みらっちの読書ブログ

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オードリーと言えばヘップバーンの時代は終わった【Auオードリー・タン 天才IT相7つの顔/アイリス・チュウ/ 鄭仲嵐 (共著)】

こんにちは。

 

たまたま「テクノロジーと教育」に関する本の感想が溜まってきたので、シリーズ化して書き残しておこうと思います。今回は第1回。

 

先日実家との電話で「新聞に台湾のオードリー・タンという人が載っていて、ご両親が『窓際のトットちゃん』を読んでいたって記事が書いてあった」という話が出て、台湾の人で天才で、ということはテレビで聴いたことがあるけれども、どんな人なのか良く知らない、と。

 

そう言えばネットの記事では断片的なニュースや記事を読んではいたけれども、実際ちゃんと彼女についての本を読んだことがないなぁと思いいたりました。しかも昨年は、関連する結構な数の伝記やエッセイが出ていたもののスルーしていたので、改めて何か読んでみようと思いました。

 

さて、では何を読もうか、と思って検索したところ、どうやら、昨年後半から今年にかけて続々と書籍が出版されている様子。

 

 何しろ昨今は電子書籍。パラパラめくってみて、ができないし、今回は短期間にババッと出版された本ばかり。そもそも、本人著、となっているものも、ひとりの訳者ではなく編集が入っているインタビューのまとめのようで、本人が「著」したと言えるものはないようです。

 

そんなわけで、まずは一番最初に出版された台湾のジャーナリストさん達が書いた本を先に読むことにしました。こちらは客観的なオードリー・タンさんの「評伝」です。実際のところ、この評伝を最初に選んでよかったです。というのは、この本の中では、台湾の国の在り方や現在といったものも丁寧に説明してあったからです。丁寧に、とはいえ、そもそも台湾の政治経済というものを知らない私たちにとって、決してわかりやすくはないのですが、それでも彼女の半生と仕事を語るに外せない部分であり、理解の助けになりました。

Au オードリー・タン 天才IT相7つの顔』アイリス・チュウ 鄭仲嵐 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

 

『Auオードリー・タン 天才IT相7つの顔』というタイトルは、若干詰め込みすぎの印象が否めません。「Au」というのはオードリーさんの愛称で、ご自身もハンドルネームとして使われているもののようです。それから「天才」。この天才っぷりは強烈です。小学校一年生で9元連立1次方程式を解く。本は寝る前に全ページをめくって寝ると、翌朝にはすべてが頭に入っている。IQ180や160になっていますが、一応、測定できる限界の高知能ということみたいです。

 

また「IT相」というのは、少し誤解が生まれそうです。台湾にはIT大臣というのは存在せずタン氏は「デジタル担当政務委員」という役職です。おそらく日本人にわかりやすくインパクトがあるのでIT相という言葉を使っているのだと思われます。「7つの顔」は、彼の半生をテーマに沿って多面的に見たエピソードが7つ、ということです。それから彼女との対談と、彼女が人生で最も影響を受けた20冊の本が挙げられ(エンデの『果てしない物語』が入っていてなんだか嬉しかったです。老子詩経など中国の古典がのほか、ヴィトゲンシュタイン柄谷行人ジョイスアシモフや、エンデやトルーキンなど。また辞書が非常にお気に入りだとか)、最後に台湾政府が新型コロナウイルスといかにして闘ったか、についてのルポがついています。

彼女の半生。1981年生まれ。今年40歳。男性として生を受け、幼少期からたぐいまれな才能を発揮、小学校の勉強が既知のことばかりで困惑し、優秀児ばかりを集めた学校に行くもその学校で苛烈ないじめにあい心が折れ、その後ドイツの小学校で自分を取り戻し、自らの意志で台湾の中学校に行き、卒業後は独学しながら米国で会社などを立ち上げ、順風満帆ではなかったけれども様々な会社で力を発揮するなかで、自らの性が女性であることを公表し、その後政府の大臣に認められ、政府の仕事をすることになり、大臣になり、今に至る。非常にざっくりですが。

 

その半生は、有史以来の「偉人伝」に匹敵する波乱万丈なのですが、なによりも印象的だったのは「苛烈ないじめにあい、ドイツの小学校に行く」あたりでした。そこでタンさんの家族は「家族の危機」を迎えるのですが、その時の両親の対応がすごすぎる。

 

そもそもタン氏はうまれつき心臓に問題があって、幼少期は「あまり大声をたてないように」「感情を揺さぶらないように」気をつけて過ごしたそうです。ご両親はふたりとも新聞記者で第一線で活躍されていました。「あまりにも謎」であった長男を育てるのは未知の領域を行くがごとしで、試行錯誤しながら育てていましたが、それでも本当に幼い頃はなんとかなりました。しかしついに面倒を見てきた祖母がタン氏の質問に答えられなくなり、「父母のどちらかが仕事をやめよう」ということになります。

 

まず家族会議。このご家族は、何かあれば必ず家族で会議をします。感情に流れないようにご両親がコントロールして、非常に建設的な会議です。その時、なんとお父さんは「お母さんが仕事をして、自分が主夫をする」と言ったのです。「お母さんの方が記者として優秀だから」という理由です。すごい。お父さんはサルトルボーヴォワールの関係を尊敬しており「妻を尊敬している。彼女を人として尊重したい。仕事をやめさせたくない」と思っていました。しかし、子供たち(タンさんには弟がいる)の「お母さんといたい」という意見を尊重し、お母さんが仕事をやめて家にいることになります。

 

ところがそれからが大変でした。問題は優秀児の学校に転校してから。苛烈ないじめにあい、登校を拒否し、心身がボロボロになった息子を、どうするか。という危機に直面します。田舎に転校しますが、そこでもまともに登校ができず(今度は学習レベルに差がありすぎた)、次第に父子の間が緊迫していきます。タン氏が9歳になると、ついに互いにぶつかり合うようになり、お父さんは「ドイツに留学し、ある程度家族と距離を置く」とドイツに行ってしまいます。これもまたすごい。祖父母は離婚になるのではないかと心配したものの、そこまでには至らず、台北に残されたお母さんは困り果てますが、少しでもタン氏の学習の助けになればと大学の数学の先生を探し出したことが、タン氏の運命を大きく変えました。その後、大学の先生たちと交流を深め、HSC(ハイ・センシティブ・チャイルド)としてのありのままの自分を受け入れてもらえて、知識欲を満たされたタン氏は、ようやく落ち着いていきます。

 

その後、少しずつ家族に歩み寄り始めたお父さんのところへ行ってドイツの小学校に1年在籍したことが、タン氏のみならず、家族の運命を大きく変えます。日本の新聞やインターネットの記事ではご両親が『窓際のトットちゃん』に励まされた、新しい学校を作るきっかけになった、とありましたが、もちろん、確かに読まれて励まされていたのだと思いますが、実際のところは、タン氏は自らの経験から教育改革に関心を持ち、タン氏の理想とする教育のため、ご両親がドイツのシュタイナー教育の研究をした一環だったようです。日本語で出版するためか日本に好意的な記述の多いこの本ですが『窓際のトットちゃん』に関連する記述は出てきませんでした。

 

辛い学童期を過ごしたタン氏でしたが、それでも中学は台湾に戻ると自ら決めました。このころには得意な数学は言うに及ばず、小2から始めたプログラミングもハッカーレベル、小6で『易経』を読破する状態でした。中学を卒業した後は独学です。その決断も「様々な困難を乗り越えて学校を出てほしい」と願っていたお父さんにしてみれば、大変なことだったと思いますが、彼ら両親はタン氏を後押しし、タン氏の理想とする教育を手伝おうと新しい学校を立ち上げます。タン氏の存在が、まずは家族を変え、その後は周囲を変革していく様子が、もはやまるで映画のよう。

 

このご両親のもとだから彼女が生まれたのか、彼女が生まれたからご両親が変わって行ったのか、おそらく両方なのでしょうが、タン氏がいい環境に生まれたのは間違いありません。ただ、それに社会がまったくもってついていけなかった。それは悲劇でしたが、周囲までもを巻き込み変えていく力が、彼女にはありました。

 

タン氏は、「テクノロジーは人間が本来持っている価値をエンパワー(増幅)する」と述べています。そして自分の仕事は人々が潜在的に持っている意見をくみ上げ、それを国家の仕事につなげること、媒介するのが仕事だと言っています。決してテクノロジーの力だけで解決しよう、ということではなく、人と人とをつなげ、よりよい社会にするためのツールとして、どうテクノロジーを使って行けばいいかを考える仕事、ということです。そのために「真に民主的とはどういうものか」について独自の意見を持っていますが、それを現在の国家におしつけるようなことはしません。既存のものを破壊するのではなく、柔軟に変革していく、していくというか、その手助けをするという理念の持ち主。しかもそれが政府の要人を動かす力をもち、理念や理想だけにとどまらず、実行力も伴っているという、なんともすごい「知の巨人」。

 

今、続々と本が出版されているのを見る限り、彼女が本格的に世界に知れ渡るのはこれから、なのかもしれません。鳳蘭という女優さんがいますが、オードリー・タン氏が女性の名前を選んだ時の「鳳」の字は、日本語では「おおとり」でオードリーと音も似ている、と誰かに指摘されたとこの本にも書いてありました。そして中国語では「鳳」は女性的でもあり男性的でもある両性の意味を持った字だそうです。

 

 

巻末の新型コロナウイルスに対する封じ込めルポも面白かったです。もしかしたら「盛り」もあるとは思いますが、実際に水際対策に成功した背景には、「SARS」で痛い目を見た教訓を活かした緩急のキレのいい政府の対応がありました。タン氏はマスクマップの立ち上げに貢献しますが、実際にプログラムを作ったのは別の人で、タン氏はいちはやくその存在に気づき、プログラマーに協力し、最速で完成させ、政策に組み入れた功労者だったようです。それ自体なかなかできない稀有なことではあると思いますが、このルポルタージュでは、タン氏は政府の舵取りに協力して働いたいち大臣として描かれていました。

 

書きたいことはまだまだあるのですが、ご自身の才能(EQ)と能力(IQ)に自覚的であり、かつ謙虚なタン氏とともに働くことを決めた台湾政府の英断には瞠目しました。この本を読んで痛切に感じたのは、台湾の政治の透明性です。少なくともこの本からは、オードリーさんは、政治に身を置く限りはひたすら「透明性」を目指しているようにとらえられました。

 

その仕事ぶりのみならず、ジェンダーに関してもいろいろな経験をし、思考を積み重ねてきた氏のこれからに、ぜひとも注目していきたいと思う本でした。