みらっちの読書ブログ

本や映画、音楽の話を心のおもむくままに。

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読書ブログの最初の記事なのに本の話ではなく米津玄師『カナリヤ』愛を訴えてしまった

おはようございます。

真夏日を予感させる朝です。

記念すべき第一回目の記事は米津玄師の『カナリヤ』という曲への愛を語らせていただこうと思っています(唐突)。

 

言わずと知れたヒットメーカーで時代の寵児である米津さんは、現在29歳。

もともとはボーカロイドプロデューサー(ボカロP)「ハチ」としてデビューし、活躍していらっしゃいました。

 

私が最初に聴いた米津さんの曲は『砂の惑星』。耳にしてすぐ、

 

「あっ、これ子供の頃『みんなのうた』で聴いたことがある」

 

と思いました。アニメーションまで鮮明に浮かんだのです。

ググりましたら、とんでもない話で、曲は米津玄師さんという方で2017年の作品だと。

えっ。ちょっと待って。私の子供の頃って「昭和」だけど?

それによく聴けばこんな斬新なメロディと歌詞が昭和なはずがない。

 

なぬー?となりました。YouTubeで確認したら『砂の惑星』のアニメーションは私の脳内アニメーションとは似ても似つかぬ、初音ミクが砂漠を歩く素敵なアニメでした。

 

あっれーおっかしいなあ。と思いましたが、それ以後はその曲がエンドレスで脳内再生。その中毒性にあっという間に虜になってしまいました。曲自体にも、うわ、この人きっと天才だわ。と戦慄しましたし、彼が描く絵もまた素晴らしい。そして歌詞の言葉の選択が鳥肌が立つくらいドンピシャでなおかつ美しい。老若男女に響く妙にドメスティックなメロディラインがたまらないです。

 

私の友人にははおそらく周知のことなんですが、私は誰かが特別に好きと熱く語ることはほとんどなく、誰のファン?と言われると困惑し、好みのタイプは?と問われると「うーん。ブラックジャックかシャア」と二次元のところで固まってしまうという(しかも古い)、現実のリアルな世界の話ができない、という決定的にヤヴァイ側面があるのですが、米津さんに関してはかなりのファンだと言っていいと思います。たぶん自分史上初。

 

『砂の惑星』を知ってからはハチのころから直近のアルバムまで聴き、息子にも押しつけがましく日々聴かせました。迷惑。

 

米津さんの魅力は様々ありますが、特に声が好きだとおっしゃるファンの方は多いですよね。私も例にもれず、『打ち上げ花火』のDAOKOさんとのデュエット、米津さんのパートの出だしの「あと何度…」というところの「あ」の声が好きだと言って、息子から呆れられました。

 

息子「…なんつーマニアックな(呆)」。

 

その後米津さんはCMやドラマのタイアップなどで快進撃を続け、オリンピックの『パプリカ』、『lemon』『馬と鹿』『感電』などメガヒットやムーブメントを巻き起こしているのは周知のとおりです。

 

その米津さんが、ついに8/5、新しいアルバムを発表されました。

STRAY SHEEP

reissuerecords.net

彼自身がそのアルバムについて語るYouTubeチャンネルも聴きましたが、選ぶ言葉が知的で、とにかく知識・教養・語彙の抽斗をいっぱい持っていらっしゃるのが伝わってきました。そういった豊かなものから鋭く選択された言葉によってご自分の世界観を表現されていることに、改めて痺れるような感銘を受けました。(息子は、米津さんて一人称オレって言うんだ!かっこいい!と痺れていました)。

 

前述したとおり、私はあまり特定の人物のすべてが好き、ということにならず、このアーティストの方のこの曲が好き、この作家のこの作品が好きというタイプなのですが、今回のアルバムはどの曲も素晴らしく、アルバム全部がこれほど好きというのはかなり稀なパターンで驚いております。

 

特に衝撃を受けたのが、『カナリヤ』。

ドラマ『過保護のカホコ』風に「いい!すんばらしい!」と涙目になりました。

 

しかもこれがまた「みんなのうた」で聴いたはずだと思いました。

なんでいちいち、みんなのうた??と思いますが、とにかく映像がパーッと浮かんでしまう。『砂の惑星』はともかく、最近米津さんは『みんなのうた』で何か歌っていたはずと検索しましたが、みんなのうたで歌っていたのは『パプリカ』。そして嵐が『カイト』を歌っていますが、『カナリヤ』はない。

 

落ち着いて考えてみれば、当り前です。初めて聴いたんですよ。間違いないです。アルバムが初出なんですから。なのに、またあの「みんなのうたで聴いたデジャヴ」が起こってしまった。我ながら謎すぎです。

 

それからは『カナリヤ』エンドレスです。

 

最初に聴いたときに「ああこれは、コロナ後の世界を歌っている」と感じました。少なくとも、何か大きな厄災に見舞われた世界の物語だ、と。

 

コロナウイルス感染症が、どうやら世界を脅かす未知のウイルスであると知ったときに、私は「世界は変わってしまうな」と思いました。「もう二度ともとに戻ることはない」と。誰かが「早く元の生活を取り戻したい」と言うたびに「それはもう、ないんじゃないかな」と思っていました。まったく同じことを、米津さんがYouTubeでと語っていらしたことに驚きつつ、テレパシー送りましたか!と突っ込みたくなりました。

 

ただその時に、私は呆然として怯えるばかりでしたが、米津さんは音楽家として、その存在意義に悩みながら、だからこそ人々に発信する責任があると感じたという趣旨のことをおっしゃっていました。

 

肯定しなければ。

 

と、思ったそうです。

この世に変わらないものなど何もなくて、すべては変わって行くものだ。だからどんなに世界が変わってしまっても、相手が、自分がどんなに変わってしまっても、今その時を生きていていい、ということを肯定しなければならない、と。

 

すごい。

 

もともと、読書記録にと思って始めたブログです。

まさかしょっぱなに米津さんについて語ってしまうとは自分でも意外です。

 

しかしよくよく考えると、米津さんの曲は非常に文学的です。もはや文学と言っていい気がします。タイトルからして、ストレイシープは夏目漱石、レモンは梶井基次郎、カンパネルラは宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出てきた少年を想起させます。歌詞の言葉には力があり、擬音擬態語には中世のオノマトペを感じます。そして前世の記憶だろうかと思うほどの懐かしさを感じさせてくれるメロディアスな音階。ボカロの頃も素敵な曲がいっぱいでしたが、ご自身の声で歌われるようになってからは、よりポップになり、かつ、深くなっている気がします。音楽に特に詳しいわけでもない素人ですが、伝わるものが半端ないです。

 

かつて似た曲を聴いた、とかではなく、本当に「あれ、これ私知ってる…」というデジャヴを刺激する音楽。「なんで私の思ってたことわかるの」と思わせる。およそ何万人、何十万人、あるいは何千万人の人が、曲のどこか、歌詞のどこかで、そんなふうに思うことが一度や二度、三度、あるのではないかと思います。米津さんを好きなファンの皆さんにはそれぞれ自分の中に「マイ米津」が存在するのかな、と思うのです。

 

米津さん自身、人間は完全な球体として産まれ、傷がつくのか研磨されるのかわからないが、それぞれの形を作っていく、とおっしゃっていました。お友達でもある俳優の菅田将暉さんは彼を「ミラーボールのよう」と称したということですが、米津さん自身はご自身を「宝石」だと思っていて、そうやって研磨された宝石はたくさんの面があり、見る方向からそれぞれの「自分」が生まれていく、と。磨かれた面は周囲や時代を映し、見る人を映し、多面的な輝きと言う点では、まさにミラーボールであり、宝石でもある。それはまさにブリリアント、と表現される輝きなのかもしれません。

 

彼がご自身を「ミュージシャン」や「アーティスト」ではなく「音楽家」と表現されているのもとても好きです。その幅広い活動内容からは「芸術家」と言っていいと思うのですが、やはり「音楽家」に矜持をもっていらっしゃるのを感じます。痺れます。私よりずっとずっと年下の、息子のような年齢の方ですが、尊敬してしまいます。

 

最近急激に露出を増やしている米津さん。

YouTubeでお話を聴いてからの勝手な想像ですが、おそらくは何らかの「使命感」が、彼にはあるのではないかと思います。今のこの時代に、不要不急といって音楽や芸能の文化がいちばんに切り捨てられるような時代に、自分ができることを発信する、と決意されたことに、何かとてつもない情熱を感じます。

 

私はなんだかずっと「感電」しっぱなしです。