はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
はてなブログ10周年、改めておめでとうございます。
特設サイトを見て、10年続けていらっしゃった方はやはりすごいなぁ、面白い記事を書ける方はすごいなぁ、と思うことしきりです。
記念すべき年にブログをしていて光栄に思います。
ところで先日のガンダムのレコアさんの記事が、今までにないアクセス数を記録して、びっくりしています。
2日で1000人。
えっ、なに?何が起こったの??
生まれて初めての出来事に、小心者の私は心臓がバクバクしてしまいました。
えっと、これは、いちおう曲がりなりにも私のブログのところをポチっと押したかたが1000人いるということ、なのかな??
わーーーーーどうしよう。
意味もなく「そんなんじゃないんです、ごめんなさい、いやほんと、なんかわかんないですけどごめんなさい。そんな、えらそうに考察したとかじゃないんです。ほんとごめんなさい」。と言いたくなってしまいましたが、でもやっぱり、こんな長い記事なのに、読んでもらったことが嬉しくて有難くて、涙が出ました。
読んでくださった方、ブックマークしてくださった方、コメントくださった方、本当にありがとうございます。
そしてさらに!
私の拙ブログを紹介してくださったリーマンマスクさん。
他の方からどんなブログなのかを客観的に教えていただく機会がないので、本当に嬉しかったです!それにくすぐったいほど褒めていただき、感激です。ありがとうございます。
この場を借りてお礼申し上げます。
さて、本題に入ります。
10年で変わったこと
体型。
当たり前なんですが、もう、びっくりしますよね。人間の細胞はだいたい7年で総入れ替えされるそうですが、それにしたって別人レベルです。
20代のころでしょうか、母親世代の親戚や母の友人などなどから、
はぁ~、私も若い頃は、みらっちちゃんみたいに痩せてたのよぅ
と言われました。
いえ、別に、私は特別にナイスなバディでもなんでもありません。ふくよかかふくよかでないかといえばふくよかな方ではなかったけれど、自分ではたっぷりとコンプレックスを抱えていました。
しかし、あの時のみなさんと同じ年齢になった今ならわかります。
そう言いたくなる気持ちが。
何かに乗っ取られたとしか思えないほどの、激変。
そう。それは痩身だけの問題ではないのです。あのときの親戚や母の友人は「痩せ」と表現していらっしゃいましたが、「若い」「フレッシュ」なんでもいいんです。もう、表現のしようがない。事細かに述べるだけの気力がないほどの変化です。
人はある日、若さを眩しく眺めるようになります。
30代の頃は、若くはなくなっていくけれどしょうがないなと言う気がしました。まあべつに美人でもスタイルいいわけでもないんだから、多少崩れたって、モトがモト。たかが知れている。と、思ってました。
40代、老いはじめるとはこんなものかしら。と思いました。身体の調子が悪いし、不具合というかガタが来た、といか、そういう感覚です。外側のことより内側のことが心配になりました。鏡に映る身体の変化にため息はつきましたが、かといってもう取り返しがつかない不可逆性を強く意識することはありませんでした。なんか運動すればもどるんじゃないかな、この服痩せたら着れるんじゃないかな、という「可能性」みたいなものはまだ、そこはかとなくありました。
そして50代。
ああ、もうこの身体、50年も使ってきたんだなぁ。皮膚も髪も臓器も、これだけ年中無休で操業中なんだから、そりゃあ、衰えるわなぁ。
しかしホルモンのバランス次第で、こうも変わってしまうものなのか。男性はどうなんでしょうか。お腹が出たり、髪の毛が、ということがあるし、男性もまた厳しい加齢と向き合わざるをえないのでしょうね。
シルエットというかラインが、何か違う生き物っぽい。
着ぐるみ?的な?
誰これ?的な?
別人と言うよりは、別の生物。
いやぁ、外見だけを見るならば、「慈悲」とか「博愛」を学ばないと自分の身体のことでさえ、愛し続けるのが大変です。アガペーが必要です。
これから先は、ちがうステージで生きるんだなぁ、と思い知らされます。もう美醜がどうこうなんかより、これまで元気に生きてきたことに感謝し、健康のほうにシフトして、メンテナンスをしていかなければなりません。人間の身体は重力には逆らえないし、加齢は人間である以上避けられない変化なのです。
もちろん、いくつになっても若々しさを保ち続ける方も、いらっしゃいます。それはこの、宇宙から来た物体Xみたいな時間と重力と脂肪と、常に闘い続けているということなのです。凄まじい偉業です。
魔法は無い。
シンデレラが一夜だけ素敵な服を着れば何とかなったのは若さ故、そして彼女はあの夜、是が非でもなんとかせねばならなかった切迫があった。若さゆえ。
年齢を重ねたヒトとしての戦略があるとするなら、白雪姫に毒リンゴを食べさせることじゃなく、白雪姫をバックアップして生産性のある社会を作ることくらいでしょうか。
まあでも、生き物として自然なんだからしょうがない。そう言う意味では、犬とか猫とか、おじいちゃんおばあちゃんでも可愛いなぁ。なんか無心に自然に頑張って生きてる感がある。あれいいなぁ。
生き方にしても思考にしても激変した10年だったと思います。
0歳児が10歳になる時間。話もできず動き回れない存在から、サッカーでジュニアリーグで優勝したりいっちょ前に本を読んで生意気な口をきいたりするようになる時間です。それはもう変化して当たり前なんですが、10代後半から43歳くらいまでは(なぜか具体的数字)、仕事も生活も変わったけれど、人生の砂時計の砂はまだたくさん入ってる気がしてました。
砂時計って、たくさん入っている時はそんなに減らない感じがしますが、砂のラインが下がれば下がるほど、出口が狭まっているぶん早く落ちてる気がします。
かといって、落ち切るのには意外と時間がかかって、最後の最後は、すごい狭いとこに詰まってる気がして、子供の頃、ぶんぶん振ったりしたことがあります。
いやこれ、時間測るものだから……
人生は、砂時計のひっくり返さないヤツなんですね。この年になるとようやくわかってきます。それまでそんなことを考えたこともなかったけれど、時間の不可逆性を意識するようになる、というのでしょうか。でも文字盤などがないから「どのくらい?」というのはわかりません。目分量。目分量だけど、あきらかに、落ちた砂の方が多い感じ。
未来のことは誰にも分らないけど、たぶんまだ最初の半分くらいは砂が入ってるはず。だいぶん、目減りした砂時計を睨みつつ、この先は、時間を大切に生きていきたいと思います。
SDGsに「時間を大切にしよう」も加えてもらいたいと思います。ちょうど18のとこ、空いてる感じだし。笑
そういうことを踏まえて本当に、はてな10年は、素晴らしいことだと思います。
できれば私もブログを10年、続けたい。
はてなさんの、今後のさらなる繁栄と発展をお祈りしております。
10年で変わらなかったこと
変わらなかったこと。
ありません。
万物は流転するのです。
諸行無常。
日々刻々と変化し続けるのが人というものです。
「昨日はどこに?」「そんな昔のことは覚えていない」「今夜逢える?」「そんな先のことはわからない」(byハンフリー・ボガード)と言う感じです。
いえね、何年か前までは、つい3分前のこともクヨクヨ気に病んでる時期がありました。自分のすべてを変えたくて、もがいていた時代もありました。
でも、久しぶりに話したり、会ったりする友人は言います。
みらっち変わらないねぇ。みらっちらしいよ。と。
最近になって、そういう「核」は定点になるんだなと知りました。定点が定まらないと、ブレます。若い時は、その「定点」が定まるのが嫌だったりしますし「ほんとの自分」などを探して旅に出たりしますが、コアはコアです。
変わらないコアは意外と、自分があまり見たくないものだったりします。なんとか変えたいとあがき続けるものでもあります。
そう言う意味では、この10年で「みらっち、変らないねぇ」を素直に受け止められるようになった気がします。
「変わらないものがあると知った」ということでしょうか。
自分の「核」を知るにあたって、なにより、ブログを始めたのは大きかったです。
書くというアウトプットは、自分の中を掘るということです。
自分に掘れるほどの堆積層があったというのも驚きだったし、掘り出したものを眺めて再発見するのもまた驚きでした。
「驚き」「発見」って人生には大事なんだなと、思っています。
いろいろな意味で、はてなブログに感謝です。
ありがとうございます。