はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
こんにちは。
もうすぐ、愛犬の命日です。
外国で死んでしまいました。
避けられなかったあの日を思うと、今でもとても辛いです。
「記憶に残っているあの日」。
入院することになって「じゃあいくね」と言って離れてから振り返ったとき、立ち上がる力なんてなかったのに、すっくと立ちあがってじっとこちらを見ていました。
お別れするみたいに。
帰国して動物霊園に納骨したのですが、それが水木先生にゆかりのあるお寺です。
お寺に収めてから、しばらくして図書館でこの「人生をいじくり回してはいけない」を借りました。それまでも、たまに水木先生のご著書に触れることはありましたが、その時はお寺で水木先生のお店に立ち寄ったので、なんとなくご縁を感じて手に取りました。
水木しげるさん、といえば、妖怪。妖怪、といえば、水木しげるさん。www.chikumashobo.co.jp
NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』もありましたね。あれもだいぶ前ですね。
没後のアニメ化などで『ゲゲゲの鬼太郎』はいまも根強いファンに支えられています。また、昨年来は、疫病退散のためご利益があるという、『アマビエ』が話題です。水木先生の『アマビエ』はつい見入ってしまいます(点描画です。すごい)。
さて、タイトルのこの本はエッセイ集で、2010年刊。ちくま文庫のほうは2015年、亡くなる年の刊行です。色々なところから寄せ集めている内容なので、重複も多いですが、水木しげるさんの生涯や考え方がわかる本でもあります。
この本を読んで何よりすごいと思ったのは、水木しげる先生の「個」が、幼い頃から亡くなるまで、本当に変わらなかったことです。この本を読むだけでも、たくさんの転機があります。小学校時代、ラバウルの激戦地での負傷で左手を失う、マラリアで生死の境をさまよう、漫画で食べて行けるようになるまでの極貧生活、売れてからのあれやこれや。でも、とにかく水木さんは水木さん。
奥さんの布枝さん、本当に大変だったんじゃないかなあ、なんて思います。でもたまに布枝さんのTwitterを見ると、愛があるのだなぁと感じます。
水木さんはそもそも、小学校の時から学校にまともに登校することができなかったらしいです。毎日10時ごろに学校に行く。先生は怒る。でも次の日も、次の日も、淡々と重役出勤。そのうち先生があきらめたそうです。それが軍隊に入っても続きます。上官は殴る。でも変わらない。そのうち、軍のほうがあきらめて、構わなくなったそうです。
人を怒らせて、ついに怒りを飛び越えて無視、構わなくなるまで放置って、なかなか並の人間にできることではないです。「何か確固とした意志が」というわけではなく「できないから、できない」。いやぁ、いたでしょう。昔も。いたでしょうけれども、軍隊に入っても、どんなに殴られても、それを変えない、変えられないってすごい。彼の先生とか上官にはなりたくないと思ってしまいました。子供が水木先生だったとしたら本当にどうしましょうか。今ただでさえ、息子が朝起きないことに毎日腹を立てている身としては「水木先生が他人だからこうして笑っていられるんだな」と思わずにはいられません。
しかし、この「ひとりだけ違うことをしていた」ことが、命を救います。ラバウルで進軍中、野営地で爆撃にあったとき、ひとり抜け出してオウムに見惚れていて部隊に戻るのが遅くなったために、難をのがれたそうです。部隊は先生以外、全滅。
パプアニューギニアでは、現地の人々と親しくなり、彼らの死生観に共感し、彼らから敬意を払われていたようです。幼い頃に祖母から妖怪の話を聞いて、もともと「あの世」というものを親しく感じていたようですが、その時の「あの世」観がその後の人生にずいぶん影響したようです。
仲間が次々に飢えとマラリアで死んでいく中、ついに爆撃を受け、左手を負傷、片手だけで崖に捕まる、というものすごい体験をした後、自分もマラリアにかかり生死の境をさまよい、左手は切断せざるを得なくなります。画家を志していた人が手を失う、ということの運命の残酷さを感じますが、水木先生は「戦争も終わったし、右手があるから絵が描ける」といって漫画を描くのです。
すごいです、先生。とにかく一貫して「水木節」。他の誰がどうであろうが関係ない。わが道を行く、というのは水木先生のためにある言葉だなと思いました。
とにかく先生は言うのです。「人生、いろんなことが起こって当たり前だから、じたばたしないほうがいい。ほうっておけばそのうちそっちの方で勝手になんとかなる、人生を下手にいじくりまわしたところで、何の解決にもならない」。
普通、人は、じたばたするんですよ、先生。
ほうっておけば、って、なかなかほうっておけないんですよ。
周りでほうっておいてもくれないし。
でも先生はほうっておく。本当に、ほうっておくったらほうっておく。
これはどういうことだろう、と思います。
確かになんとかなります。結局は。誰かがしてくれる。
それでいいのか?それでいいのだ。天才バカボン。
誰かがしてくれることができることは、誰かがすればいいのだ。
そうなのか??
もちろん、だからといって漫画を人任せにしたりはできないわけで、自分のやるべきことはやるわけです。風呂敷はたたむわけです。でもきっと、釈然としないひとはいたんだろうなぁ、なんて思います。その倍くらい、先生の魅力に魅了された人もいたんだろうな、とも。
しょせん、人間の力なんてたかが知れている。
どうしようもないことはある。
それは確かに、そうだと思います。
しかしそれをすべて「お任せします」にできないのが、凡夫たる我々なんだなと思います。
「あの世」の世界を漫画を通して教えてくれた水木先生。
ペットの「あの世」についてもいろいろな話があります。
「虹の橋」のところにいて、自分が死んだときはそこで会えるという話。
何度も生まれ変わりを繰り返しているという話。
ペットロスで辛い思いをされている方は多いと思います。そんなとき、やはり、こういう話に心が慰められるのは事実です。
人間の思うままにはならないことが、この世にはある、と教えてくれた、我が家の愛犬と、水木先生。
しょせん、人間の力なんてたかが知れている。
どうしようもないことはある。
「人生をいじくり回して」、あまりにもゴチャゴチャと考えて、考えすぎて、心を曇らせてしまうよりも、物事をシンプルにとらえ、雨が降れば雨、晴れれば晴れで、その時最善と思うことをする。そういうことも、大事なのかもしれません。