みらっちの読書ブログ

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断捨離しすぎた社会の行きつく先【The GIVER(ザ・ギヴァー)/ Lois Lowly】小説と映画

こんにちは。

 

あけましておめでとうございます。

関東では緊急事態宣言が出されるかも、というような状況になっている年末年始ですが、コロナ禍のお正月、いかがお過ごしでしょうか。

2021年は、少しでもいい方向にむかってくれることを祈っております。

 

さて、静かなお正月で、この機にお家の片づけにいそしんでいる方もいらっしゃるかもしれませんね。「断捨離」、ずいぶん前に流行ってすっかり定着した言葉ですが、これ本当に難しいことですよね。割と簡単に言っちゃってますけれども。

 

なんども「ときめくものだけ」「1年間着なかった服は」「先に収納を買っちゃダメ」「モノに住所を」「収納に入りきれる分、60%をめざす」「だしてわけてへらしてしまう」「思い出は写真で」「毎日15分片づけ」「買ったら捨てる」と呪文のように唱えながら片づけに取り組んできましたが、いつの間にか、どういうわけかとっちらかった部屋を見てため息をつくのが常。

 

そんなわけで早々に片づけを放棄して、以前から観たかった映画を観ました。

『The GIVER 記憶を注ぐ者』。監督フィリップ・ノイス。2014年。

日本での公開は2015年です。メリル・ストリープ、ジェフ・ブリッジス、テイラー・スウィフトなど意外と有名どころが出ています。

ポスター画像

 

原作本は、何年か前に図書館の児童書コーナーで翻訳版を借りて読みました。児童書コーナー、大好きなんですよね。掘り出し物があります。しかし、この表紙。お子様は手に取って読みますかねぇ。なかなか渋い表紙ですよ。

ザ・ギバー―記憶を伝える者(ユースセレクション) [全集叢書]

ルイス・ロウリー著、1993年発表。1995年に掛川恭子訳で講談社から出版されました(最初の邦題は『ザ・ギバー 記憶を伝える者』)が、その後絶版。愛読者グループの活動により2010年、別の翻訳者と別の出版社から再刊行されています。

 

ギヴァー 記憶を注ぐ者 | ロイス ローリー, 島津 やよい |本 | 通販 | Amazon

 

本来4部作ですが、私が読んだのは最初の1作で、掛川訳版だったようです。もともと12歳くらいの子供向けの児童書なのですが、児童書にするのはもったいないと思うような印象的な小説でした。今調べたら、日本ではどうやら2018年にようやく4部作目の翻訳版が出版されています。英語版だと、4部作が1冊にまとまったものがあるようです。

 

本のほうの『The GIVER』は、少年の心と成長に寄り添っているので、それが児童書のゆえんかな、と思います。映画の評価がそれほど高くないのは「世界的ベストセラーSF小説」と銘打っているからのような気もします。これはそこまで「SF」が主眼じゃないんですよ、たぶん。それを期待すると「なんだ、期待外れだな」ということになりそうです。

 

どちらかというと社会風刺的なファンタジーで、さっきの断捨離の話ではないですが、社会全体で相当お片付けが進んでしまったあとのお話です。最小限のモノだけで暮らす人を「ミニマリスト」と言いますが、言ってみれば究極の「ミニマルな」社会が舞台。

 

設定は近未来。完璧に管理された社会のなかで、出産も死もすべてがシステマティックに計画され、人々には差別も悲しみも恐怖もありません。人類の過去の記憶(歴史や感情を含む)は有害で余計なものとして排除。その記憶を持つのはただひとり、選ばれた人のみ。その人も、死ぬ前に若い人物に記憶を渡し、その人が年を取れば死ぬ前にまた記憶を受け渡す、と、記憶をリレーしていくことになっています。出産はすべて代理母が行い、自然妊娠はありません。成長が期待される個体は「疑似家族」に受け渡され、なんらかの問題がある個体は薬によって安楽死。死は「解放」と呼ばれ、それさえも管理されていますが(決まった年月日が来たら薬によって安楽死させられる)、人々は感情を抑制する薬を投与され、それについて疑問を持ったりすることはありません。

 

12歳のジョナスは記憶を受け継ぐための「レシーバー(受け手)」に選ばれます。彼が選ばれたことで「ギヴァー(渡し手)」になった男性の家で、記憶の受け渡しが行われます。ジョナスは最初、すでに失われた自然の記憶や音楽などに夢中になりますが、それは自分の住む「疑似家族」のいる「コミュニティー」の家族や友人たちと共有できるものではありません。次第に自分が生まれて生きてきた社会に疑問を持ち始めるジョナス。感情を抑制する薬の投与も回避するようになります。そのうちに、社会が封印してきたネガティブな情報「残酷、貧困、差別、苦しみ、喪失、絶望、戦争」などに接することになり、激しく混乱します。人間の持つ記憶と感情を封印している社会に抵抗を感じた彼は、ギヴァーとともにある計画を実行することにします。

 

SF好きには、いってみればありがちな設定ではありますが、ジョナスの戸惑いや受け渡される記憶の描写が鮮明で、物語に引き込まれると同時に、自分のもっているひとつひとつの記憶が大切なものに思われてきます。本の結末と映画の結末は違っていて、原作本のほうがストーリーが多少説明的に淡々と進み、結末も曖昧でファンタジックな終わり方だったような気がします。淡々とした物語、と言いましたが復刊を強く望む「ザ・ギヴァーの会」ができるほどファンを獲得しているのは伊達ではなく、文学的な魅力にあふれたものでした。

 

 映画のほうは観る機会に恵まれずにいましたが、最近はAmazonやNETFLIX 、Unextなどの映画配信のおかげで本当に映画を観るのが便利になり、やっと観ることができました。ありがたいことです。

 

映画では主人公の年齢も上で、恋愛要素もあり、原作よりも起伏にとんだストーリーになっています。結構あらすじに食い込むような改変がみられて、最初はちょっと残念に思いましたが、それでも映画は映画でなかなか楽しめました。もしかしたら私の知らない4部作をひとつにまとめたものかもしれない、とも思いましたが、どうやらそうではないみたい。不完全燃焼にならないように「解決」を補足した形になっているのかもしれません。たくさんの民族の多種多様な色合いや音楽、数々の歴史上の出来事がスライド的に差し込まれるのは、情報量的に文字では難しい表現だし、白黒だった画面に次第に色がついていくような手法は、映画ならではの良さだったかなと思います。

 

さて、この「都合の悪い歴史や記憶を排除・封印する」というのはSFではよく出てきます。組織に記憶を消されたり、超管理社会だったりする中で、たいていは主人公が記憶を取り戻したり、みんなのために封印を解いたりしていくんですけれども。「知らないほうがいい」「最初からなかったら苦しまない」。その通りかもしれません。でもどれほど悲惨な悲しい記憶でも、歴史を無視することによる弊害、忘れ去ることの弊害というのは、たとえ封印などしなくても、今の世の中で普通に起こっていることでもあります。

 

本はともかく映画のほうは、設定的にはちょっとつじつまが合わないところがあったりとそこまで緻密ではありませんが、ジョナスが人間としての感情や記憶がすべて必要だと思う過程には、心が揺さぶられます。自分の身体で体験し、自分の頭で考え、自分の心で感じることの大切さや有難さを考えさせられる本と映画です。私個人的には本のほうが良かったかな。チャンスがあれば、この後の続きの3作品も読んでみたいなと思っています。

 

はー。

でもその前に、家の片づけしないと。笑

 

お正月は『MIU404』『逃げ恥』『義母と娘のブルース』『聖★おにいさん』『教場』を観ていたら終わりました。なんなんですかこの再放送とスペシャルの組み合わせのラインナップ。久しぶりにみた綾野剛さんの走りは眼福でした。今週の呪術廻戦を見逃したのだけは、若干、心残り。

 

今年もよろしくお願いいたします。