こんにちは。
後編です。
何はともあれ、ネットだけではいかん。と、本も読むようにしています。著書、というのは、通り過ぎていくTwitterやネット記事と違い、情報がまとまっていて、著者の人となりもわかります。
多分最初に読んだのはこれ。
まずは、感染症の歴史について知りましょう。と思いました。
著者の石弘之さんはもともと環境史研究者だそうですが「感染症は環境の変化から流行する」という持論の元、この本を書いたと昨年のインタビューでおっしゃっていました。2014年に出版された本ですが「まるで今回のパンデミックを予想していたようだ」と話題になったそうです。石さんへのインタビューは角川のwebマガジンで昨年と今年の2回に渡って行われていて「(感染の広がりやウイルスの状態が)ここまでとは思わなかった」という石さんの率直な感想に、改めて今回の感染症の難しさを感じました。
石さんは著書で「感染症との闘いは人間は感染症に1勝9敗くらい」「(感染症との闘いは)地上で最も進化した人と、もっとも原始的な微生物との死闘である」「(人口過密など)人は病気の流行を招き寄せるような環境を作ってきたが、今後ますます流行の危険は高まるだろう」とおっしゃっています。そして今回、ワクチンなどの希望が見えた一方で、国民の命や安全を守るためには政治家の「質」がいかに大切かを痛感したと述べられており、なるほどなと思います。
ピュリッツアー賞を受賞したジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』は、YouTubeでナショナルジオグラフィックの動画を日本語吹き替えで観られたので、本を読むのはやめておきました。笑。フィールドワークの地政学は魅力がありますが、まずは感染症の歴史を知りたかった、というのもあります。実際、こちらの本では歴史上感染症がどう影響したかというものはあっても、感染症そのものの歴史というものとはちょっと違いました。
前編でも書きましたが、ワクチンについては、私はずっと長い間、懐疑派でした。むしろ忌避していました。その右往左往した気持ちについては、こちらに書かせてもらっています。こちら、クリックすると記事が読めます。未読でしたら、よかったらどうぞ。
お医者さん、というのは、専門外のことは意外と知らない、ということを、この本を読んで知りました。小児科医さんならなんでも知ってると思いがちですが、ワクチンは別なんですね。ワクチンというのは公衆衛生とか疫学の中に入るので、医学とはちょっと別の道なんですね。
疫学という言葉が出ましたが、疫学というのはWikipediaによると医学に適用される場合は「明確に規定された人間集団の中で出現する医学上の事象を、その頻度、影響、分布を明らかにして、医学上の事象の有効な対策を研究する学問である」とのこと。
この有効な対策を研究されていたのが、昨年春に「政府分科会クラスター班」だった押谷仁先生や数理モデルを用いた西浦博先生です。
NHKの特集番組なども観ましたが、テレビで拝見しただけでも本当に大変なお仕事でした。でも、いっぱい、叩かれましたね。8割おじさんと呼ばれた西浦先生の著書『新型コロナからいのちを守れ!』によると、押谷先生は、大変デリケートな方で、とても傷つかれた様子だったと言うことがこの本に書かれていました。分科会には現在ももちろんメンバーとしていらっしゃいますが、この番組以後、ほとんど表に出ないそうです。著書から推察するに、かなりタフでいらっしゃる西浦先生も、しばらくTwitterなどでお見掛けしなくなっていましたが、最近時折、ご意見されているようです。
クラスター班は分科会の中の疫学に特化した専門チームでした。当時一般市民は、彼らがどんなことをするのかが、よくわかっていなかったと思います。西浦先生は当時「何もしなければ42万人死ぬ」と言ったことで、半端に勉強している方に「当たらなかったじゃないか」「おおげさなことをいいかげんに言って」と責められましたが、疫学における「数理モデル」というのはそういうもので、西浦先生はその数理モデルの第一人者です。日本の対策の基本方針「3密」を探り当てることに貢献しているのもこのクラスター班の働きです。フラットな心で物事を見たいものだと思います。
それにしても、専門家分科会という組織がどういうものなのかも、どんな立ち位置なのかも、正直はっきりはわからないところがあります。途中で大臣が解散を発表してそれを尾身先生が知らなかった、などということもありましたし「もっとハッキリ言ってくれればいいのに」なんて思うようなこともありました。尾身先生は「私たちは決定することはできない」「国に強く申し上げる」ということをよくおっしゃいます。当初から分科会をひっぱってあらゆるバランスを取りながら、淡々としてブレない、尾身先生。
尾身茂先生は、最初からお医者様を目指していたわけではなかったそうです。慶応大学法学部に入ったもののとある本との出会いから一念発起して医学部を目指して猛勉強され、自治医科大卒業後は都立病院、へき地医療を経て、WHOへ。そこでポリオ根絶に力を尽くされることになります。
前出の石弘之さんがインタビューで「これまで 1勝 9 敗ぐらいでヒト側の負けが込んでいるのですよ。勝ったのは 1977 年以来発病者が出ていない天然痘と、ほぼ根絶寸前まで追い込んだポリオぐらいでしょう」とおっしゃっているように、ほぼ根絶寸前まで追い込んだその人が、尾身先生です。
尾身先生は、感染症の流行があるたびに世界中どこへでも行き、金策から交渉からなにからなにまで、粘り強く物事に当たられてきました。数々のピンチにはびっくりの連続ですが、ちょっとやそっとでは倒れない、どっしりとしたリーダーなのだなと改めて尊敬の念が湧きます。きっと国民にはわからないところで、丁々発止のやり取りがあるのだろうと推察いたします。
さて、昨年の最初の頃、京大のウイルス学者である宮沢孝幸先生の発言はとてもいいと思っていました。100分の1作戦(ウイルス量が少なければ感染しないから減らそう、という提案)もとても理にかなっていると思っていました。ただ、先生ご自身はSNSで何かとても傷つくことがあったらしく、発言の内容もだんだん変っていって、今は、賛同しづらいところも多くなってきて、ちょっと残念です。きっととても純粋な方なんだと思います。
本だけではなく、ネットニュースなども読みますが、ネットニュースというのは本当に「見る」というのが相応しい気がします。TwitterやSNSは川のように流れていくものだと思っているので、それはそれで消えてしまっても構わないのですが、ネットニュースはインタビューや抜粋記事など、曲がりなりにも記事であり論。記憶にとどめておきたいと思うのですが、つい、スクロールして読んだ気になることが多いです。
ネットニュースでは特に忽那賢志先生の記事をよく読みます。先日まとめて書籍になり、こちらも読んでみましたが、やっぱり、本はいいです。
『働く細胞6巻』の監修もしていらっしゃいます。
感染症の小説と言えば「カミュ」の「ペスト」だと思うのですが、とりあえずもう少し時間的に近いところで、『エピデミック』と『臨床の砦』を読んでみました。疫学と臨床の立場の違いもわかります。ちなみに『エピデミック』は前述の西浦先生が監修をされています。その縁で、『新型コロナウイルスからいのちを守れ!』の共著は『エピデミック』の著者川端裕人さんです。どちらもシミルボンでレビューしています。
最後に、峰先生。笑
シミルボンでは、意外と読まれてないこの記事。最近、テレビで拝見することが多くなって、嬉しい反面、以前からかなりの数いるアンチの方々が、いちいち峰先生を攻撃するので心配です。峰先生は「トンデモ医師のように自分の信者を作りたいわけではないし、お金や健康・命を巻き上げる気もないので、情報源を紹介したりする。できるだけ複数、公的なものを中心に。各自しっかり確認して、ばぶを信頼しきるのではなく、情報に向かい合う力をつけてほしいの。間違っていたらばぶにも指摘を」と言っています。
日経ビジネス電子版では、この本の続きも続々、記事が出ています。その時々の問題をリアルタイムで追えるので、「そのとき何が問題だったか」がわかるためには、それほど編集が入らなくてもいいのでは、なんて思ったりもします。記録、資料、史料としても良い気がします。でも、前にわからなかったことがわかるようになったり、情報は常に置き換わっているので、本にする頃には変わっていることもあるのだと思います。
ちなみに、忽那先生も峰先生も、おふたりともワクチンに関してはmRNAワクチンのことしか書いておりません。申請中のアストラゼネカDNAベクターワクチンが、血栓などの懸念でなかなか承認されていないことを考えると、この状況を見越していたのかと思ってしまいますが、出版当時承認済だったものが日本では基本的に中心なるということだったのかなという気もします。
とにもかくにも、基本の手洗い・マスク・三密回避をたんたんと、粛々と。
以前ご紹介した、ゼンメルヴァイスの冥福を祈りつつ。
ワクチンを打っても、まだ終わりではありません。ワクチンが人口の大部分にいきわたり、ウイルスを抑え込めるまで、辛いですが基本の対策を頑張りましょう~。
誰にでも会ってどこにでも行ける日を信じて。