイリアン通り/成田美奈子】

f:id:miracchi:20211109101043p:plain

 

こんにちは。

 

このごろ「昭和レトロ」がもてはやされているとか。

昭和生まれにとっては「大正ロマン」みたいなもの?

昭和生まれだけれどちょっとピンときません。笑

 

一周めぐってレトロになってしまった昭和時代。若い世代には新鮮に映ったり、混沌としながらも、なにか、明るい希望に満ちていたことへの郷愁があるのでしょうか。

 

 

www.kinokuniya.co.jp

 


今日は1980年代のアメリカ、日本が憧れたアメリカを堪能できる漫画【エイリアン通り(ストリート)/成田美奈子】です。

 

f:id:miracchi:20210211111443p:plain

日本人が今昭和にノスタルジーを感じるならば、アメリカのこの時代もまさしく、郷愁を感じる時代だという気がします。

 

読んだのは中学生。友達が大ファンで、彼女から借りて読みました。その後も、レンタルで借りたりしてこれまで何度か読んでいますが、読むたびに、どんどんノスタルジックになっていくのを止められません。それだけ、当時のカルチャーが色濃く出ている漫画だと思います。

 

1979年から1982年のロサンゼルス。最初の語りと主人公は英語にコンプレックスのあるフランス人留学生のジェル(ジェラール)くんなのですが、中心になるのはマイケル・ジャクソン風の服装、立ち姿の、金髪碧眼、長身で頭脳明晰、美貌の少年シャールくん(連載開始時15歳)。彼はアラビア半島の架空の王国の王様と、ハリウッドの美人女優との子供で飛び級して大学生という華麗な設定。ジェルがシャールの豪邸に転がり込み、その後父親の転勤でロスに来た英語が話せず孤立した日本人の女の子翼くんも同居することになり、シャールの複雑な出自を通して様々な出来事が起こる、という物語。舞台もアメリカやらアラビア半島やら日本やらとなかなかに国際的。1巻ずつ完結しているストーリーが8巻あり、その都度主人公が変わるので、群像劇ともいえます。1巻ごとのサブタイトルは映画のタイトルからつけられています。

 

タイトルの「エイリアン通り」は、のちにスティングが「Oh,I’m an alien,I'm a Regel alien」と歌った「Englishman In New York」の「alien(異邦人)」と同じ意味ですね。外国人、余所者、という意味合いのある言葉です。初めてスティングを聴いたときこの「エイリアン通り」を思い出しました。歌詞もなんとなく物語の核心に近いなと思った記憶があります。

 

当時のポップで軽いノリのおしゃれなセリフ回しや開放的なムードの中、在米外国人の孤独とコンプレックスに翻弄されながら、若さゆえに傷つき悩み、成長していく若者たちの話です。そこはそれ、少女漫画なのでシャールくんと翼くんのラブストーリーでもあります。ちょっとネタバレになりますが、私としては、シャールが翼くんが好きだって告白するところは「Lovin' you」とかそれまできいたこともないような粋な告白で感動的なのだけれども(少女漫画の王道として選ぶのが当たり前で、もちろん話の流れとしては絶対選んでほしいんだけれども)、なんとなく若干の違和感を覚えた記憶があります。あの違和感はなんだろう。なんとなく「恋愛」というよりは「家族的な関係」だと思っていたからでしょうか。もし同じように感じた方がいて、どなたかその理由に気づかれた方がいらしたら、教えてくださいませ。

 

でもあの時の「王子でも乞食でも天使でも悪魔でもドレスでも革ジャンでも好きだよ」(だったかな?手元に漫画ないのでわからない)。ありのままの自分を見てくれる相手が必要なんだっていうメッセージは今でもどこか胸にある気がします。

 

ロスの豪邸には様々な人が出入りして、短期間滞在したり長期滞在したりするのですが、シャールくんの元家庭教師で遊牧民の血を引く長髪で謎めいたセレムという男性も物語序盤から同居しています。彼はシャールの影のような存在で、立場も主従という公平とは言えない間柄です。とはいえ必ずしもシャールを支えるばかりではなく時に対立したり互いに複雑な感情を持ち合っています。彼はおそらく引き裂かれたシャールの「一方の世界」を象徴していて、もう一方はフランス人留学生「ジェル」が引き受けています。

 

本来なら「もう一方の世界」はシャールの母親の世界でありアメリカそのもののはずですが、母親も祖国からはみ出した存在だし、自分もまたアメリカには居場所がない。彼らは同居する人物や事件を通して次第に絆を深めていきますが、それは「アメリカ」という国に根付くものではなく、アメリカでは彼らは全員最初から最後まで「よそ者」です。

 

シャールはある時俳優にスカウトされるのですが(これは話の流れ上必要性ありで伏線がある)、この漫画は全編において映画の影響が垣間見られるので、オーディションの場面なんかはこの漫画でも最も面白いところのひとつです。

 

オーディションは事故で亡くなった父親を息子が死亡確認する場面での演技。そこでシャールが白い布を取ったら中に横たわっていたのはダースベイダーの人形。動揺も見せず迫真の演技をして死亡確認書にサインしたシャール。そのサインを見たスタッフはそこに「ルーク・スカイウィーカー」と書いてあって大爆笑。この時は最終選考でライバルに敗北しますが、そののち別の映画に「女優」として出演することになります。その時の映画作品はスピンオフ漫画『フィリシア』として読むことができます。

 

そのまま彼が俳優になったらつまらない話になるところですが、最終的には彼はアメリカという国には馴染まないままで別の決断をします。

 

「人種のるつぼ」と言われたアメリカが生んだ、当時のポップカルチャーはあの頃の日本人の憧れでした。音楽も、映画も、ファッションも、何もかもすべて。世界の中心で愛と自由と経済力を叫んでいたアメリカ。「アメリカファースト」を声高に叫ばなければならなかった大統領が出てきて退場した今、ハリウッド映画より400億超えの男煉獄さんを選ぶ日本。あらゆることが「センシティブに」ジャッジされる時代、あの当時の勢いがもはやノスタルジーでしかないことが、結構衝撃です。

 

それと、やはりヒーローのシャールくんがあまりにも出来すぎでした。そこはもちろん魅力で、だからこそ出自の複雑さからの人間の深みというものもあるのですが、あまりにもご都合主義な点は否めません。とはいえ、だからこそ彼の中に「外国人の血が流れていること」が当時のアメリカ社会の中で失格の烙印を押される要因でもあるわけで、彼は決して欧米的基準では「完璧」にはなれない。「そうは見えないけれど」政治や宗教やレイシズムの問題が絡んでいる点で少女漫画の中ではちょっと異例だったかもしれません。

 

絵は堂々たる少女漫画の王道で、とてもきれいですっきりとした線が魅力的。キラキラが本当に輝いて見えます。書いているうちに懐かしくなり、また読みたくなってきました。今読み返したら、あの頃のままの15歳のシャールくんは、すっかり人生後半戦の現在の私に、どんなふうに見えるのでしょう。