みらっちの読書ブログ

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『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 ストーンオーシャン』【お題:ページをめくる手がとまらないぜ/一気読みした漫画】

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今週のお題「一気読みした漫画」

 

直近で寝る時間も惜しんで、というのであれば、これです。

『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 ストーンオーシャン/荒木飛呂彦』

 

4月に待望のアニメ化が決定し、ちょうどアニメで第五部まで観ていたので、思い切って大人買いしてしまいました。

 

文庫版セットは、箱に入っているんですよね。

本当に、素敵な箱なんです。

箱ごと飾っておけるんですが、どの面にも絵が入っていて、ひっくり返したり横にしたり色々楽しんでいます。

 

ジョジョシリーズで唯一、女性が主人公の第六部です。

 

ジョジョの奇妙な冒険 第6部 3 | ジャンプBOOKストア!|無料マンガ多数!集英社公式電子書店

 (ジャンプBOOKストア!から画像お借りしました)

 

2000年~2003年までの連載です。作者の荒木さんが「時代的にもうそろそろ女性がタフに活躍する話を書いてもいいかな」と思ったそうで、編集の方とすったもんだありながらも女性が主人公に決まった、とどこかのインタビューで言っていました。それまでは時代的に少年誌で女性の主人公、というのもなかったし、やはり女性が戦いの中で腕が飛んだりするような設定に抵抗があったそうです。

 

※総シリーズ100巻超えの『ジョジョの奇妙な冒険』。独特な世界について語ると長くなってしまうので、色々割愛します。ご存じの方しかわからないことも多々出てくると思いますが、すみません。ちなみに、こちらでも少し書いてます。よかったら。

miracchi.hatenablog.com 

 

荒木さんのポリシーは「人間賛歌」と言われます。たとえ「悪」でも「悪」として肯定するのだそうです。その人のそのままの在り方を肯定する、それが大前提だそうです。

 

今回の第六部は、「始祖」になる第一部の主人公ジョナサンからスタートして、その孫のジョセフ(第二部)、その孫の最強のスタンド使いと言われる空条承太郎(80日間世界一周をヒントにしたという第三部)、の、娘、空条徐倫(ジョリーン)の話です。ジョナサンからカウントすると、六代目ですね。彼女はボーイフレンドを信じたために犯罪の濡れ衣を着せられ刑務所に収容され、囚人となります(これにはラスボスの企みが絡んでいます)。この物語は、ほとんどがその刑務所を舞台にしています。

 

閉鎖空間を舞台にした闘う女性が主人公の物語、といえば、まず思い浮かぶのがこれです。

【スケバン刑事/和田慎二】

www.kadokawa.co.jp

(10巻いい表紙だったので)

 

素行の悪い不良少女だった麻宮サキ。母親は実父殺しの罪で服役中。死刑囚である母親をすくために、暗闇刑事の命を受けて学生刑事になり、学園内で起こる犯罪にヨーヨーで立ち向かう話です。ドラマシリーズでは斉藤由貴や南野陽子、浅香唯が麻宮サキを演じています。ドラマ内での「名乗り」が有名でしたね。「スケバンまで張ったこの麻宮サキが、何の因果か落ちぶれて、今じゃマッポの手先」ってやつですね。

 

長い間「麻宮サキは刑務所内にいた」というイメージを持っていたのですが、どうなんでしょう。振り返ってみると、私はおそらく全巻読んだことがなかったと思います。昔はよそでつまみ食い的に漫画を読むのが常だったので、巻飛ばしとか最初だけとか最後のみとか、そんな読み方をしていた気がします。

 

さて、徐倫のストーンオーシャン。

 

作中の時代設定は2011年~2012年で、連載時点では近未来の設定だったとか。特殊な閉鎖空間のなかで、スタンド(エネルギーが実体化したもの)との死闘が繰り広げられるのですが、読後になによりも心に残るのは、徐倫の「黄金の精神」。作者の荒木さんによると、この物語を描いた後はちょっと燃え尽き症候群みたいな感覚になって、スタンドを描き切った気がした、とのこと。それが素直にわかる気がしました。

 

初代のご先祖となる、ジョナサン・ジョースターと、その父が持っていた人間としての誇りや愛、つまり「黄金の精神」は、それまでのシリーズの歴代主人公のジョジョ達の誰よりも、徐倫の中にあったように思います。

 

恨んでいたはずの父親(承太郎)も、知り合った誰をも見捨てない。全力で命がけで助けようとします。敵として出会った人も気がつけば徐倫の味方になっています。刑務所を出て行くことができるのに、父親のために踏みとどまり、死闘に身を投じる徐倫。殺人鬼のアナスイでさえ、徐倫にひと目ぼれして以降、ほぼ骨抜きです。

 

徐倫はまだ若く、言動も荒っぽくて、人としてまだ未熟な部分がたくさんあるのですが、何に対しても純粋で無垢な心で接します。人から向けられた優しさや温かさを忘れず、人に対して心から思いやることのできる、愛の化身みたいな女性です。そのうえ強靭な精神力とタフさを備えています。

 

初代ジョジョ、ジョナサンもそういう人でした。最初はひ弱なお坊ちゃんだったのですが、父親も自分も殺して家を乗っ取ろうとしていたディオに出会い、克己して自分を鍛えます。最初は敵として登場したスピードワゴンも、生涯をジョナサンに捧げるほど。それは「尊敬」「敬愛」の愛。崇高な無償の愛を捧げたくなるような人です。

 

第六部は、連載が打ち切りになったともいわれ、連載当時様々な憶測も呼んだようです。ラスボスが「神父」という設定のせいだとか、スタンドの能力が複雑でわかりにくく、また刑務所という閉鎖空間から舞台が動かないので、つまらなくなってファンが離れた、とか。でも、一気読みした私には、「こういう終わりか、それも悪くない。やれやれだぜ」と承太郎風に思ってしまうような終わり方で、どこか切なく妙に爽やかな終わり方でした。

 

確かにアニメと違い、漫画だと絵柄的に(あと老眼もあって)コマを追うのが難しいところもあったのですが、まさにページをめくる手が止まらず、充分に楽しめました。

 

印象的だった場面は、登場人物のひとりであるFF(フー・ファイターズ)が消えてしまうところ。FF(フー・ファイターズ)は本体が人間ではなくプランクトンのスタンドです。人間の死体に憑依するような形で(スタンドで肉体を動かしているらしい)生きていましたが、物語の終盤、ラスボス・プッチ神父との闘いのさなか、スタンド能力を奪われてしまったFF。同じくプッチ神父に倒され死にそうになりながら徐倫のために自分の命を使えと言う仲間のアナスイを逆に救って消えていきます。

 

フー・ファイターズはプランクトンでありながら「知性」を持っており、そのことを誇りにしています。でもプッチ神父やアナスイなど、FFの正体を知るたいていの人間は、FFを「ただのプランクトンのくせに」と蔑み、知性を持った存在として扱いませんでした。でも徐倫だけはFFを認め、大事な友達として接します。

 

「あたしの一番怖いことは、友達に「さよなら」を言うことすら考えられなくなることだった。でも最後の最後にそれを考えることができた」

 

「あたしを見て、徐倫。これがあたしの魂。これがあたしの知性。あたしは生きていた」

 

そう言うFFに対し、スタンドを取り戻せば蘇るという徐倫。しかしFFはなおも言います。

 

「それはきっと別のフー・ファイターズ。あたしじゃあないと思う。これがあたしなの。さよならを言うあたしなのよ。最後にさよならが言えてよかった、徐倫。これでいい、徐倫。これで、いいのよ」

 

 さよならを言うあたし。

 

生きるということは、究極にはそういうことなんじゃないかと思います。ひとりでは生きられない。誰かがいて、その誰かと一緒に過ごした記憶があって、その記憶を持っているのが「自分」なんだと認識していること、それが「知性」であり、それは「人間として生きる」ということそのものなのかもしれません。

 

人間はみんないつかは死にますが、私もやはり最後は「さよならを言うあたし」のままでいたい、と願います。認知に障害が出て人の名前や顔を忘れてしまっても、最後に言葉を発することができなくても、「さよならを言うあたし」は、たとえいないように見えても「残っている」と信じたくもあります。

 

承太郎と徐倫の父娘の関係など、他にも色々書きたいことはあるのですが、それこそ止まらなくなるのでこの辺で。