みらっちの読書ブログ

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【君の名は。/新海誠監督作品】※ネタバレあり

こんにちは。

前前前世、歌えますか?私は歌えません。

必ずズレてしまう…

 

きみの前前前世から僕は 君を探しはじめたよ

 

なのに、なぜか歌うと「僕は」が入る隙間がない。

年は取りたくないものよのぅ。

 

さて。どっちだったか、思い出せないんですよね。

「おれがあいつであいつがおれで/山中亘」を読んだのが先だったか、「なんとかしなくちゃ!/いでまゆみ」が先だったか。

 

「なんとかしなくちゃ!」だったかもしれません。なかよしに掲載されていたような気もするし、単行本を偶然買ったのかもしれません。

 

そう、永遠の「転校生」ネタ、階段落ちによる男女の性別が入れ替わるお話です。(おそらくこの画像↓が私が読んだ時代の表紙だったと思います。ネットから拝借)。

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映画の「転校生」は小林聡美さんと尾身としのりさんですね。懐かしいったらないです。今年の四月に亡くなった大林信彦監督の尾道三部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」のひとつです。

 

でも実は、原作の「おれがあいつであいつがおれで」は、かなり真面目な本だったんですよ。コメディタッチではありましたが、漫画や映画よりずっと、互いの性が入れ替わったことを真剣に受け止めて悩み、そして自分の性についてちゃんと考え、相手のことを知り、大切にしようとする、そういう内容でした。今でいうジェンダー(男女らしさ、社会的役割)について考えさせられるような。おぼろげにしか覚えていないんですけどね。

 

そして近年の大ヒット映画「君の名は」。

新海誠監督最新作は「君の名は。」!神木隆之介&上白石萌音が声優に : 映画ニュース - 映画.com

 

「男女入れ替わり」、そしてタイムラグによる「すれ違い」。テーマとしては古典的とも言えるものですが、そもそも「すれ違い」がなくなってしまった現代に、あんなに上手に時空を超えたすれ違い設定をこしらえたのが憎いなー、と思います。映像がとても綺麗で、人物だけでなく背景もものすごく細かく描きこまれていて、リアリティがあります。背後の掲示された掲示物ひとつひとつ、東京の街並みも全く手抜きなし。劇場でNさんと一緒に観たときは、平日なのに映画館が中高生で埋め尽くされていて、ふたりで「若いっていいなー」と言いながら帰ってきた記憶があります。

 

最近、久しぶりに、もういちど観ました。『君の名は。』

今は本当に便利な時代ですね。TSUTAYAに行くこともなく映画が観られるなんて。

 

そう言えば、新海誠監督は「セカイ系(『エヴァンゲリオン』の影響下にある作品群)』」の監督と言われることもあるようですが、同じセカイ系とされる細田守監督は、尾道三部作の「時をかける少女」をアニメにしていますね。勝手な想像ですが、新海誠監督は、多少なりとも「転校生」を意識はしていたんじゃないか、と思います。最後に未来の二人が出会うのは階段ですからね。私はあのラストシーンで、「やばっ。転げ落ちたらまた入れ替わっちゃう」と思いましたよ。笑。

 

以下、ネタバレありの感想です。

 

主人公の女の子の方は宮水三葉(みやみずみつは)。飛騨の山間部の「糸守町」に住む宮司の子孫。男の子の方は立花瀧くん(瀧くんはずっと瀧としか呼ばれてないので瀧という名字だと思っていました。下の名前だった)。東京に住む都会っ子です。彼らは入れ替わっている間、最初は戸惑うものの、当り前のように高校に通ったりバイトをしたりして日常を過ごします。ふたりは、互いに同じ年齢だと思っていました。その後「入れ替わり」が突如無くなってしまい、絵の得意な瀧は繰り返し糸守の絵を描きます(入れ替わっている間も描いていた)。薄れゆく記憶に、その風景は「夢の中の風景」としか思えないのですが、あまりにもリアルで、どうしても気になる瀧はその風景を頼りに飛騨を訪ねます。しかしやっと探し当てた糸守町は三年前に彗星落下ですでに消失していました。瀧は自分たちが三年の時を超えて入れ替わっていたことを知ります。

 

1200年に一度地球に近づくティアマト彗星は普通なら、地球に接近はするものの通り過ぎていくただの天体ショーでした。ところが日本上空で核が割れ、割れた核が隕石となって三葉の住む町に落ちるのです。三葉の住んでいる町「糸守」の名産品は組紐(くみひも)。宮司は代々、伝統工芸品である組紐を守り、ご神体を守ってきました。ご神体は山の上の巨大なクレーターの真ん中にあり、そこが以前「彗星が落ちた場所」であることが示唆されます。(何百年か前に大火事があり、そのときに家に伝わっていた古文書などのそれ以前の記録が全部消えてしまったため、隕石の落下があったかどうかはわからなくなっている)。

 

三葉の祖母一葉は、入れ替わりに気がついていました。「三葉、お前、夢をみているね?」と何度か問いかけるシーンがあります。(どうでもいいことですが、おばあちゃんの声は今は亡き市原悦子さんです)。どうやらおばあちゃんも同じ夢を見ていたらしい経験者。そして三葉の家は女系の宮司で代々、そういう夢を見る家系だと言います。

 

隕石落下を町民に報せ災害の犠牲を最小限に食い止めようと考えている瀧は、それを三葉の身体で聞きました。鴨居に飾られたご先祖様たちの写真を見て、瀧は「宮水の夢はこの時のためにあったのかもしれない」と思います。1200年の間、伝統の組紐(時間を象徴している)を代々伝えてきた宮司(巫女)は時空を超えた世界とつながる夢を見ることで、いずれ来るかもしれない災害に備えていたのかもしれません。宮司たちは若い頃にみた夢は夢として薄れてしまい、普通に結婚し子供を産み育ててきたのでしょうが、ひょっとしたら、三葉の両親はその夢によって結婚した可能性があります。現代に近づけば近づくほど、通信手段や交通手段の発達で、遠方でタイムラグがあっても出会うことが可能になるからです。

 

町長をしている三葉の父親のところに「三葉の身体の瀧」が避難要請に行ったとき、三葉の父は「おまえはだれだ」と瀧に問いかけます。娘が普段と違うおかしな言動をしていたとしても、普通「おまえはだれだ」とは聞きません。三葉の父親もかつて入れ替わりを経験していて、記憶にはないけれどなにか感じたのかもしれません。ちなみにそのときの三葉(瀧)の背後にあった掲示板に「陰と陽」と言う展覧会のポスターが貼ってあります。すごく示唆的な言葉だなと思いました。陰と陽、つまりは男女が結びつこうとする引力みたいなものが、町の運命を変えることになるのです。

 

「おれがあいつであいつがおれで」というように、互いにすでに自分自身であるふたりは、入れ替わりを通してすでに「結ばれていた」。同性だったら成立しなかったお話だと思います。 災害を回避して生き残るためには、それだけの強固な「関係」が必要だったのかもしれません。

 

覚えていたいと思っても、どうしてもどうしても覚えていられない。夢の中の記憶って確かにそういうもどかしさがあります。夢の中ではあんなに確かな手ごたえがあったのに、笑ったり泣いたりしたのに、目が覚めると何も覚えていない。ふたりをつないでいた「スマホ」のデータは「入れ替わり」がなくなって記憶が曖昧になるのとともに、どんどん消えていってしまいます。「神酒」は最後の一回だけ「入れ替わり」が発動する時を超えるための「結婚式」みたいなもので、やはり役目を終えるとなくなってしまいます。でも組紐はなくならない。それは「しるし」であり「記憶の結び目」で、最初から最後まで彼らのどちらかとともにあります。夢ではない、ただひとつの証拠。

 

瑞々しいロマンと悠久の時間が詰まった「君の名は。」。何がロマンと言って、三葉と瀧くんが入れ替わっても、ちょっと変でも受け入れて、馬鹿にしないで一緒に「夢で見た街」を探してくれたり、犯罪を犯してでも一緒に避難を手伝ってくれる友達が素敵です。三葉と瀧くんの運命の恋も素敵だけど、ふたりを通して、会ったことのない人と友達になっている、なんて、このうえのない浪漫だな、と思います。