みらっちの読書ブログ

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人間は誰でも不安や恐怖を克服して 安心を得るために生きる【陰謀論の正体!/田中聡】

こんにちは。

 

ときどき本を何冊か同時に読むのですが(空いた時間に、気まぐれに読んだところからまた読む、という、集中型ではない読み方)、今は三冊くらい同時読みで、とりあえずこの本を読み終わったので書いておきます。

 

www.kinokuniya.co.jp

これまでの個人的な経験上、タイトルに「!」がつく本は、微妙、というMY法則があるのですが、先入観に反し、この本は面白かったです。「陰謀論」を中立の立場から論じている本、というのはあまりなくて、たいていは「攻撃」になってしまうものが多い中、著者の田中さんは「陰謀論」がどうやって歴史の中に現れてきたのか、日本でどういう立ち位置で扱われてきたのか、これからの陰謀論とのつきあい方、ということを丁寧に論じています。

 

このところ「陰謀論」という言葉を、あちこちで見聞きするようになりました。ちょっと前までは、「オカルト」「トンデモ」的な文脈で語られていたのに、ネットや映像媒体で、こんなに大っぴらに語られるようになったことに驚いています。どうやら昨今問題になっているのは、このコロナ禍で、これまで陰謀論とは無縁だった人々が、ずいぶんと取り込まれてしまって、洗脳されたみたいになっていることだとか。

 

 この本を読んで「なるほど。もはや全人類、無縁ではいられないことだな」と思っています。「そんなのに引っ掛かるなんてねぇ」などと宗教やら詐欺まがいのことだとか他人事だと思っていましたが、感染症が流行するときには「陰謀論」が必ず出現するというセオリー以外でも、インターネットの発達した時代に生きる今の私たちは誰一人として、陰謀論から逃れた世界にはいない、ということは確かなようです。

 

著者の田中さんは決して否定派でも、擁護派でもありません。陰謀論の辞書的な定義は「社会の出来事の背景に何らかの策謀があったのではないかと解釈する考え方」だとし「この本は内容を検証するものではない」としています。そして「陰謀論を単純に否定したり肯定したりすることは陰謀論につきまとっている多層的な情報ゲームの罠にはまりかねない。笑いものにするのがいちばん危うい」と述べています。重要なのは「多層的な情報ゲームの罠」というところで、現在それが、とても面倒くさいことになっていて、その面倒くささから、我々はもはや逃れることができないようです。

 

この本でも様々な陰謀論が紹介されています。世界大戦やらアメリカの政治経済なんかでの情報戦から始まって、近いところでは米国大統領選やら大地震、食品や薬品、電波やワクチンなど人体や健康にかかわるものなど。とにかくゴロゴロ、陰謀論が転がっています。それらをいちいち「事実か、そうでないか」「嘘かまことか」と言い合うことは「不毛」と言っています。肯定する人も、否定する人もすでに巻き込まれていて、どっちもどっち、だからだそうです。

 

田中さんが問題視するのは「情報戦に用いられてきた武器」として使われてきた側面です。1960年代以前は「謀略史観」というものがまだ成り立っていなかった、と言います。「陰謀論」というものが出てきたのはアメリカで、それによってFBIやらCIAが成長してきました。

 

そもそも本当の「陰謀」なら「ただの真実の告発」であり、「陰謀」という時点で「明確な根拠のない、ファンタジー」という定義が成り立ちます。確かに「宇宙人とのコンタクトを隠している」「月着陸は嘘」とか、「陰謀論」には根拠が定かではないものが多い印象。でも信じている人は、状況証拠だけで論じているから「根拠は問題ではない」そうで、「根拠がないのは根拠が隠蔽されているから」となってかなり堂々巡り。確かに論争は不毛そうです。

 

しかし田中さんは、AがBに向かって「あなたの論は陰謀論だ」とレッテルを張ることで、「くだらない」「論外」とすることも「有害」なのだとも言っています。

 

たとえばAが議論や説明ではかえって疑惑をもたれそうなことを曖昧にしたいとき、BがAに向かってたとえ正論を突きつけた場合でも、「それは陰謀論であり議論するまでもない愚論だ」とBを笑いものにするのが最も効果的。「陰謀論」というレッテルを張って問題を無効化してしまうというテクニック、それが「陰謀論の陰謀」です。そういった「疑惑」→「陰謀論」→「陰謀論の陰謀」→「粉飾」→「疑惑」のやり取りが「謀略史観」に成長していきました。

 

陰謀論」のもつ「情報戦略」としての意味合いをきちんと把握しておかないと「是か否か」というような次元に取り込まれてしまうということです。メディアはそんなやり取りすらも喜んで「スペクタクル(見世物)」として利用しています。

 

私たちは、自分が参照しようとする陰謀論がどのように構築されたものか、悪とされているものの背景にどのような政治があるのか、差別があるのならいかなる政治性の上に成り立つ差別なのか見抜かなければなりません。結果が罠かもしれない。そしてその否定という「良識」もまた政治的な力学の上にある。

 

 「陰謀論の時代」に突入してしまった限りは、陰謀論とともに生きていくしかないのです。少なくとも「ないことの証明」ができないうちは、陰謀論そのものを完全否定はできないし、否定し攻撃するということは半ばその論を認めていることでもあることになります。オオカミ少年が「狼だ!」というのが真実だったときは「殺されてる」ときなのだから、それならば、陰謀論を攻撃するだけではなく、とりあえず「ジャンク(がらくた・なんでも)」な箱に入れておき、もしかしたらその中にわずかでも「真実」があるかもしれないという視点を持っておくこと、そういう目で陰謀論を眺めることは重要なのではないかと、著者は言っています。

 

孫氏の兵法に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」とありますが、敵を知ることは重要なことです。「陰謀論なんてアホかマヌケがハマることだ」と上から目線で調子に乗っていると、足元をすくわれます。情報リテラシーを磨くただひとつの方法は「相手を知ること」。でも、時代の壁や自分のバイアス、フェイクに踊らされずに本当に正しく「相手を知る」ことができるかどうかは、とても難しいことです。

 

インターネットがもたらしたグローバル化によって、グローバルな出来事のあおりを、個人が何のクッションもなくじかに喰らう時代になってしまったことで、日々の生活はリスクを意識せざるを得なくなり不確定な不安にさらされるようになった

 

以前『テクノロジーは貧困を救わない』のときに書いた「テクノロジー神話」が、この本にも出てきました。その「科学技術の発展によって幸せな生活が送れる」という神話を信じている人はいまだに多く、しかし現実はそれに報いない。それが嵩じると「犯人を特定し罰したいという欲望・裏切られたことに対する補償を求める欲望」が生まれます。

 

 

陰謀論とは、世界の全体性を回復しようとするイデオロギーなのだ、と田中さんは言います。「何かが陰であやつっている」「黒幕はあいつら」というのはシステムに意志が介在していることを肯定したいということに他ならず、そんな「あいつら」がいることはバラバラになった世界が「悪いそいつら」によってひとつ(全体に対し共通の敵がいる)だという幻想が保たれるということなのかもしれません。

 

ところで、以前、『ジョジョの奇妙な冒険』の話をしましたが、この本を読んだのは『ジョジョ』を知った直後で、タイムリーだったなと思っています。

 

ジョジョ』で「悪」の権化である「ディオ・ブランドー」。彼は不老不死の吸血鬼となって人の命を喰らいながら生きています。第三部で、「人間はなんのために生きるのか」と問いかけた後、彼は言います。

 

「人間は誰でも不安や恐怖を克服して
安心を得るために生きる」
名声を手に入れたり
人を支配したり
金もうけをするのも安心するためだ
結婚したり 友人をつくったり
するのも安心するためだ
人のために役立つだとか
愛と平和のためにだとか
すべて自分を安心させるためだ
安心をもとめる事こそ人間の目的だ

 

そしてディオは言います。「自分の仲間になれば安心させてやる」と。うーん。実にわかりやすい典型的な「悪のあいつ」ですねぇ。それにしてもディオのこのセリフは実に人間の心理の核心をついているように思えます。そして陰謀論の核心をもついているように思えます。誰かの言う通りにしたり、何かのせいにしたら、荷物は全部その答えや何かや誰かに預けて、楽になれそうな気になりますもん。安心できるような気がしますもん。

 

でも、そうはいかないんですよね。

 

陰謀論が勢いをつけている背景に、不公平な得をしている誰かを叩きたいという復讐(=正義)の欲望が隠れていることは否定できない、でも実際は誰かを責めながら自らの不安を高めている

 

感染症が流行して心が弱くなりがちな時に「陰謀論」が流行る、というのは、それはつまり人々が強く「安心したい」と思っていることの裏返しなのかもしれません。

 

まったく、ずいぶんややこしく、面倒くさい世の中になってしまったものです。とりあえずなんとか客観性を保ち、謀略に取り込まれてしまうのは避けたいところ。しかしどこにどんな罠が転がっているかわかりません。まずは、バイアスや偏向を減らすためにも、毎日同じ番組、同じ動画、同じサイトを見続けたり、自分と考えの似通った人たちと似たような話題ばかり話したりするのは、慎重になるべきかもしれません。視野を広く持ってディオの甘言に惑わされないようにしたいものです。くわばらくわばら。